私は結構書店に行くとプロレス関係の本を立ち読みする機会が多く、昔知らなかったプロレスの裏側の話など書かれた本が増えてきて、いろいろ考える事が増えました


外国人レスラーで日本で大成功したレスラーの1人のスターン・ハンセン氏は長年日本で大活躍しましたが、彼のプロレス人生はいろいろタイミングを見れば面白いです   


スターン・ハンセン氏は初来日は全日本プロレスでしたが、外国人レスラーの層が厚いその当時の全日本プロレスでは目立つ事ができなかったです


その後スターン・ハンセン氏はその当時WWFでトップレスラーのブルーノ・サンマルチノ氏の首の骨を折った男として、新日本プロレスに来日してスター外国人レスラーになりますが、この当時の新日本プロレスに来日できたのが、大きかったと思います


この当時の新日本プロレスは外国人レスラーのスターが必要な時期で、スターン・ハンセン氏のような攻めまくるハイスパートレスリングはアントニオ猪木氏がトップだったのでうまく行ったと思います


全日本プロレスはトップ外国人レスラーが多くアメリカンプロレスが主体でしたので、あの当時のスターン・ハンセン氏では頭角をあらわすのは難しく、新日本プロレスで実績を残せたのがよかったと思います


新日本プロレスのトップ外国人レスラーになったスターン・ハンセン氏は全日本プロレスでトップ外国人レスラーだったアブドーラ・ザ・ブッチャー氏を新日本プロレスが全日本プロレスから引き抜かなければ全日本プロレスの移籍はその前は外国人レスラーの引き抜きをしない暗黙のルールがあったようなのでなかった可能性が高いでしょう


この新日本プロレスのアブドーラ・ザ・ブッチャー氏の全日本プロレスからの引き抜きは全日本プロレスにトドメを刺そうとしたという話ですが、この引き抜きがジャイアント・馬場氏の闘志に火をつける結果となりました


全日本プロレスのスターン・ハンセン氏の引き抜きは結構早い段階でジャイアント・馬場氏が動いていたようでアメリカでスターン・ハンセン氏と会って話をしています


このスターン・ハンセン氏の引き抜きはスターン・ハンセン氏のアメリカの恩人のブルーノ・サンマルチノ氏(サンマルチノ氏の首の大怪我はハンセン氏のボディスラムの投げ損ないが原因だったがサンマルチノ氏は庇ってハンセン氏の売り出しに協力した)がジャイアント・馬場氏の大親友で、さらにスターン・ハンセン氏の師匠のザ・ファンクスも全日本プロレスのエース外国人レスラーでしたので、引き抜きは簡単だったと思います


さらに全日本プロレスにはスターン・ハンセン氏のアマリロの修行時代の仲間のジャンボ・鶴田氏や大学時代からの知り合いで昔タッグを組んでいたブルーザー・ブロディ氏という同世代のトップレスラーもいました


全日本プロレスもブルーザー・ブロディ氏の登場で超一流の外国人レスラーのアメリカンプロレスからの変遷が始まっていた時期なので、タイミングもすごくよかったです



このジャイアント・馬場氏との話し合いでスターン・ハンセン氏は「自分の攻めまくるハイスパートレスリングでもいいのか?」と聞いて、「そのスタイルが必要だ」とお墨付きをもらっての移籍になります


そしてスターン・ハンセン氏のあの最強タッグ優勝戦での伝説の登場になるのですが、長くなりましたので続きは次の機会に書きます