聴こえの障害に関して、2010年5月14日付の朝日新聞で「iPS細胞から耳有毛細胞再生 難聴原因、マウスで成功」というニュースが報じられた。
 『音の聞き取りに重要な耳の有毛細胞を、人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作ることに、米スタンフォード大の大島一男講師らがマウスで成功した。マ ウスでも耳や目など感覚器に関連する細胞を作るのは難しかった。有毛細胞の損傷は難聴の一因だが、再生しないために治療が難しく、再生技術のヒトへの応用 が期待される。

 音は鼓膜などを通じて渦巻きの形をした内耳の蝸牛(かぎゅう)という器官に伝わり、そのなかの有毛細胞によって電気信号に変換され、神経細胞を通じて脳に届く。加齢や騒音、薬の副作用によって有毛細胞が傷つくことで聴覚障害やバランス感覚の障害が起こる。』

 将来、それはいつとは特定はできないが、再生医療が聴こえの障害に対する有効な一手段となる可能性も高くなりそうだ。しかし、それまでは、他の治療法の有効性も考えなくてはならない。

 慢性腎不全で透析医療を受けている患者も、腎移植を巡っての問題もここでは論じないが、将来、再生治療が実用化されるようになれば、透析医療ばかりか、腎移植をする必要がなくなるかも知れない。しかし、それも、まだ可能性の問題であり、現在の段階で考えなくてはならない現実の問題とは、別の次元のことである。


 ろう文化宣言を出した木村晴美さんのメールマガジンの中で、人工内耳と補聴器について触れられた内容のものがあったので、ここに転載させていただく。当事者からの、一つの見解として、大いに参考となると思う。

 

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◆ろう者の言語・文化・教育を考える◆ 
No.156 2010年1月25日
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■<教育・言語> インフォームド・コンセント

 近年、人工内耳装用者が増加している。
 昔は、子どもの耳が聞こえないと診断されると、ろう学校への入学を勧められた。
昔の医療技術では、聞こえない耳への治療法はなく、聞こえない子どもたちはろう
学校の集団の中でろう者になっていったものだ。ところが、最近の耳鼻科では重度
の聴覚障害と診断されると即人工内耳を勧められる。それしか話されない。偏りす
ぎではないだろうか。ある国では、補聴システムから言語習得のことまで広く情報
を提供しなければならないと規定されていると聞いたことがある。保護者は、説明
された複数の手段の中から自ら方針を選択するらしい。今もそのルールが徹底され
ているかどうかはわからないが、日本ではどうだろうか。聞くところによると、ほ
とんど人工内耳のことしか話されていないらしい。

 あるろう者の談。ご子息が通うろう学校の3歳児クラスでは、ご子息を除き全員
人工内耳だという。もちろんそのろう者とて、人工内耳のことを知らないわけでは
ない。知ったうえで人工内耳は不要だと判断をしているそのろう両親のことは、人
工内耳を推奨している大学病院の耳鼻科医たちの間で、頑固者として有名だという。
病院側も何とか人工内耳の手術を受けさせようと長時間説得を試みたらしい。一応、
保護者の意思は尊重すると前置きをしていながら、どんなに断っても説得をやめな
かったそうだ。

 それでも首を縦に振らなかったろう両親に根負けした医師は、人工内耳の代わり
に新しい補聴器を紹介した。スイスのフォナック社が製造しているナイーダという
デジタル補聴器は、国産のものと比べるとはるかに高性能だ。普通の補聴器は生活
音はとらえても、語音弁別は難しいし、国産のデジタル補聴器も発売当初は片方5
0万円と高額で手が届かなかった。ところが、くだんのナイーダはデジタル補聴器
でありながら、人工内耳並みに聴力が回復するという。にわかには信じ難かったの
で試しに装着させてもらったところ、たしかにこれまでの補聴器と比べ物にならな
いくらい明瞭な音だった。

 そのような高性能の補聴器があるのなら、なぜはじめから紹介してくれないのだ
ろうか。聴者並みに聴力を回復させたいと思っているわけではないし、結果がどう
なるかわからないまま、一度手術をしてしまったら取り外すことのできない人工内
耳に踏み切るより、取り外しがきいて効果も高い補聴器のほうがどれだけ安心かわ
からないと、その両親は言っていた。3歳児クラスの人工内耳児たちは、ナイーダ
のことは聞かされていないに違いない。デジタル補聴器を紹介しても病院に入る
マージンはたかがしれている。人工内耳の手術をさせるほうがよっぽどおいしい。
人工内耳の是非はともかく、最近の耳鼻科医はインフォームド・コンセント(説明
と同意)の義務違反ではないかと、その親御さんは語っていた。

 ナイーダが人工内耳に匹敵するくらいの効果をもたらすならば、そちらを選択す
る保護者も出てくるかもしれない。今の耳鼻科医の倫理を問いたいものだ。また、
ろう者も高性能の補聴器の存在をもっとアピールしてもよいのではないだろうか。


(日本語訳:chu)
何うどんが好き? ブログネタ:何うどんが好き? 参加中
 うどんの好みも年齢と共に変わったものが多いが、カレーうどんだけは変わっていない。
子どもの頃は、おかめうどんや鍋焼きうどんも好きだった。おかめうどんは、お正月でもないのに入っている伊達巻きが好きであった。学生の頃は、てんぷらうどんが良かった。立ち食いソバ屋のてんぷらは、丸い形に成形された粉がやけに多い書き上げであったが、ソバ屋で食べるのは、大きなエビ天がのっかったものであった。
 天かすがのっかったタヌキうどんは、まだ、汁が染み込んでいない天かすが好きであった。甘辛く煮込んだ油揚げののっかったキツネうどんは、いまいちだった。※なんでも、大阪では、キツネとタヌキが逆だと聞いたことがある。それこそ、キツネにつままれ、タヌキに騙されたような感じ。エレベーターの乗り方が逆なように、大阪と東京では、文化が違うところがあるらしい。
 
 秋になると、山のきのこを炒めた後に、うどんを入れて煮込んだものが、季節を味わうものであった。天然のきのこの香りと少しばかりの苦みを感じていた。翌日に、煮返すうどんが、さらにおいしかった。最近は、キノコをとった山はすっかり住宅地と化し、たまに、近所の人が田舎から採ってきたキノコを分けてもらった時に食している。

 しかし、最近は、何故かうどんが好きでなくなった。理由は良く分からないが、体質が年齢と共に変わったのだろうか。最近というより、これから夏場にかけては、麺つゆにつけて食べることになる。さっぱり系しか受け付けなくなった。
※なお、地元のソバ屋には、シチューうどんなるものがあるが、まだ、試したことがない。しかし、少しばかり、好奇心が働いている。今度、試してみようかな。

 そんな具合なんだが、カレーうどんは一貫して好きである。カレー南蛮の名前で売られていることも多い。普通のカレーではなく、ソバ屋のカレーうどんの汁には、麺つゆが入っているらしい。南蛮といっても、かも肉がはいっているわけでもなく、大抵は鳥肉が入っている。何故か、カレーと鳥肉が絶妙に合っている。
 所で、ソバ屋あるいはうどん屋の中には、ずいぶんと酷いことをする店がある。それも、デパートにあった店などはひどかった。いわゆるレトルトカレーが、うどんにかかっているのである。それは無いだろうと言いたくなる。
 どうせなら、インスタントのマルちゃんのカレーうどんの方がおいしいのである。大抵は、2玉分をお湯で煮込んで、粉のカレースープを入れる。具など入っていないが、結構好きである。最近は、自分で作って食べる機会もなくなった。

 焼うどんも、苦手になったな。いっそのこと、ケチャップで炒めて、スパゲッティもどきで食した方がいいようだ。

 カレーうどんは、寒い冬もいいものだが、これから、気温が上がって暑い時にも、汗をかきながら食してみたいものである。



 ろう文化宣言をした木村晴美さんのメールマガジンが送られてきた。
毎号、ろう文化の視点から、日本手話に関するテーマの内容のものが多い。
 
 毎号、その内容に驚く。専門の手話通訳士を含めて、聴者の手話学習者の使う手話の問題点をさらけ出す。
 手話を学ぶ聴者の原点がどこにあるのか。いつも、それを考えざるを得ない。

 専門家の手話通訳士ですら、なかなか、ろう文化を背景にした手話表現がろう者に通じるものなのかは、疑問だという。もっと、知らなくてはならないことがたくさんある。
 厳しい内容に見えるメールマガジンも、ろう者の言語習得という意味では、当然の主張なのである。

 反省と気付きをもたらしてくれるこのメールマガジンは、手話に少しでも関わる人から始めて、ベテランとされる聴者にも、必要な情報を発信している。

 今回も、聴者が陥りやすい手話表現のケースを、具体的な場面を想定して注意を促している。

 以下に引用させていただく。このメールマガジンを、手話を学ぶ者が毎号読むことは、有意義な事である。

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◆ろう者の言語・文化・教育を考える◆ 
No.163 2010年5月21日
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■<言語> 日本語と日本手話の語り方の違い


 米内山明宏氏のデフ・ジョークに次のようなものがある。ろう者と聴者の立場を
現実とは反対にした社会風刺で、ろう者がマジョリティである社会で、あるろう夫
婦のところに聴者が生まれる。ろう夫婦はショックを受けるが、子どもを"聴学校"
に通わせ、自分たちがあたりまえに使っている手話を教える。聴児は手話を強いら
れることが辛くてたまらない。ところが、聴児の通う聴学校には両親も聴者という
聴ファミリーの同級生がいた。その同級生は歌を口ずさんだりする。聞けばテレビ
から音が聞こえるらしい。そこでこっそりとテレビの音を聞いてみる・・という話
だ。

 今回は、デフ・ジョークを紹介することが目的ではない。実は、翻訳指導でこの
デフ・ジョークを教材に用いたとき、改めて日本語と日本手話の語り方の違いにつ
いて考えさせられたので、そのことをお話ししたい。

 聴児がこっそり音を聞くくだりは手話で次のように表現されている。<ヘッドホ
ンをつけて、テレビのボリュームつまみをそっと回す> ろう者にとってはあたり
まえの表現だが、聴者はなぜ<ボリュームつまみを回す>を入れなければならない
のかわからないらしい。たしかに、聴者にしてみれば<ヘッドホンをつける>こと
は即ち「音が聞こえる」になるのだろう。しかし、手話では<ヘッドホンをつける
>だけでは音が聞こえることにならない。<ボリュームつまみを回す(音量を上げ
る)>作業をしてはじめて音が聞こえるようになるし、その表現がないと手話とし
て落ち着かない。

 第二言語をがんばって学習しても、その言語らしい語り方まで習得するのは結構
難しそうだ。いくつか例がある。

 「アメリカに本社のあるパソコンメーカーの東京支社が、本社を説得して東京で
生産・販売を開始した」という日本語のテクストを聴者が手話にすると、<本社を
説得して、東京で作り始めた>となる。しかし、これだといま一つ要領を得ない。
しかるべき手話では<本社を説得して、承諾を得て、東京で作り始めた>となる。
日本語の「説得して」は"説得して、承諾を得る"までを含むが、手話の<説得して
>は"説得するための説明"の行為しか意味しない。そこで手話では<説得して>の
あとに<承諾を得て>が必要になるのだ。日本語では「承諾を得て」は言語化され
ない。日本語の語り方を手話に持ち込んではいけない。

 次に、学生の通訳コーディネート実習報告会の話である。これは自分のコーディ
ネート業務を振り返り、成果や反省点を報告しあうものだ。そこである学生が<通
訳依頼の打診をするときに、詳細情報は不要なのに、詳細をメールした>と報告し
た。これでは何が言いたいのかわからない。きっと日本語では「詳細を送ってしま
いました」となり、「しまいました」には"失敗した"という意味が含まれるのだろ
う。その頭で手話をすると<送りました>だけになってしまう。しかし、前の例と
同様に手話の<送った>は"送信"の行為でしかない。そのため<詳細をメールした
>のあとに<失敗した(間違えた)>がないとだめなのだ。

 また、よく聴者は<○○さんに言った>と言う。それで終わる。日本語では「○
○さんに言っておいた」は"言われたほうも了解した"という意味が含まれるかもし
れないが、手話の<言った>には相手方の反応は含まれない。繰り返しになるが<
言った>のあとに<了解をえた><OKと言われた>が必要だ。

 聴者の手話がわかりにくいのは、そのように聴者の手話の語り方が中途半端であ
ることも一因のようだ。<言った>あと相手はどう反応したのか、<送った>こと
は間違いだったのか良かったのか。手話で語るときは手話の語り方にしなればなら
ない。大変かもしれないががんばってしごかれてほしい。


(日本語訳:chu)』

 この内容のことを、知人のろう者に聴いてみたら、その通りだと言ってくれた。