今日ツイッターのタイムラインを見ていたら、プロレスで「ニューヨークの帝王」「人間発電所」と呼ばれていたブルーノ・サンマルチノ氏側亡くなっていたという話が流れていました


ブルーノ・サンマルチノ氏については2つのエピソードを思い出しますが、1つ目が故ジャイアント馬場氏と親友でもう1つはスタン・ハンセン氏のウエスタンラリアットで首の骨を折られた話です


ブルーノ・サンマルチノ氏は怪力ファイターとしてバックブリーカー系やベアハッグを得意としてニューヨークのWWFのエースとして一時代を築いた往年の名レスラーです


まず故ジャイアント馬場氏とは若手時代からの親友でブルーノ・サンマルチノ氏が「ニューヨークの帝王」と呼ばれて、その当時のWWFでトップになって、故ジャイアント馬場氏が日本プロレスのエースになってからもその関係が続き名勝負も展開されました


さらにWWFが新日本プロレスと提携した後は、故ジャイアント馬場氏との友情の為に新日本プロレスのは来日しなかった話も有名でした


日本では全日本プロレスの東京ドームで行われた故ジャイアント馬場氏が亡くなった後の引退試合に代表として参加していたので、覚えている方の多いと思います


そしてもう一つは日本で大成功した外国人レスラーのスタン・ハンセン氏とのエピソードで、ブルーノ・サンマルチノ氏のクビの骨をウエスタンラリアットで折ったという話が、スタン・ハンセン氏を有名にして、日本でも一気に外国人トップレスラーにしました


ただこの伝説には裏話があって、実際の話は若手時代のスタン・ハンセン氏は不器用でボディスラムというプロレスの基本的な投げ技を失敗して、ブルーノ・サンマルチノ氏を誤って首から叩きつけてしまい骨折させたという話です


この当時のブルーノ・サンマルチノ氏はニューヨークで集客力が凄いトップレスラーだったので、スタン・ハンセン氏は凄い批判を受けたそうですが、ブルーノ・サンマルチノ氏がスタン・ハンセン氏を庇い、さらにウエスタンラリアットで首の骨を折ったという伝説にして、2人の因縁の対決の抗争劇はニューヨークのドル箱カードになって、スタン・ハンセン氏を一気にスターにしました


この話でスタン・ハンセン氏は当然ブルーノ・サンマルチノ氏に感謝して、尊敬するレスラーになりましたが、この関係はスタン・ハンセン氏が全日本プロレスに移籍する時に大きな影響を与えます


スタン・ハンセン氏がアメリカで師匠として尊敬しているテリー・ファンク氏から全日本プロレスへの移籍を誘われた時に、その当時新日本プロレスでエースだったスタン・ハンセン氏は当然悩みます


その時に当然信用できて尊敬する先輩レスラーのブルーノ・サンマルチノ氏にも相談しますが、ブルーノ・サンマルチノ氏は故ジャイアント馬場氏は信頼できる人物で、彼の誘いは大きなチャンスだと話をして、故ジャイアント馬場氏が高く評価して問題ないという言葉は凄く信用できるという感じで話しました


これでスタン・ハンセン氏は全日本プロレスへの移籍を決意したという話があります


こういうエピソードを聞いてもブルーノ・サンマルチノ氏はトップレスラーだけでなく、人格者でプロレスラー仲間に信頼されていたのが、わかります


往年の名レスラーがまた一人亡くなったのは寂しいですね