今春のセンバツ大会。21世紀枠の1校に北海道別海高校が選ばれました。

 歴代出場校の最も東からの出場となります。

 

 「人より牛が多いまち」として紹介されています。

 メインは酪農ですが、それだけでは淋しいので、簡単に付け加えます。

 

 まず「別海」は公式には「べつかい」となっています。

 ただ、一般的には「べっかい」と呼んでいます。

 町民でも「べつかい」「べっかい」が混在しています。

 町としての見解は「どっちでもいい」という発表です。

 

 別海が村から町になるまでは「日本一面積が広い村」として知られていました。

 とにかくデカい村でした。

 鉄道が走っていた頃の標津線は標茶~根室標津と中標津~厚床の2線ありましたが、両方の線区に別海の駅がありました。

 

 町になるとさらに上がいるもので、面積1位は足寄で別海は2位に甘んじることとなりました。

 その後大合併で北見市が道内1位、釧路市、遠軽町が合併で別海を抜きましたが、合併することなく全国ベスト10に名を連ねる足寄町、別海町はとにかくデカい。

 1例として、阿寒湖を観光して十勝に向かうと湖畔で釧路市阿寒から足寄町に入ります。そこから足寄市街まで1時間のロングドライブ。そんだけデカい。

 足寄は真ん中ぶち抜いてその所要時間。別海は外周を通るのでもうチョイデカいと感じます。

 地元の人は突き抜ける道を使うのかもですが、周りキョロキョロしながら国道メインのツーリング、ドライブは1日時間を使うつもりで別海に行きます。

 

 別海の中心は役場がある別海地区。以前は本別海と呼んでいたように記憶してるけど、半分ボケているので定かではありません。

 ここは尾岱沼があります。

 酪農ともう一つの産業である漁業の基地。

 サケやホッキ等もありますが、なんといっても別海・尾岱沼といえばホッカイシマエビ。

 エビの味がウマいのは1度でも食べた人は異論ないでしょうが、その漁の景色が漁期到来の風物詩となります。

 

 

 水深の浅い尾岱沼で、エビの住む海藻を傷つけないようにエンジンを止めて風の力で進める引き網漁。漁期は6月と10月。漁協で生育状況や数を調査して漁期、制限量を決めるので不定期の漁です。

 もし旅の日程と漁期が重なった場合、10時30分~11時、13時30分~14時。1日2回の打瀬舟漁見学も旅の思い出になると思います。

 出荷は茹で海老となりますが、浜では生のホッカイシマエビを食すことができます。

 踊り食い。美味しかったなぁ~。

 

 北海道開拓時代道内各所に置かれていた駅逓。郵便局と旅館を兼ねて、馬の貸し出しもしていたのが駅逓。根室地区で現存する唯一の駅逓が奥行臼にあります。

 桜の名所と知られた奥行臼。花見の頃は駅逓で宴会が開かれたと伝え聞きました。

 手すきガラスは万一破損すると数百万の弁償を請求されるほど貴重なもの。

 建物、備品すべてが貴重な歴史を伝えるものです。

 旧奥行臼駅は大切に保存され村営鉄道など含め、復刻作業が進められています。

 標津線を旅した方はご記憶のことと思いますが、ホームに植えられていた樹も大きく育っているようです。

 樹は疎いので何の木かは不明ですが、妙に心に染みる景色で、それを見たくて中学・高校と乗り鉄で釧路~厚床~中標津~標茶~釧路と回ったものです。

 昨日の晩飯を忘れる年になっても、昔話は鮮明な記憶として残っています。

 

 私の高校時代は別海高校は季節定時制。農繁期は休校、農閑期に登校の4年制。だったと思います。

 その別海高校が甲子園に出場。

 喜びと同時に驚きです。

 

 監督さんは北海道のコンビニと言われるセコマの副店長。

 未明から店内調理の商品を仕込んで仮眠。そして野球部の練習に駆けつけるとか。

 

 強豪校とか名門校ではありません。

 泥臭い部活です。

 

 かつて甲子園出場した高校が部員不足で連合チームとして地区予選に出ていることもあれば、わずか3人4人に減って連合チームの1校から町民の協力で単独チームとして地区予選に出るだけでもスゴイことなのにセンバツ出場。

 

 これは応援に力が入ります。

 

 今年も春休みから甲子園は熱い。