この記事は、1969年に始まった部落問題解消の為に政府が行った補助金事業と、それに群がった暴力団とそれに走り暴力組織に入った物たちに対する批判と現状に対する反論記事です。

 

 事実、補助金がある時期には暴力団は増え、その消滅と同時に暴力団員も減っているのは事実ですが、それに対する反論記事です。

 

 当の部落の人たちの多くは、この記事の読解力があるかどうか疑わしいのですが、当事者の部落の方々は目を通してください。

 勿論、一般の方も是非読んで頂きたい記事です。

 

 但し、この反論記事は論文に対する引用文も掲載されていて、非常に長い文になっていますので、数回に分けて掲載します。

 ではどうぞ。

 

『部落解放研究』 広島部落解放研究所 28 号 2021 年 12 月 189 - 210 頁

 

 [書評論文] 

 

偽りの「暴力と犯罪」論━━同和対策事業「補助金」の真実 1)

                              青木 秀男 

 

マーク・ラムザイアー、E・ラスムーゼン 「日本におけるアウトカーストの政治と組織犯罪──マイノリティ 補助金終了の影響」(”Outcaste Politics and Organized Crime in Japan: The Effect of Terminating Ethnic Subsidies”) Journal of Empirical Legal Studies 15 巻 1 号 192-238 頁 2018 年 

 

マーク・ラムザイアー 「仕組まれたアイデンティティ・ポリティクス──日本のアウトカースト・部落」(”On the Invention of Identity Politics: The Buraku Outcastes in Japan”) Review & Law Economics 1-95 頁 2019 年 

 

上記論文は、部落解放同盟に関わりがあろうとなかろうと、人としての幸せを求めて日々をがんばり、 正直まっとうな人生を歩んでいる被差別部落の人たちを、学術的にまともな説明もなく、あたかもゆすり・ たかりを行う暴力集団・犯罪者であるかのように描いた論文であり、大事な被差別部落の友人たちを誹 謗した論文であり、許すことができない。部落の人たちは、研究者でないかぎり、論文は書けない。しかし 彼彼女たちは、上記論文を読んで中身をしっかり理解している。そして、わが真面目な人生が冒涜された と傷つき、深く悲しみ、心から怒っている。もはや問題は、アカデミズムの域を超えている。論文の著者たち はもとより、論文を掲載して、被差別部落の人たちが暴力的・犯罪的な人間であるかのような似非情報 を世界(のアカデミズム)に拡散した雑誌の編集委員会も、その責任を免れることはできない。著者たち や編集委員会は、被差別部落の人たちの悲しみと怒りに対してどのように責任を取るのだろうか。 本論文は、このような論文の「暴力性」を告発する前に、まずは論文に対する学術的な批判を行い、 論文になんら科学的根拠がないことを明かすものである。 上記論文からの引用に際しては、それらを括弧付きで「論文」、ラムザイアー(たち)を「著者(たち)」

と表記し、2 本の論文を合わせて頁数のみを記す。

 

1 はじめに 2 本論文は、上記 2 本の論文をめぐる批判的考察を行う。それらは、学術論文として 2 つの重大な欠 陥をもつ。一つ、それらは、「社会行動の経済学」(4)の「機会費用」「投資」「インセンティブ」などの語を 用い、「ゲイリー・ベッカーの人的資本と犯罪に関する一般モデル」(77)を適用するとして、日本の被差別 部落民(以下部落民)を暴力的・犯罪的な人々であるかのように描いた、学問倫理においてかつ理論 的に重大な問題を含む論文である。二つ、自説を立証しようと、部落問題に関する資料(行政資料や 文献、個人の証言)について批判的検証(だれがいかなる目的のために書き、語ったのか)を行うこと なく、文言の意図や脈絡を無視して、恣意的な解釈を行い、挙句のはてはありもしない事実を作出する、 さらにデータの数値の相対的な相関を論じるだけで、被差別部落(以下部落)の実態解明については 何も教えず、しかもそれらの数値を「部落民は犯罪者」なる自説の根拠とするという、科学の方法として重 大な問題をはらむ論文である。 本論文は、このような論文が学術雑誌に掲載され、部落(民)について誤った情報が世界のアカデミ ズムに拡散される事態を憂い、今からでもそれを止めることを目的に書かれるものである。私は、日本の広 島に事務所を置く社会理論・動態研究所で、部落解放同盟と連携し、社会学の研究を行う独立の研 究者(independent scholar)である。もとより「解放同盟派の学者」などという、部落解放同盟と研 究者双方の自立と批判精神を冒涜するような言い方を許すものではない。 「論文」は、部落民の近世・近代の歴史や今日の人口・貧困・組織(全国水平社、部落解放同 盟)・部落解放運動など、多様な問題を取り上げている。それらすべてが、「部落民は犯罪者」なる自説 を説得する背景設定とされている。いずれの論題に関する記述も、批判すべき問題が多い。本論文は、 そのうち、それらのすべてが行き着くもっとも重要な主題、本論文はそれを「暴力と犯罪」論と呼ぶことにす るが、その批判に的を絞ることとする。 Journal of Empirical Legal Studies 掲載の論文は、「部落解放同盟・補助金・暴力団・犯罪」 を中心に論じたものであり、Review & Law Economics 掲載の論文は、歴史的および今日の部落問 題の全般を含めて「暴力と犯罪」論を論じたものである。しかし 2 つの論文は、同一の目的・主題・方法 により書かれ、同一の主張を行ったものである。「この(2 本目のー引用者)論文は、(1 本目のー引 用者)ラムザイアーとラスマセンの共著 (2018)に基づいている」(4)。ゆえに本論文は、それらをまとめて 批判の対象とする。ただし、本論文が「論文」を批判する際に、批判を論証する資料・データについては、 いくつかのものを除いて、掲げない。ここでは書評論文として、もっぱら批判の論理の 、、、、、、 展開 、、 に集中する。

 

2 「論文」の要旨 「論文」は、先行研究や部落解放同盟の指導者に「敬意」を表して、次のようにいう。「私たちはこれら の研究でとられた多次元的アプローチに異議を唱えるものでは決してないし、多くの部落解放同盟幹部 の人道的な動機を否定するものでもない」(202)。しかし、それは空虚な枕言葉でしかない。「論文」は、 その言葉を裏切っている。「論文」は、先行研究に敬意を払わず、解放同盟幹部の「人道的な動機」に 敬意を払わない。「論文」は、意見を異にする日本・欧米の優れた研究者を「主流派」(2)、「粗雑な御 用学者」(5)「解放同盟派の学者」(70)と烙印し、学術的議論の対象から除外している。皮肉なことに、 3 「論文」は、何カ所にもわたって「解放同盟派の学者」の言葉に依拠しているのだが。 「論文」の主題である「暴力と犯罪」論は、次のように要約される。「1969 年、日本はアウトカーストと みなす『部落民』のための大規模な補助金事業を開始した。補助金は暴力団を引き寄せ、組織犯罪に より稼ぎ出す高収入は、多くの部落民を引き寄せた。その結果、多くの日本人は、ますます部落民を暴 力団と同一視するようになった」(192)。「組織犯罪はまずは部落の現象であり、解放同盟とマフィアの関 係は深い」(10)。解放同盟は、「差別され、虐げられた部落民」という偽りのアイデンティティを作出して、 政府に部落民への補助金事業(同和対策事業)の施行を迫った。事業が施行されると、暴力団が補 助金に群がり、莫大な利得を得るに至った。多くの解放同盟の役員が、暴力団員になった。部落の若者 は学校を止めて暴力団に入り、補助金に群がった。そして、「政府は、これら犯罪者の圧力を受けて、さら に補助金を増やすことになった。圧力と補助金のおぞましい鼬 いたちごっこが続いた」(3)。このため、部落民に対 する世間の人々(非部落民)の反感と敵意が高まった。しかし、2002 年に補助金が終了して、その利 得がなくなり、暴力団に入る者がほとんどいなくなった。若者は部落を出て学校へ戻っていった。そのため、 大部落を中心に人口が流出した。非部落民の部落への反感と敵意が弱まった。非部落民は、部落が 住むに魅力ある地域であることに気づいた。その結果、大部落を中心に不動産価格が上昇した。 「論文」は、補助金事業の施行とその終了に伴う諸問題について論じ、部落民を「暴力的・犯罪的な」 人々であるかのように描いた。本論文は、このような「暴力と犯罪」論を、その中心論点に絞って批判する。