部落(同和)の人たちの書く糾弾記事や自己弁護の記事を読んでいると、所謂「10年一日の如く」と、進歩のない状況を言うが、それよりももっと100年前から進歩しているのかと思わせるものが多い。

 

 今回取り上げた「偽りの「暴力と犯罪」論━━同和対策事業「補助金」の真実 1)」も、それが言える状態であり、何とも進化のない記事内容…… と言うか、弁証法として私が知る限りの口語体の文では全くの進化が観られない。

 

 では、文語体での記事ではどうなのだろうか? と、考えると、それは水平社当時の部落民に対する、差別の解消に立ち向かった記事があればそれが参考になるのだが、私にはそれを見つけることができない。

 

 私の想像ではあるが、水平社の立ち上げ面々は、それぞれが裕福な家庭に育っているようで、学識も教養も倫理観もあり、水平社創生時の宣言文は立派な文になっている。

 但し、この宣言文で観られるように、彼等が本当に自分たちが兄弟と呼んだその他の部落民の人たちが、正直で真面目な人たちであったかどうか、理解が出来ていなかったのではないかと、疑ってしまう。

 自分たち自身は、食うに困っていたわけではなく、普通に生活をする中での「謂れのない差別」と受けて発奮したのが現実ではないのだろうか。

 つまり、底辺でその日食べるのに苦労し、数日間の飢えに苦しみ、止むを得ず動けるうちに盗んだり強盗を働いたり……。

 そんな行為を知らない連中が作ったのが「水平社」の気がしてならない。

 勿論、耳学問としては知っていただろうし、がりがりに痩せていた現実も知ってはいたと思われる。

 が、その飢えの苦しみの体感はなかっただろうと思われる。

 当然、差別に寄る賃金の格差も知ってはいただろう。

 

 しかし、彼等は自分たちと同じように、倫理観や道徳観を持っていたと誤解をしていたのではないだろうか。

 彼等の格調高い宣言文を読むと、飢えの苦しみのあまり、騙し、盗み、或は殺人や誘拐などの行為に対する違法行為を見逃していたとしか思えない。

 

 では、一般の人から見たらどうなのか?

 一部に賃金格差や差別に寄る過重労働があったのは事実だし、今風に言えば3K職場と言われるところでは、専ら部落の人たちの仕事だっただろう。

 

 しかし、時代は変わり、今ではそれは無くなっているのに、部落の人たちの心根はどうなのか。

 それは「偽りの「暴力と犯罪」論━━同和対策事業「補助金」の真実 1)」に書かれているように、昔からの非差別意識が全く変わっていない。

 いや、現実で言えば、誰もこの記事を真に受けている人はいない… いえ、少ないと思われる。

 だけど、未だに堂々のこのような同じ部落民に対する扇動記事が生まれている現実がある。

 

 現実の生活の中で、差別を感じることがあるのかないのか。

 それは被差別部落(同和)の人が一番知っている事である。

 もう一度訊きます。

 あなたがこの十年二十年の間に、差別発言をされたことがありますか?

 自分の胸に手を当て、しっかり考えてください。

 

 差別はないにしても、しっかりあるのは信用のなさです。

 この事に関しては次回のブログ記事で書きます。

 

 水平社宣言の原文と現代語訳

 宣言

 全国に散在する吾(わ)が特殊部落民よ団結せよ。

 

 長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等(われら)の為(た)めの運動が、何等(なんら)の有難(ありがた)い効果を齎(もた)らさなかつた事実は、夫等(それら)のすべてが吾々(われわれ)によつて、又(また)他の人々によつて毎(つね)に人間を冒涜(ぼうとく)されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如(ごと)き運動は、かえつて多くの兄弟を堕落させた事を想(おも)へば、此際(このさい)吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起(おこ)せるは、寧(むし)ろ必然である。

 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥(は)ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥(はぎ)取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖(あたたか)い人間の心臓を引(ひき)裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾(つば)まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が来たのだ。

 吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。

 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によつて、祖先を辱(はずか)しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何(な)んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃(がんぐらいさん)するものである。

 水平社は、かくして生(うま)れた。

 人の世に熱あれ、人間に光あれ。

 

 大正十一年三月

水平社

     ◇

 全国各地で、歯を食いしばって生きている被差別部落のみなさん、今こそ手を取り合って進みましょう。

 

 長い間いじめられ差別を受けてきた被差別部落のみなさん。1871年の解放令から約50年、私たちのためといって、多くの人々によって差別をなくすための運動が行われてきました。しかし、それらの運動はあまり役に立ちませんでした。人間は平等であり、尊敬すべきものなのです。しかし、人をあわれんだり、同情したりする考え方しかもたない人々は、私たちを気の毒な人たちだと思って運動してきたのです。

 私たちを救ってあげようという運動は、かえって多くの私たちの仲間をだめにしてしまいました。だから、今、差別を受けている私たち自らが立ち上がったのです。人間だれをも尊敬し、大切にすることによって差別のない社会をつくろうという運動を自主的にはじめたのです。私たちは、私たちの手で部落差別をなくしていくのです。

 被差別部落のみなさん、私たちの祖先は差別を受けながらも、自由で平等な社会を願い、闘ってきました。私たちは政府の身勝手な政治によってつくられた身分制度の犠牲者であったが、世の中に欠かすことのできない仕事に携わり、社会を支える存在でもあったのです。その中でさまざまな差別を受けてきたのです。しかし、そのような悪夢のような差別の中でも、私たちの祖先の体の中には、誇り高く生き抜こうとする人間のあたたかい血が残っていました。そして、その血を受けついだ私たちは「民衆が世の中の主人公になる時代」にたどりついたのです。私たちのしてきた人に嫌われる仕事を誇れる、そして人に嫌われる仕事をしてきた私たち自身を誇れる時がきたのです。

 私たちが被差別部落の人間であることを誇りうる時代がやってきたのです。

 私たちは、この世の中が、私たちを差別することのみにくさに気づかない人々や、差別されることのつらさに気づかない人々が多くいる冷たい世の中だということを知っています。だから私たちは、心から人間の尊さやあたたかさが大切にされる、差別のない世の中を心から願うのです。

 水平社はこうして生まれました。

 人の世に熱あれ、人間に光あれ。