
本日もお越し頂き、ありがとうございます

本日は「対等な関係」についてお話をしたいと思います。
あなたは「対等」と聞いてどんなイメージをしますか?
辞書によれば
相対する双方の間に優劣・上下などの差のないこと
と、あります。
例えるなら、シーソーや秤が平行を保っている状態でしょうか。
私はこのブログで
恋愛や結婚のパートナーとは常に対等でいてください。
とお伝えしていますが
世の中的に「対等」の意味を履き違えている方が
いるように思えます。
私が考える「対等」とは
『お互い様』と思える関係です。
シーソーで例えるなら
お互いバランスを保っていれば平行になります。
この状態が「対等」です。
でもどちらかが何らかの問題を抱えてしまって
バランスが崩れた時に
もう一方がどこまでフォロー出来るか?
平行に持っていけるか?
その行為を無償で出来るのが
理想的な「対等な関係」だと私は思っています。
自分に問題を抱えた時も同じです。
パートナーがどれだけ協力してくれるか。
(もちろん、見返りのない無償の行動です)
これが『お互い様』の関係です。
でも「対等」の意味を履き違えていると
綱引きのような、お互いが力と力の奪い合いをする
関係になります。
”私が!私が!”と
シーソーを上下に動かすことは
「対等」ではありません。
自分の要求は伝えても
相手の要求は却下してしまう関係になります。
例えるなら
「私はこんなにも大変なのよ!」
「俺だって大変なんだ!」
これでは、ただのパワーゲームです。
二人の間に「対等」な関係はありません。
上下関係を作ろうとしています。
あとは、相手の荷物を背負い込み過ぎるのも
一見健気な関係に見えますが
これもバランスが偏っています。
相手が上。あなたが下。
それと、どんどん問題が山積みになるパートナーだと
お互いの重みに耐えられなくて
真ん中から板が折れてしまいます。
恋愛なら上下に動くシーソーも楽しいかもしれません。
でも結婚生活は穏やかな方が幸せです。
どれだけ相手を思いやってバランスを取れるか。
上下に激しく動いている状態でも
自分から力を抜けば自然と相手も力を抜くようになります。
お互い、日々の生活が大変でも
自分だけの権利を主張をしたら
相手も面白くはありません。
「対等」とは権利の主張のし合いではないのです。
私の権利は認めて欲しいけど、相手の権利は認めない。
では上下関係になってしまいます。
例えば、
私は休みもなく家事や育児を頑張っているのだから
旦那が休みの日に遊びに行くのは許せない!
とか、
俺だって毎日仕事で神経をすり減らしているんだ。
休みの日くらい何をしたっていいだろう!
では、二人の間に思いやる心はありません。
あるのはどちらも被害者意識だけです。
シーソーの上下運動です。
でもどちらかが相手を無償の気持ちで思いやれば
必ず相手に思いやりの気持ちは伝わります。
そうなると上下運動は静まります。
わだかまりが強すぎると自分から相手を思いやることが
何だか損をした気分になるかもしれませんが
長い目で見ればどちらが幸せか、わかりますよね?
これが与えたものが返ってくる法則なのです。
自分の権利を主張することは
相手から権利を奪う行為になり
それは「対等」からは程遠いということを
知っておいてください。
本当の「対等な関係」とは、とても優しい
愛に満ちている関係なのです。
是非ともあなたとパートナーには
そんな「対等な関係」を築いて頂きたいものです。
本日もご覧頂き ありがとございました


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