「ビジュアルと言葉」-画像の成り立ちと文章表現-
by 理怜/Ray Lee(猫乃電子出版)
ISBN 978-4-902463-82-8
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(本文抜粋)
『肌色の願望色』
肌色の再現では、人間の願望が強く反映される。
肌再現の好みが異なるのは、その人種がもつ固有の願望を反映しているためと思われる。要するに、綺麗に感じるかどうかで決まるのだ。日本人(特に女性)が白い肌に憧れるのは、綺麗に見えると感じる人が圧倒的に多いからである。
黄色人種の肌色に関して言えば、黄色が抜けマゼンタが入ったMB(マゼンタ・ブルー)に許容度が高い。濃度は低め、つまり、白っぽい方向が好まれる。特に女性はこの傾向が強い。例外は、サーファーやスポーツマンの男性である。濃度が高くないと、弱々しい感じがしてしまうため、こってりした濃い肌色の方が好まれる。
「美白」というのは、日本人特有の概念である。日本人以外では、同じような肌色をもつ東南アジアの人も、同じような価値観をもっているかも知れない。「美白」は、色白への願望の現われだからである。
では、白人は、自分の肌色が理想的であると思っているだろうか?たぶん、そうは思っていない。白人は、日本人とは違う価値観をもっていると考えられる。一般に、彼らは、日に当たりたがる。ビーチに限らず、カフェでは、広い通りに面した屋外の席でコーヒーを飲んだり、食事をとる。日本でもこれに類するものはあるが、ヨーロッパに比べれば、はるかに少ない。また、日傘も、緯度の高い国に住む白人の目には異様に映るらしく、あるベルギー人が、そう言っていたのを聞いたことがある。そのベルギー人は、肌が白いのは良いことだと思っていないと言うのだ。このベルギー人の言葉が一般的なのかどうかは分からないが、概して、緯度の高い、つまり、日射に乏しい所に住む、いわゆる白人には、美白という価値観はきわめて薄いと思われる。
仮に、美白という言葉をそのまま翻訳して通じたとしても、たぶん、その意味は違っている。シミやソバカスに対しては、同じように美容の敵だと思うが、肌色そのものに関しては、日本人のように徹底して色白に高い価値観を持ったりはしないのである。例えば、白人の場合は、肌色に入る黄色に関して、許容という意味では、アジア系と逆の傾向をもつ。実際の肌色よりも黄色から僅かに緑がかった黄色、つまりYG(イエロー・グリーン)に許容度が高い。また、実際の肌色よりも赤味を帯びた肌色を好む傾向もある。濃度は高めを好むことも、色白を避ける方向を示している。例えば、ハリウッド映画の色再現を見れば、このことが理解できる。もちろん、リアルな肌色で再現されているものはあるが、黄色、あるいは、極端なYG(イエロー・グリーン)にしてあることが少なくない。また、プレイボーイのヌード写真では、白人女性の肌色は実際よりも、Y(イエロー)からYR(イエロー・レッド)の色相にずらして再現されている。日本人女性がモデルになる日本で、こんな肌色再現をやったら、売り上げがガタ落ちになってしまうだろう。
黒人の場合は、青や緑の方向が嫌われる傾向があり、黄色やマゼンタや赤味が適度に入った方向には許容度が高い。
肌色再現で許容度が高い方向とは、人に好まれる方向である。実際の肌色よりも許容方向にずらした方が美しく感じられることが多いため、写真や印刷物では、そのように再現するのが普通である。
日本や北欧のように、人種があまりミックスしていない国や地域は、ある一つの人種の好みに合わせた肌色再現をしていけば良いが、人種の坩堝と言われるアメリカ合衆国のような国では、簡単ではない。白人、黒人、黄色人種、および、これらのミックスがいるからで、このような国では、それぞれの肌色の好みが共通した方向しか許容されないことが少なくないからである。特に、異なる人種の人が複数同じ写真に写るような場合は、画像再現が難しくなる。画像のデジタル加工が進歩した今でも、一つのシーンに写った複数の人の肌を、個別に最適に仕上げるのは手間がかかり、よほどギャランティーが高くないとペイしない。
一人しか写っていないポートレートなら、その人に対して最適に仕上げてやれば良いため、画像の色調整は可能であるが、それでも、こうした色再現の最適化をルーチン的にこなすのは、容易なことではない。
肌色は、それを構成する黄色や赤の彩度が強くなると、その色成分が本来中間色である肌色の中で浮き立ってしまう。しかも、肌色は人種が同じであっても千差万別で、光線の加減や化粧でも変わる。このような理由から、ポートレートでは、破綻を避けるため、彩度を下げて再現するのが普通である。特に拡大率が高い大サイズのプリントでは、アラが目立ちやすいため、こうした色再現上のリスク回避が必要不可欠になる。
彩度を低く抑えるのは、どの人種のポートレートに対しても共通したノウハウであるが、特に、多様な人種が混じって一枚の画像に収まるようなケースでは、このようなやり方しか、無難な方向がないと思われる。
肌色の再現に対する人の願望は、どこから来るのだろうか?単純に美観に由来するというのは、一つの理由かも知れないが、それだけではない。
肌色再現において、どの人種にも共通するのは、シアン方向が嫌われるという点である。シアンは赤と補色の関係にあり、シアン色の肌は、血の気が失せた肌を意味する。つまり、病的な感じを与える。たとえ病気であっても、自分の顔が、不健康な感じに写るのを避けたいと願うのが、人情というものである。
日本人の場合、日焼けすると、皮膚に炎症を起こしたり、シミができたり、皮膚癌に罹りやすくなったりする。
白人が住んでいた所は、緯度の高い地域だった。そのような所では日射が少ない。紫外線は人体に有害な側面ばかりが強調されがちであるが、これを適度に浴びていないと、ビタミンDが体内で合成されなくなり、クル病に罹りやすくなってしまう。また、日射の少ない高緯度の冬場では、季節性情動障害(SAD=Seasonal Affective Disorder、あるいは、Winter Blue or Winter Depression)と呼ばれる病気に罹ったりする。こうした理由から、日本人女性から見たら、うらやましく見える白人女性の肌は、白人女性自身にとっては、必ずしも、理想的な肌色として認識されているとは言えないのだ。
健康に生きるために身にしみこんだ忌避に由来する感情は、長い間に刷り込まれたもので、価値観に対する自覚がない場合が多い。つまり、何故、「この肌色が好きか?」と訊かれても、他の色以上に答えようがないのである。例えば、赤が好きだと言う人に、「何故、赤が好きなんですか?」と訊いたら、「好きだから、好きなんだ」と答える人もいるが、「情熱的、前向きな感じがして、心を奮い立たせてくれるから」と説明する人もいるだろう。橙色のような暖色系の色が好きな人は、「ホッとするから」と答えたりするだろう。また、青や緑のような寒色系が好きな人は、「冷静になれるし、心が落ち着くから」と説明したりする。しかし、肌色の場合は、こうした一歩踏み込んだ答えは返ってこないように思う。「白い肌は綺麗に見えるから」という美観に由来した価値観しか、答として返ってこないように思う。つまり、それ以上説明のしようがないのである。
肌の色が濃すぎることは皮膚癌などと、肌の色が薄すぎることはクル病などと関連付いている。黄色人種や白人にとって、肌の濃淡が両極端に傾くことは、人の健康にとって重大な危険性をはらんでいるという認識が、長い間に刷り込まれたのだろうと思われる。つまり、自分が陥りそうな危険サイドを避けるように、人の心が無意識に動くようになったのである。
