ブログネタ:雪だるまに命が宿るのと一生とけないカマクラをもらうの、どっちがいい?
参加中 このブログネタ、書こうと思った当初は、すんなり書くことができると思っていたのです。でも、この質問はとても意地悪にも思える質問だったのです。
最近は、連日睡眠不足が続いていて、昼間なども、パソコンで文章を打ち込んでいるうちに、とても短い間ですが、うたたね状態で、しかも、とても奇妙な夢をみることが多くなっています。こんな状態が続くのは、心身ともに悪いことでしょうから、この生活リズムを変える必要があります。しかし、その時に見る夢は、時として心地いいものだったり、意味深なものであったりするのです。
そんな夢の中で、このブログネタを語ってみたいと思います。
少年時代は、今とは違い、雪が降ればひどく心が騒ぎ出しました。夜などに降り出せば、翌朝、たくさんの雪が積もっていることを願っては、床についたものでした。一面の銀世界は、まさに子供の遊びの天国でした。といっても、私の住む所は雪国ではありませんでしたから、積もったとしても、つかの間の雪の世界でしかすぎませんでした。
小さな雪玉を作って、それを雪の上で転がしながら、大きな玉を二つ作り、重ね合わせて雪だるまを作ります。その日が、晴れ渡った日ならば、放課後の頃には、すっかり雪だるまは痩おとろえるか、ひどく汚れて溶けていました。雪が純白でも、お日様に十分当たった所は、土が又勢いをまして、一時は、醜い世界に見えたものです。しかも、一所懸命に作った雪だるまも、悲しい存在と化していたのでした。
そんな思いが、雪だるまには込められているのでした。
雪の女王が、少年だった私に持ちかけた選択がまさにブログネタであったのです。当然のように、「ぼく」は、雪だるまに命を宿らせてもらうことにしました。それは、まさに、雪が積もった朝のことでした。
雪だるまは、「ぼく」の分身のようでした。雪の女王が、「ぼく」の心をもとにしたからかもしれません。「かれ」と、ずっと雪の中で語り合いました。雪の中を散歩もしました。通行人がいるときは、「かれ」はじっとして立っていました。そうすれば、誰も「かれ」が、雪だるまでしかないのですから。
しかし、昼近くになると、「かれ」の体が心持ち、溶け出したように感じられました。そう、命を持った「かれ」も時間の経過とともに、溶けてしまうかもしれなかったのです。
「ぼく」は、自分の望みがとんでもないことになることに、ようやく気がつきました。「かれ」に、ここからすぐに立ち去るようにいいました。北の方に旅立つ事を。さしあたっては、北海道の流氷に乗って、もっと北の方に行くように話しました。でも、実際は、雪だるまの「かれ」が一人で旅することは不可能でした。
フランケンシュタインの話を思い出しました。北極海を一人彷徨う姿を。この人間によって創られた命は、永遠の孤独の中、生き続けなくてはなりませんでした。雪だるまの「かれ」も、もし、一年を通して雪の世界にいけたとしても、その孤独には耐えられないといいました。だから、一時の命を終えても、その時間を生きられてことに満足するといいました。お別れの前に、ハグしてほしいと言いました。「かれ」をそっと抱きしめました。「かれ」は、「ぼく」の体が温かいねといいました。「ぼく」は、「かれ」の冷たい体の奥に、「かれ」の温かい心を感じとりました。
その時、一生溶けないかまくらがあったなら、その中では「かれ」も、ずっと命を他もてることに気がついたのでした。雪の女王は、二つの選択肢から一つを選ばせました。最初から、結末がわかってのことだったのです。
「ぼく」は、悲しい結末に至る選択をしてしまったのでした。
うたた寝は、かくのごとくして終わりました。今は、都合のいい結末を考えています。大人になると、ずるくなれるものですから。
雪の女王は、春の女王の姉でした。四季は、それぞれの季節の女王が支配していました。それぞれの季節も、移り行くものです。雪の女王が、「ぼく」に意地悪な選択をさせたときは、ちょうど、厳冬が終わろうとしていた時のことだったのです。雪の女王の冷たい心にも、雪だるまが溶け出したときには、春の暖かさが少し宿ったのでした。春を前にした冬の姿でした。だから、彼女は、その日の夕方に、雪だるまの「かれ」を、自分の国に連れて行くことに決めたのです。彼女も又、冬の国ではひどく孤独な存在だったのでした。
と、都合のいい話をでっちあげてしまいました。命をもてあそんでは、いけませんよね。
最近は、連日睡眠不足が続いていて、昼間なども、パソコンで文章を打ち込んでいるうちに、とても短い間ですが、うたたね状態で、しかも、とても奇妙な夢をみることが多くなっています。こんな状態が続くのは、心身ともに悪いことでしょうから、この生活リズムを変える必要があります。しかし、その時に見る夢は、時として心地いいものだったり、意味深なものであったりするのです。
そんな夢の中で、このブログネタを語ってみたいと思います。
少年時代は、今とは違い、雪が降ればひどく心が騒ぎ出しました。夜などに降り出せば、翌朝、たくさんの雪が積もっていることを願っては、床についたものでした。一面の銀世界は、まさに子供の遊びの天国でした。といっても、私の住む所は雪国ではありませんでしたから、積もったとしても、つかの間の雪の世界でしかすぎませんでした。
小さな雪玉を作って、それを雪の上で転がしながら、大きな玉を二つ作り、重ね合わせて雪だるまを作ります。その日が、晴れ渡った日ならば、放課後の頃には、すっかり雪だるまは痩おとろえるか、ひどく汚れて溶けていました。雪が純白でも、お日様に十分当たった所は、土が又勢いをまして、一時は、醜い世界に見えたものです。しかも、一所懸命に作った雪だるまも、悲しい存在と化していたのでした。
そんな思いが、雪だるまには込められているのでした。
雪の女王が、少年だった私に持ちかけた選択がまさにブログネタであったのです。当然のように、「ぼく」は、雪だるまに命を宿らせてもらうことにしました。それは、まさに、雪が積もった朝のことでした。
雪だるまは、「ぼく」の分身のようでした。雪の女王が、「ぼく」の心をもとにしたからかもしれません。「かれ」と、ずっと雪の中で語り合いました。雪の中を散歩もしました。通行人がいるときは、「かれ」はじっとして立っていました。そうすれば、誰も「かれ」が、雪だるまでしかないのですから。
しかし、昼近くになると、「かれ」の体が心持ち、溶け出したように感じられました。そう、命を持った「かれ」も時間の経過とともに、溶けてしまうかもしれなかったのです。
「ぼく」は、自分の望みがとんでもないことになることに、ようやく気がつきました。「かれ」に、ここからすぐに立ち去るようにいいました。北の方に旅立つ事を。さしあたっては、北海道の流氷に乗って、もっと北の方に行くように話しました。でも、実際は、雪だるまの「かれ」が一人で旅することは不可能でした。
フランケンシュタインの話を思い出しました。北極海を一人彷徨う姿を。この人間によって創られた命は、永遠の孤独の中、生き続けなくてはなりませんでした。雪だるまの「かれ」も、もし、一年を通して雪の世界にいけたとしても、その孤独には耐えられないといいました。だから、一時の命を終えても、その時間を生きられてことに満足するといいました。お別れの前に、ハグしてほしいと言いました。「かれ」をそっと抱きしめました。「かれ」は、「ぼく」の体が温かいねといいました。「ぼく」は、「かれ」の冷たい体の奥に、「かれ」の温かい心を感じとりました。
その時、一生溶けないかまくらがあったなら、その中では「かれ」も、ずっと命を他もてることに気がついたのでした。雪の女王は、二つの選択肢から一つを選ばせました。最初から、結末がわかってのことだったのです。
「ぼく」は、悲しい結末に至る選択をしてしまったのでした。
うたた寝は、かくのごとくして終わりました。今は、都合のいい結末を考えています。大人になると、ずるくなれるものですから。
雪の女王は、春の女王の姉でした。四季は、それぞれの季節の女王が支配していました。それぞれの季節も、移り行くものです。雪の女王が、「ぼく」に意地悪な選択をさせたときは、ちょうど、厳冬が終わろうとしていた時のことだったのです。雪の女王の冷たい心にも、雪だるまが溶け出したときには、春の暖かさが少し宿ったのでした。春を前にした冬の姿でした。だから、彼女は、その日の夕方に、雪だるまの「かれ」を、自分の国に連れて行くことに決めたのです。彼女も又、冬の国ではひどく孤独な存在だったのでした。
と、都合のいい話をでっちあげてしまいました。命をもてあそんでは、いけませんよね。