母を想う日 | うちのこ羊毛☆手づくり大好き

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羊毛フェルトで、愛犬、愛猫、その他。作ってます。
旅行することが大好きです。
よろしくお願いしますm(__)m

羊毛フェルトアドバイザー
ニードルフェルトデザインマスター
2018年4月資格習得




今日は、母の命日

母を忍んで記事を書かせていただこうと思います。

長くなると思いますので、スルーしたい方はスルーしてください。

母は
乳ガンで亡くなりました。

67歳でした。

私は、すでに嫁いで神奈川県で住んでいたので


まさか乳ガンになってることも
知らず、、、



久しぶりにかかってきた
母からの電話
9月頃だったでしょうか?
今でもその時の状況を鮮明に
覚えています。

乳ガンになっていることを聞かされ
目の前が真っ暗になり、
声にならなくて、
涙が次から次へと溢れました😭

お盆に、帰った時には、
全然具合が悪いとは
思ってもみませんでした

そんな私に、大丈夫、
大丈夫
手術すれば大丈夫なんだから、、、
と、


その後、父から聞いたら
ステージ4でした。

どうしてそんなになるまで放っておいたのと、、

自分でも乳頭が、ひきつっておかしいのが分かっていたらしい


10月末に
手術をしてみたら、
リンパにも転移してて、、、

左胸、全部摘出

何日も、抗がん剤で、吐き気が酷くて苦しみ、、、抜け毛もひどくなり

早く家に帰りたいと、、、

一度は退院して喜んでいた。

お正月には元気な姿を見れて
安心して帰ってきた


ある時
電話で
カラスの鳴き声が
気味悪いんだよね
、、、と

気にしている様子


そして
また再入院
何日かして

突然夜中に電話がなり、危篤状態に

主人、子どもを起こし、
慌てて田舎へ

神奈川から福島までは、
当時6時間以上は、かかった。

心配で、心配で、、、
着いたときには、、
親族が集まっていた。

意識はもうろうとしていて、、

でも、私が着いた時には、
目を開けてくれた。

次の日なんとか持ちこたえ
目が覚めお話もできた。

母親から、
きれいなお花畑に🌻🌺🌷
行ってきて、
川を渡ろうとしてたら、
おばさんの声が聞こえて、
呼び止められて戻り
目が覚めたと、、、


良く聞く話、
本当にこういうことあるんだと、、、

何日か実家で過ごし、容態も
少し落ち着いたので
帰ることにした。

今度は、娘の小学校の創立記念日(6月12日)
休みだから、
その日にまた来るねと、

後ろ髪を引かれる思いで
病院を後に
神奈川に戻って

毎日心配しながら過ごしていた。


やっと創立記念日になったので、
福島まで、、、
すぐに、病院に駆けつけた。

意識は、もうろうとしていた
が、
なんとか私達が来たと言うことが
分かった。


その夜は
実家に泊まり、次の日病院へ

その日は、声かけても反応なく眠り続けていた。


姉と私が病室にいると

看護婦さんが、
着替えをしますので
親族の方は外に出ていってくださいと、、、

その時だった
廊下で待っていると
〇〇さん、〇〇さんと、
何度も母親の名前を
慌ただしい看護婦さんの声が、、、
姉と2人で何かあったの?

先生が、駆けつけきて
私達が中に入った時には
すでに息を引き取っていた。

死に目には、会えなかった。


その時は、
人目もはばからず大泣きした😭

待っていてくれたのかなぁ~
今までのことが、走馬灯に流れて、、、


亡くなってから
ご焼香に来てくださった
ご近所のおばあちゃんが、
母を見ながら
短い寿命を持って生まれて
来られたのね。
と、
言う言葉は
今でも忘れない


人間は生まれながらに、
寿命が決まってると、
聞いたことがあるが、、

葬儀を終え、
神奈川に帰ってきてからも、
空を見つめ、
色々と思い出した。

私は、若い時は、体も弱く
いつも心配してくれた

そして
有りがたいことに
母親は、
いつも、あなたは器用なんだから出来るよ~と、後押ししてくれた

もっともっと、
親孝行をしたかったなぁ~


長々と母親の想い出を
書きました。

ご覧いただきありがとうございました。