トッペイのブログ

 人間は一人では生きられない生物である。関係性で、他者との距離を測る事が出来る。無人島でたった1人で暮らす時には、他者との利害関係も生まれないし、法律などの社会制度も必要ないし、犯罪も起こらない。
しかし、寂しい世界である。『キスをしても1人』などと、自由律の俳句のパロディを作った所で、1人で薄笑いをしてお終いである。アートも人間の表現であるから、当然、他者がいなければ意味ないものである。物理的には、命のない物体である絵画と向かい合った時に感じることは、やはりその絵画が表現するものを、自分の生きている環境の関係性に置き換えて、あるいは関連させて観ている事になる。音楽を聴く行為も、奏者の存在を感じているし、その感動を他者に伝えたい、共有したいとも思うものである。

 アートの世界も人を通して、自分と結び付き、その関係性が限りなく広がっていく可能性を感じ取っている時、幸福感を感じていたりする。人との縁が、アートとの縁につながる事があるのだ。偶然に見えて、また、ばらばらに見えていた世界がつながったりする。

 透析施設の中は、まさに社会の縮図であるというのは、たびたび話していることである。特に、利害関係のある者が意図的に集まった社会でもないし、共通の事業を起こすためにまとまった社会でないのは、当然の事で、透析療法を受けなければ死んでしまうという事で、たまたま同じ施設に通う事になっているだけなのである。この小さな社会の構成員には、老若男女、さまざまな才能の持ち主、多様な職業に就いている事、所有する財産の多い少ないの格差、等々社会を映し出した世界である。ロマンポルノの上垣保朗監督も透析患者であり、長年の透析生活を患者会の会長を務めながら、劇団を主宰している。今年は、かつての日活作品に出演していた女優さんたちがアンサンブルを舞台の上で披露してくれた。感激できたのも、透析患者という縁であった。

 今年の七夕は、雨の降る日であった。透析終了後、風姫さんの『公開リハーサル』の会場へ赴いた。P..A.I を主宰し、障がいのある人と舞台を作り上げている西東京アクターズスクールも、八王子を中心に長年続けられているアーティストである。西東京アクターズスクールの存在は、公民館に置かれていたチラシで知っていたが、実際に観る事が出来たのは、今年の5月13日の「第Ⅷ期終了公演『Q』」が初めてであった。それまでは、なかなか行く機会がなかった。思い切りがなかったというのが正確な表現なのだろうが。
 そのWASの活動も、風姫さんによる事が分かったのは、初めてチラシを見てから随分と後の事であった。

 風姫さんやWASの人に会ったのは、精神障害の共同作業所『パオ』の作品展を3年ほど前に観に行ったのが最初であった。こちらは、通行人のごとき単なる観客の一人であったが、回を重ねるごとに、少しずつ「縁」が深まっていった。ありがたいことである。

 そして、今回の『公開リハーサル』。案内では、「BOB (DRUMS) vs Kazehime (PERFORMANCE)」とあったが、最近のミュージックシーンに疎いので、BOBさんが「TEPPAN」というバンドのドラマーである事は、会場で初めて知った状態であった。ドラムスの歴史の解説もあったりして、勉強にもなったが、興味深かったのは、風姫さんとBOBさんの出会いであった。その「縁」が、今回の公演にもつながっている。人間の「縁」とは、真に不思議なものである。
 音楽?ドラムと、風姫さんのダンスをはじめとするパフォーマンス。豊かな表現力を持った打楽器としてのドラムスの存在は意外であった。両者の絡み合いは、人間の根源を流れている原始の心に共鳴した。普段は、表に出ないが、アフリカに初めて人類が登場して以来、私たちの一番深い基盤となっている根源性に直接訴えかけてきたような、思い出させるような力が働いたかの様であった。それは、原初の人間が持った宗教心にもつながっているようにも感じた。同時に、現代社会のごく普通の日常生活を送る我々の生き方にも、ドラムの音に乗って、風姫さんの非日常的な身体の動きが働きかけてくる。

 今後、アートとのどんな「縁」が生まれてくるのだろうか。未知なるものへの期待感と、関係性を持つ事への待望の気持ち。人間は、一人だけで存在するものではない。1人ずつの個性が尊重される他者との世界の関係性の中に存在する。当たり前のような事の再認識。