アイヌ語由来の地名って、ある意味いいかげんだなと感じる時があります。
アイヌ民族が「何て言ってたか」ではなく、それを聞いた和人が「なんて聞こえたか」で、ここの地名は〇〇としようと決められたわけです。
カンガルーを初めて見た西洋人が現地の人に「あの跳ねている動物は何て名前だ?」と尋ねて「わからない」と答えた為に、あの動物はわからないという名前として広がり、現地の「わからない」という言葉が「カンガルー」だったいうのは知られた話です。
北海道の地名も似たようなものです。
そこに漢字をあてるのも、どこから持ってきたの?というような字も多く、難読地名が多くあるのも北海道の特徴です。
渡島沼尻。渡島は函館方面の内浦湾側が渡島、日本海側は桧山と管轄が分かれますので、ここは渡島地方。
「ヌプリ」「ヌプシリ」というアイヌ語由来で、山とか丘という意味を持つ言葉から沼尻へ変わったという説が有力と紹介されているものがありますが、どうやら付近の沼の端ということで付いた地名のようです。(地元の人の話)
「沼尻って地名ですけど、どこかに沼でもあるんですか?」「あるある。チョット先に行ったらあるわ。行くなら道教えるど」という会話で、沼尻は沼の端という説を強力にプッシュします。
昭和20年6月1日 信号場として開業
昭和62年4月1日 駅昇格
もともと砂原支線は、上り貨物列車の勾配緩和の為に、森から砂原までの渡島海岸鉄道を国有化して、その先を国鉄が敷設した路線です。
渡島海岸鉄道区間は私鉄の為駅間が短く、ホーム等も短く、長大編成の貨物列車の行き違いに配慮した信号場が必要となりました。
ここは森~大沼のほぼ中間地点でもあります。
JR移管とともに駅になりましたが、保線の基地としての位置づけも残されています。
函館方面
森方面
保線車両が留置されていました。
作業中というよりも、若手職員の教育中に見えました。
技術の引継ぎが、国鉄末期やJR発足当初は新人を採らなかった為に途切れてしまい、基礎を教えても応用がきかないと嘆く職員の人が多くいます。
1しか教えない。残りは先輩を見て10を知る。気づいたら先輩より出来る人になっているという時代もあったのですけど…。今は昔の物語。
周辺には数軒の住宅があります。その方たちが使うというより、研修所と考えると、多少待合室が狭くてもOKじゃないですか。
なんでここに駅が?と尋ねられたら、必要だからそこにあるという駅です。
これでいいのだ。(by バカボンのパパ)