七つの大罪 キリスト教の『人間一般の想念』

四世紀エジプトの修道士エヴァグリオス・ボンティコスの『修行論』 に起源があるとあった

 

 『傲慢』 『嫉妬』 『憤怒』 『怠惰』 『強欲』 『暴食』 『色欲』

 

誰分け隔てなく 多少の差こそあれ 誰しもが持っている想念

 

一つ目の 『傲慢』

 

について 想ってみた

 

 

誰でも持っている ただ それでも 最初は謙虚さの方が 勝っていたはず

少なくとも 生まれたときとは言わなくても 物心ついた頃からなら 潰されていただろうし・・・・(苦笑)

 

しかし 人は経験を積む内に自信を持つ それは勿論歓迎すべき事 而して それも度を過ぎれば

危うさを増してゆく そしてそれに 便乗する人間もまた出てくる

 

太鼓持ち 或いは コバンザメのように 一緒に居ることにより 利を得ようとする輩は 神輿のように持ち上げる

そしてそれは 宿主を 増長させる事に繋がる

 

而して それは危うさは 増す事にしか繋がらない

 

 『自分を 過大評価し 自分の誤りを 認めない 

  或いは 自分にとって 邪魔なものを ことごとく排除しようとする』

 

而して 過去の 栄光ばかりに縋っていては いずれ陰りが来る

 

そうなってしまうと 惨めである

気づいたときには もう後戻りも出来ない・・・・・・・・

また あまりに 自己肯定に専念していたばかりに

もはや 修正することすら ままならない・・・・・・・・

何故なら それは それまでの 自分を全否定することにもなりかねないから

 

そんな人達を 幾人か見てきた

其の当時の 力も 輝きも 感じられない まるで枯れ木のようのような・・・・・・・

 

全盛期を知る身としては まるで別人を見る 感があった

また過去の栄光に縋り 自分が如何にを 繰り返す人も居た

 

しかしそれは 言い換えれば 

 

 『もうそれしか・・・・・・・・・ 無いのですね』

 

の虚勢とも映っていた・・・・・・・

 

過去の栄光は 確かに素晴らしいかも知れない

而して それを連呼してのそれは・・・・・・・・・

あまりに虚しく映っていた・・・・・・・・

 

過去を振り返り 自己憐憫に陥るのも 一つの手かも知れないが

まだ遣らなければならないなら 

 

 『今をどうするか!?』

 

それが 最重要課題になる

今は 時間の流れが速い だから 前はこうだったは通用しないことが間々ある

しかし 長く生きたとは 様々な経験がある

 

それと 今の現状解析 若い人との連携 共有・・・・・・・・

 

経験はあっても 発想には限界がある

可能性という意味の 発想は 年若い人達は違う発想を持っていたりする

 

其の意味に於いて

 

   『傲慢』

 

は 時代に取り残される 危険がある

昔から 同年代で集まる事を嫌った

 

それは 意識の固執に陥らないため そして 自分とは違う価値観を感じるため

 

傲慢は それすらも否定し 固執し 固着し 

 

   『それしか無い・・・・・・・』

 

みたいな 危うい選択を 提示してきたりする

 

歳をとるのは 仕方が無い しかし 心まで 年老いて 脆く硬くはなりたくないと想う

私たちが 生まれた頃よりも 遙かに時間の流れは 進み方が早くなった

 

だから 固執していては 今を見失う

だから 経験と今を 天秤にかけて ジャッジを下せるような それが 老いたるものの 役割だと想うし

それが 間違わないための 在り方だと想う

 

 

                                                                  by tora