12月6日 木曜日 夜

 
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今日の朝は寒かった、仕事に行く途中の道路脇の畑は薄化粧したみたいに霜が降りて・・・・・・・


 昨日の日記のコメントで大学時代のことを書いたら、東海大にご縁のある人がふたりも現れてビックリ!!
コメント書きながら色んな事を想いだしていた。
 
 僕の専攻は土木工学科、建築科に進むか迷ったがスケールの大きな造形を作りたくて、橋梁や、ダムの設計に憧れて土木を目指すことにした。

 結果として畑違いの仕事に就いたが其れには後悔はない、なぜならけっして無駄では無かった想っているから・・・・・・(^_^)ニコニコ

 教養過程は札幌校舎で、専門課程は神奈川の平塚にある本校と、代々木校舎に通った・・・・・・・
四畳半一間の下宿、一階二階あわせて八室の小さな下宿、一階は男は僕だけで二部屋は女の子、僕が最初に入った一年目だけが全員男性だったけど、二年目の春大家さんに呼ばれて、
  『女の子を入れたいんだけど良いかな?』
って言われて、え!って想ったけど、間借りの身分我が儘も言えないし・・・・・・

 残りの一部屋は大家さんの息子さんが使っていて、でも夜は一階は男は僕一人・・・・・・

ちょっと不安だったけど、なるようになるくらいで・・・・・・
 二階は一人以外は体育会系の学生で、一人以外はつきあいはなかったけど、隣の部屋に来た女と二階に居た理系(物理か応用物理)の彼と三人で朝まで、いろんな話をしてよく飲んだ・・・・・・

 ギターを弾いて歌を歌って、人間について、政治について、社会について議論と戦わせた部屋。
軒下に棲みついたネコ君にエサをあげて、迷い込んできた小雀に半ば強引にご飯を食べさせて、翌朝迎えに来た親元に返した部屋・・・・・・・・
 
 酔えない酒を浴びるように飲んで、苦しみから逃げようとしていた自分が居た・・・・・・

 四畳半の部屋には大きすぎるステレオを金貯めて、買って毎日レコードを聞いてた、浜田省吾、杏里、ジャニスイアン・・・・・・、クラシックはマーラー、バッハ、ジャズはモダン・ジャズクインテット(MJQ)・・・・・・・・

 ギターは今でも部屋の隅にケースに入っている、ヤマキのマーチンモデル、カラオケでなら今の歌を歌うのに、今でもギターを弾いて歌うのは当時のフォークソング・・・・・・・・

 代々木校舎に通うとき、本校に向かう学生の群れに逆らって歩いているとき、怖いと想った・・・・
就職して、そんな人混みの一人になることが・・・・・・
 誰もが同じ顔をしているように想えて・・・・・・・・・・・・


 
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 何かが作りたくて、でも結局就職は生産性の無い仕事、でも今は写真を撮る、もちろん其れが生産性があるとは想わないが、想いを載せて自分の世界の表現という点では・・・・・、満足してる。

 大学のキャンパスは個性的だった、今でも時々夢に出てくる、でも其処での僕は写真の勉強をする学生・・・・

 大学時代に恋人を喪って、辛い時間があった、でも今は其れが今の僕を作った糧になっている気がする。

 ふたり分なんて生きられ無かったし、生きれないと今は想うけど、せめてひとり分だけでも生ききりたいと思う自分が居る。

 生きることを真剣に考えていた、死を最後の逃げ場として担保にして生きてきたがする、何時でも逃げられる、だから俺は逃げない・・・・・・

 泣くことを忘れて、笑うことを忘れて、涙が流れたとき、泣ける自分に感激した・・・・・・・

 死を逃げと決め込んで、而して生きることの苦痛に苦しんでいた、何時でも逃げることは出来る、其れだけが救いだった、而してあの哀しみを誰にも味わって欲しくない・・・・・・・

 PIERROTになれと自分に言い聞かせ続けた、そして今、PIERROTの意味をほんとうに分かった気がする。

 いつわりなき笑い、其れを人に与えるのがPIERROT・・・・・・・・・
今の自分は思いっきり笑う、嘘など、無理など何処にもない自分を感じる・・・・・・・

 喪うべきものは、とうの昔に喪った、だから怖くないそんな想いもある・・・・・
でも、喪って欲しくない大切なものを、誰にも・・・・・・・

 ボロボロになった心、でも其れがあったから今の自分が居る
今はそう想っている。

 生きるのは僕にとって楽ではなかった
でも死は何も見いだせない、出口のないトンネル・・・・・

 残す時間、今までの時間より短いはず、なら最後までやるだけやればいいと想う
駄目でも良い、遣るだけやったという想いがあるなら後悔は残さなくて済む気がする・・・・・・・