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ライフシフト研究家 井上野乃花 公式ブログ

人生100年時代、自分の生き方、考え方で人生が変わる!

さくらんぼ私の著書の中で
最近、会っていないけれど
「5人会いたい人を挙げて、会ってくる」ということを
書きました。


私もその中で
会いたいけれど、もう会えない友人がいます。


今から18年前、広告代理店で
化粧品メーカーを担当していた時、
マガジンハウスの企画開発部のSさんに
「絶対に気が合うから・・・」と言って
角島ますみさんを紹介してもらった。


彼女は素晴らしいクリエイティブディレクターで
フリーの編集者として
HANAKOでエルメスを紹介したり、
さまざまなメディアで
ブランドの流行の楽しい柱をつくった人だった。

当時は撮影の予算もたくさんあったので
好きな写真が撮れるまで
私達はスタジオに籠り、
マガジンハウスの女性誌という土地を
不動産だったら自由自在に
家を建たせてもらった。


彼女のおかげで、本当にクライアントから
仕事をいただくことが出来て
もちろん彼女は他のクライアントさんもたくさんいらしたけれど
私の担当させていただいた化粧品メーカーでは
競合を引き離し、ダントツのシェアを
彼女のおかげで得ることができた。

最初の雑誌の撮影の時に
私が「インディアン好き?」と今のコーチとしての質問から
想像できないぐらいにアホな質問を彼女にしたが、
その質問が彼女にはヒットしたらしく、
「ねぇ、私達、インディアンだったかもね」などと
急速にその質問がパテとなって私達は仲良くなった。

同い年だった。
でも彼女はOLIVEの編集を大学時代から関わっていて
21歳の時に結婚していた。
当時も独身だった私とは大違いで、
中学生の子供がすでにいた。

本当に本当に私は彼女が大好きだった。

私達世代はバブリーの申し子で
もう時代は変わろうとしていたのに、
買い物も好きだった。
特に彼女は、大中小とものを揃えるのが好きで、
私とはケタ違いで
エルメスのものも大中小と揃えてしまうのだ。

感性もセンスも、本当にピカ一の
人だった。

ところが、私も37歳で仕事を辞める時が来た。
ようやく結婚相手ができたのだ。

そうなると忙しい彼女とは疎遠になり、
たまにしか、やりとりができないことになった。

それ以降で思いだすのは、
私が離婚を決断したときに、
彼女にメールを書いた。

彼女はその当時経験者だったので、
NYから長い長いメールをくれた。
ちょっとユーモラスで、またいっしょに仕事をしようと
書いてくれていた。
その気持ちがどんなに心強かったか・・・。

少々、私の離婚のことも長引き、
なかなか連絡を取らない日が続いた。

そして5年前に後輩から彼女の訃報を聞いた。

体調が悪かったのは知っていたが、
あまりにも突然で私は5年間、
ずっとずっと受け入れらなかった。
葬儀が終わったあとに聞いたので
まだずっと信じられず、携帯電話番号も
昨日までそのままにしていた。

でも今年は、彼女と関連する方たちと再会することが
本当に多い。
彼女と会わなくなってから、どうしていたのか、
どんな人が彼女の周りにいたのか、
自分の目と足であるこうと思い、
ネットで彼女のことを書いていた人を見つけ、
連絡を取らせていただきました。