石狩市は、合併前札幌に隣接する町として人口を増やし、80年代後半には人口5万人を超えて、95年隣接する当別町との境界線を確定して96年市に昇格しました。
「イシカリ」という地名。今回調べてみるまでは「曲がりくねった」という意味で、石狩川の河口だから「イシカリ」なんだと思い込んでいました。
諸説ある説を紹介すると
イ・シカラ・ペツ (曲がりくねった川・中流のアイヌの説)
イシ・カラ (美しく作る・国作りの神様が親指で川筋を描いたという上流のアイヌの説)
イシ・カラ・ペツ (鳥尾で矢羽を作るところ・和人の説)
イシカリ (閉塞・川が蛇行していて先が見えない・松浦武四郎等)
言葉をどこで区切るのか。アクセントがどこにあるのか等で意味が変ってしまいますが、どれも北海道で一番長い石狩川を母なる川を讃えているようで、全て正解でもいいように思います。
そんな石狩市に厚田村と浜益村が合併したのは05年10月1日。6万人弱の人口になりました。
厚田村は合併時2800人程度の村でした。
古くから開けた漁場で1600年代からニシン漁で賑わった場所です。
西は日本海、東は山が迫る険しい地形の為、マチが大きく発展することはないままでした。
厚田の地名はアイヌ語の「アッタ」から。「アッタ」はオヒョウニレの樹皮を採るという意味で、オヒョウニレは服の繊維として重要な植物でした。
横綱・吉葉山の出身地です。
普通、横綱の出身地となるとマチの観光名所として像が建てられているのですが、調べた範囲ではみつけられませんでした。
また創価学会の2代目会長の戸田城聖の出身地で、生家を含めて厚田公園として整備された一角は夕陽を見る名所として知られ、5月のGWには桜の花見客で賑わう場所でもあります。
観光名所としては、義経の涙岩があります。
この洞窟は、磯船が通り抜けできる程度の洞窟で、衣川の戦いで敗れ逃れてきた源義経が、この地で酒を飲みながら静御前のことを思い、涙したという伝説が残っています。現在、洞窟は道路側から見ることのできない秘境となっています。(石狩市役所)
厚田村。冬は交通の難所というイメージが強い村でした。
各所に防風・防雪対策がありますが、自然の力はそれをあざ笑うように襲い掛かります。
これは日本海側の共通の現象なんですけどね。