関東大震災が、今後、いつ起こってもおかしくないという状況下で、我々、透析患者もクリニックと共に、震災時の対応について話し合うようにしている。日本透析医会も、地震などの震災時の指針を決めている。ネットでアクセスすれば、透析施設の状態が分かるように、ネットワークも構築した。
 患者も、震災時用の病状や薬、そして最も大切な透析環境の情報が書かれたカードを持ち歩くように始動されている。
 地元の八王子では、去年、八王子腎友会が立ち上がったが、今年の課題の一つは、震災時の市との協議である。すでに、聴覚障害者協会等の団体は、市との防災委員会を組織して、現在、相談を進めている。

 さて、10日の教育テレビ『ろうを生きる難聴を生きる』では、『今 震災体験を語る ~永江真樹~』を放送した。

1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こった。今年で15年目に当たる。
6000人を超える方が亡くなり、全壊・半壊の家屋は46万世帯に及んだ。多くの被災者は、避難所生活、仮設住宅での生活を余儀なくされた。
 その時に、不自由な避難所生活に加え、障害故の苦しい体験を送ることになった。聴覚障害者もまた、コミュニケーションの問題に由来する多くの苦難の経験をすることになった。震災時の、障害者の二重の苦労に社会も注目するようになった。番組では、『阪神大震災・聴覚障害を持つ主婦の体験 紫陽花 まき著』を出版した神戸市の永江真樹さんが出演して、本の中でも触れらている家族との避難生活を手話で語った。

 永江さん一家は、アパートの2階に生活していたが、地震で建物が破壊され、下の階に住んでいた3人が亡くなっている。
 永江さんの家族は、ろうの夫婦に、聴者の2人の子どもがいる。震災当時、子どもが情報を知らせてくれたが、なかなか状況を把握するのが困難であった。
 近くの小学校で、半年の避難所生活も送ることになるが、放送による情報提供だけが行われたために、食事支給についての情報も入らず、並ぶ列はいつも最後尾で、食料がなくなってしまったこともあった。また、家族全員が並んで1食ずつ受け取るという指示が伝わらずに、家族4人分の食事を要求しても、1食分しか支給されない時もあった。そんな時は、1食分を子ども2人に食べさせ、親は空腹を我慢した。
 中でも、番組を観ていて驚いた事件は、仮設電話の使用に関して起こった。避難所の電話を使用するためには、列の中で順番を待つ必要があった。しかし、電話の中で、ファックス機能が付いたものは1台だけであった。永江さんが列に並んで、自分の順番が来た時には、普通の電話が空いただけであった。そこで、ファックスの出来る電話の方へ進んだ所、他の人間達から「欲張り」と怒られた。その時に、息子さんがいて、聴覚障害者はファックスを使う必要があると説明しても、人々の怒りは収まらず、見知らぬ男性が駆け寄ってきて怒鳴りながら永江さんの左肩当たりを殴り、彼女は倒れた。これを見ていた息子さんは、恐怖で震えていたそうだ。
人間の無理解が生みだす心と腕力による暴力の事を知って恐ろしくなった。その場にいた人々は、誰一人、こうした暴力を止めようとはしなくて、共犯となってしまっている。
 仮設住宅での、永江さん一家の生活も、やはり、コミュニケーション手段が保障されていなかったために、苦労の多いものであった。お茶飲み会がたびたび開かれたが、参加者に高齢者が多く、永江さんが筆談しようにも、目が悪くて読むことが困難であった。折角、仲良くなろうという気持ちからの参加であったが、手話通訳者もいなかったために、それ以後は、お茶飲み会に参加することもなかった。仮設住宅での生活の各面で、手話通訳者の派遣等が保障されていれば、コッミュニティーに積極的に参加出来たのに。

 今、永江さんは、本を通して、震災時の聴覚障害者の置かれる2重の不自由さを社会に伝えようとしている。最も大切な事は分かりあえること、永江さんはそれを伝えようとしている。

阪神大震災・聴覚障害を持つ主婦の体験/紫陽花 まき
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録画した番組、いつ見る? ブログネタ:録画した番組、いつ見る? 参加中
 一昨日も、劇団四季の演劇を録画しましたが、まだ見ていません。というか、この劇団の「鹿鳴館」も撮りっぱなしでいつみるか未定です。だいたい、演劇関係は、録画するとその時点で安心して、放置することが多いですね。
一つの番組も時間が長いので、いざ見るとなると、時間を用意しなくてはならないのが現実です。

 特に自分好みの放送はすぐに観ます。この間の、瑛太が出ていた「牡丹灯籠」は、録画の翌日に観ました。

 好き嫌いというよりは、観ておいた方がいいかなという番組は、放置されることが多いです。劇団四季の公演もそうかな。

 福祉関係とか、歴史関係、ドキュメンタリーなどは、ブログに記録しておきたいので、何度も再生して観ています。文章にするのって、結構大変で、一回だけ観てもうまくいきません。内容を落としてしまうことがあるからです。特に、自分で重要な番組だと思うものは、実際にリアルタイムで観ながら、録画し、その後も何回も観ますね。

 DVDに録画したものを写して場合は、やっぱり、観ていないものが多いです。透析の時に、毎回、DVDの作品を1本観るようにしていますが(今日は、「ナイスの森」観て、ぶっ飛んでしまいました。でも、「ナイスの森」は買ったものです)、クリニックの隣が図書館なんで、そこで借りたDVDを観ることが多いので、自分で録画したものを観るのはめったにありません。

 書籍と同じ傾向があるようです。本も、必要に迫られてものや、タイムリーなものは買ってすぐに読みますが、その他の多くの本は、「つんどく」状態です。買ってしまった段階で、いつでも読めるという意識が働いて、放置してしまします。録画番組も同じですね。撮った段階で、いつでも見られるという意識が働くと、よっぽど暇な時でも来ないと観ないということです。以上が結論でしょうか。