ブログネタ:今痛いところ
参加中今、痛い所は僕の心です。心が痛い、懐かしい人に会いたい、、心のとげを抜きたい、この世知辛い世の中を生き抜きたい、本音が言える環境が基本ね、などというのは冗談です。精神的な痛みには、案外順応性があるようです。「心が痛い。死んでしまいたいくらい」というのは口癖となっていますが、自分に対する愚痴みたいなものです。さもなければ、とっくに心ではなく、脳の病気になっています。明後日は、患者団体の勉強会のお手伝いの予定でしたが、中心となる進行役の人の急病で、当日の司会をはじめ、イベントの責任者になってしまいました。また、近所で急な不幸がありまして、同じ日の夕刻にまでは急いで帰宅して礼服に着替えてお通夜に参列となりました。周囲のコミュニケーションをめぐる複雑な人間関係とともに、気分が落ち込みそうでありますが、いざとなると現場で踏ん張れるようです。お気楽な性格なんでしょう。色々な人と出会えることも、思った以上に楽しんでいます。多様性を示す人間との縁を大切にしたいなどと思っていますので、苦手な人がいることも納得しています。心の本当の痛さは感じないのでしょうね。その分、自分で腹を立てることが少なくなく、心を自ら痛めとしています。
さて、本題に戻って今痛いのは身体の一部です。痛みが継続するものでも、その痛みがいつかは消えるものとはっきり分かっている場合は、耐えることができます。激しい歯の痛みも、やっとの思いで歯医者に行った場合、治療が始まればしばらくの痛みには我慢できるのも、同じ感覚です。ところが、痛みが消えるめどが立たない時は、不安な暗い気持ちが加わって、痛みが消えずに後遺症となって残ったらなどと最悪な展開を考えてしまいます。人間は、精神的な存在とされている割には、身体から来る痛みには比較的簡単に精神も参ってしまうようです。痛みの存在が常に気になって仕方ない、人とは脆い存在です。
今、気になっている痛みは、両足首のくるぶしの外側の部分です。原因は、5月の連休を中心としたイベントに参加した折、連日、会場への往復に重い荷物を持って歩いて通ったことによる足首に対する負荷であります。会期中は、お客さん相手が仕事の中心ですから、テントの中でもなかなか休めませんでした。最終日などは、家に帰る一歩のしんどかったこと、途中で小さな子どもに追い越されていきます。一応は、帰ってからシップを貼ったのですが、足首は腫れなかったものの、翌日から透析クリニックに通うのが苦行でした。クリニックでは、痛み止めの飲み薬と湿布薬をもらいましたが、いつもは、クリニックの往復は歩行だったのが、途中までバスに乗ることにしました。途中までというのは、昼食用のお弁当を買っていかなければならないからでした。バス停で待っている時に、強風が吹くことがありましたが、思わず身体がよろけてしまいました。こうした経験は、嫌でも障害者や高齢者のバリアフリーの問題点を身体で体験することになりました。ノンステップバスの乗りやすいこと。普通のステップだと乗り降りの度に足首に痛みが突き刺さりました。一見、平らな歩道も、小さな凹凸があって、普段ならひっかけない足を引っ掛けて、前につんのめりそうになりながら、またもや、足首を痛めるのでした。
でも、徐々には良くはなっているようです。劇的には変化はしませんが。今では、歩き始めは痛いものの、何とか、歩きながら痛みが軽くなり、早歩きも出来るようになりました。クリニックの行き帰りも、歩行の回数を増やしています。でも、買い物をしすぎた時は、足に負担がかかりますから、少し振り出しに戻った感覚です。程度は前よりましですが。それに、痛みにも馴れたようでもあります。痛みも、ある程度のレベルだったら、身体や気持ちと親和するのかもしれない、というのが今の感覚です。この痛みが永続することを恐れながらも、何とかクリアできると信じて、なるべく歩行することをリハビリだと考えて希望をもっています。そうでもしないとやっていけないからかもしれません。すぐに整形外科に行けばよかったのかもしれませんが、透析をしていると、なかなか他の診療を受けにくいのが現状です。入院ということになっても、透析施設が整っている病院でなければ不都合が起こってきます。
現在の痛みは、耐えられるレベル内の親和状態にあるようです。