最近、とても気になっていることは、「障害者」という言葉の表示です。

 まず、「障害者」を「障碍者」と改めようとする人たちです。
害も碍もどちらも「さまたげ」という意味を持っています。ただ、「害」という字が気にいらない人が多いようです。でも、「障害者」という言葉を見て、はたして、害のある人と感じる人はどれくらいいるというのでしょうか。この主張をする人たちには、以前は、戦前は「障碍」という字を使っていて「障害」という使用法はなかったという誤解をする人がいました。今では、戦前は、明治期も含めて、両方の表記がされていたことが確認されています。

 次に「障がい者」という表示を多く見かけるようになりました。やはり、害の字がネックになっていたようです。でも、もしも、この「がい」は、元はどんな感じだったんですかと質問されたら、どうこたえるのでしょうか。先日、朝日新聞のコラムにも、障害者表示のことが載っていましたが、「障がい者」という表記は優しい、柔らかい感じがするとしていました。そこが、まさに問題で、表記を変えることで、本質が隠れてしまう危険性があるということです。

 一昔前、メディアを言葉狩りの嵐が吹き荒れた事があります。言葉を変えれば、本質も変わるのかは疑問です。むしろ、言葉の意味や使用法も、時代とともに変化してきています。ノーマライゼーションの世の中に近づけば、障害者という言葉の意味も当然変化するはずですし、現在も、この言葉が差別の直接の原因とは言えません。

 阪神淡路大震災の時に、多くの障害者の方が、避難生活等で苦しい経験をされました。健常者の理解が進んでいなかったからです。もし、当時、「障がい者」という言葉を使っていたとしても、事態は変わらなかったでしょう。

 こうした言葉にこだわる人たちは、障害者というよりは、その支援者や、専門職を辞任している人に多いのかもしれません。自治体で、表記を変える動きがあった時も、誰が発案したのかは、だいたいが根拠と一緒で不明です。

 以前、ある社会福祉士の方のブログで、こうした言葉に関するこだわりを見た事があります。この方は、当然「障がい者」という表示を主張する人でした。
 その人が、ある時、エイズデイのキャンペーンの時に、「エイズ撲滅キャンペーン」という表示がなされていることに異議を述べていました。その理由は、エイズ撲滅は、エイズ患者撲滅ということに理解される恐れがあるというものでした。一体、この世の中に、「エイズ撲滅キャンペーン」という言葉を見て、「エイズ患者撲滅キャンペーン」と理解する人が、どれほどいるのでしょうか。もちろん、ホモフォビアの人間や、宗教上の原理主義者の人たちの中には、そういう言葉がなくても、エイズ患者に対する憎悪は存在するのは、別問題だと思います。
 本質より、言葉にこだわる人は、上から目線の、自分は福祉の専門家だという意識が強いように感じられます。

 なお、エイズデイキャンペーンは、HIV/AIDS予防という観点と、HIV/AIDS患者への偏見をなくし、彼らへの社会的サポートを進めるために、「撲滅」という言葉は最近は使わなくなったようです。先の言葉にこだわる人とは、違う展開をした訳です。そして、そうした運動を展開するための、社会への啓発の必要性が認識されるようになりました。言葉にこだわる時間があったら、そうした変化を支える運動を進めた方が良いということです。

 専門職の人ほど、実は、障害者に近いようで、遠い所にいることがあるかも知れないというリスクをいつも理解している必要があることを認識してほしいと思っています。

 聴覚障害者の人たちが、今でも、「ろう」という言葉に誇りを持って運動していることも、認識してもらいたいと思っています。