今日は梅雨らしく飴が一日降っていた。これから、色々と生活が忙しくなりそうだし、父親の病状もいつj急変するか分からない。5月のイベントで痛めた両足首もまだ痛みがとれない。何とか、早歩きができるようになったし、比較的長い距離も歩けるようになった。反面、ほんの少し前に多めに減らしたドライウエイトを、今度は血圧低下防止のために、ぐっと上げたので、足首が支える体重はきついのである。歩き方にミリをしてきたのか、歩行中は腰が痛くなる。でも、気にしないで歩くようにしている。痛めた当初は、強い風が吹くと身体の平衡を保つのが難しかった。今は、多少痛くても歩く時間を増やそうとしている。脚の筋肉も退化してしまうからである。クリニックの帰り道は、このところ、ずっと自分の足で歩いて帰っている。雨降りの日が少なくなったら、行きもバスではなく歩いていこうと思う。
雨が降っていて、暇な日は、今のうちにプラネタリウムに行こうと思いたった。久しぶりだ。昨年は、「銀河鉄道の夜」を何回も観た。三角標のことや、星座の位置など、銀河鉄道の夜の読書からはよくわからなかったことが、視覚によって理解できた。作品世界が広がったようだ。他にも、色々な投影作品を観たし、「本日の夜空」という解説員さんの説明を聴きながらの星空の探訪も楽しんでいる。
子どもの頃、夜空を見るのが苦手であった。じっと見てると、星空の中に身体が吸い込まれそうになり、思わず足をすくましたものであった。だから、星空を長く観ることは苦手であった。好きな理科も、宇宙の知識は興味の対象であったが、星座を実際に観ることに関する知識は案外少なかった。星座を校正する星の名前も覚えることがほとんどなかった。
プラネタリウムが地元に出来てから、ろう者の友人が誘った。それまでは、ドームを見ることがあっても、中には入らなかった。大学生の頃は、渋谷にあった五島プラネタリウムに行くことにあこがれたが、ついに一度も訪れることがなかった。いつかは、どこかのプラネタリウムを初体験した思いつつ、地元にできたそれにはなかなか行くことはなかった。
その時、上映中、ろう者の友人は眠っていた。音のない世界で、暗闇の中、就寝してしまったのも納得してしまった。映画を観る時は、かろうじて隣りの彼と手話で話すことができるが、すっかり暗くなったドームの中では、全くコミュニケーションできない。今夜の星空の解説の後に、投影番組があったが、動画というよりは、スライドを丸天井に映しだすだけのもので、あまり楽しいものではなかった。
「銀河鉄道の夜」を中心とした作品の投影を観に行き出したのは、プラネタリウムの投影機の性能が良くなって、まさに、立体的なリアルな、あるいは幻想的な投影を楽しむことができるようになってからである。
今日のような日にプラネタリウムに行って、リアルの世界では雨空では見えなかった夜空の星々を天球に観ることは素敵なことである。新暦の七夕の日は、晴天の日が少ないので、プラネタリウムの星に願いをかけることも、また、楽しからずや。
夏の大三角をはじめ、ベガやアルタイルなどの星の名前と、それらが作り出す星座の名前も、覚えるのが嫌で苦手だったものも、解説を聴きながら自然に覚えることができるようになった。「惑星」の意味も最近理解したことである。今日覚えてことは、星座の数が88で、そのうち南半球でしか観ることのできない星座は4つだけということ。
プラネタリウムに映しだされる風景の観客から観る方向の地点から写真を撮ってみた。雨の中の、少しぼんやりした空気の中に、プラネタリウムが写っていた。少し前、あの中で、今晩見えるはずの夜空を観ていたのであった。
雨が降っていて、暇な日は、今のうちにプラネタリウムに行こうと思いたった。久しぶりだ。昨年は、「銀河鉄道の夜」を何回も観た。三角標のことや、星座の位置など、銀河鉄道の夜の読書からはよくわからなかったことが、視覚によって理解できた。作品世界が広がったようだ。他にも、色々な投影作品を観たし、「本日の夜空」という解説員さんの説明を聴きながらの星空の探訪も楽しんでいる。
子どもの頃、夜空を見るのが苦手であった。じっと見てると、星空の中に身体が吸い込まれそうになり、思わず足をすくましたものであった。だから、星空を長く観ることは苦手であった。好きな理科も、宇宙の知識は興味の対象であったが、星座を実際に観ることに関する知識は案外少なかった。星座を校正する星の名前も覚えることがほとんどなかった。
プラネタリウムが地元に出来てから、ろう者の友人が誘った。それまでは、ドームを見ることがあっても、中には入らなかった。大学生の頃は、渋谷にあった五島プラネタリウムに行くことにあこがれたが、ついに一度も訪れることがなかった。いつかは、どこかのプラネタリウムを初体験した思いつつ、地元にできたそれにはなかなか行くことはなかった。
その時、上映中、ろう者の友人は眠っていた。音のない世界で、暗闇の中、就寝してしまったのも納得してしまった。映画を観る時は、かろうじて隣りの彼と手話で話すことができるが、すっかり暗くなったドームの中では、全くコミュニケーションできない。今夜の星空の解説の後に、投影番組があったが、動画というよりは、スライドを丸天井に映しだすだけのもので、あまり楽しいものではなかった。
「銀河鉄道の夜」を中心とした作品の投影を観に行き出したのは、プラネタリウムの投影機の性能が良くなって、まさに、立体的なリアルな、あるいは幻想的な投影を楽しむことができるようになってからである。
今日のような日にプラネタリウムに行って、リアルの世界では雨空では見えなかった夜空の星々を天球に観ることは素敵なことである。新暦の七夕の日は、晴天の日が少ないので、プラネタリウムの星に願いをかけることも、また、楽しからずや。
夏の大三角をはじめ、ベガやアルタイルなどの星の名前と、それらが作り出す星座の名前も、覚えるのが嫌で苦手だったものも、解説を聴きながら自然に覚えることができるようになった。「惑星」の意味も最近理解したことである。今日覚えてことは、星座の数が88で、そのうち南半球でしか観ることのできない星座は4つだけということ。
プラネタリウムに映しだされる風景の観客から観る方向の地点から写真を撮ってみた。雨の中の、少しぼんやりした空気の中に、プラネタリウムが写っていた。少し前、あの中で、今晩見えるはずの夜空を観ていたのであった。