ブログネタ:エイプリルフールの思い出を嘘でもいいから語ろう
参加中 子どもの頃は、エイプリルフールは、たわいもないウソばかり、仲間内で言いあっていました。でも、ほとんどが、その日が、エイプリルフールということを知っていたので、だまされる人はめったにいませんでした。あまりにも、ありふれた日になっていたのでした。
中・高校生ともなると、その日にウソをつくこと自体、しなくなりました。みんな、大人に近づいていくうちに、バカバカしく思うようになってしまいました。
ろう者の友人、といっても、年齢は親子くらい離れているですが、4月1日に、メールしたんです。現在は、昔と違って携帯電話が登場したおかげで、ろう者とはメールでコミュニケーションできます。とても便利なものが出来たと感激しています。10年位前、ろう者の知人と新宿駅で待ち合わせる約束をしたことがあります。でも、実際は、相手がそのことを忘れたのか、それ以前に、コミュニケーションが取れていなかったのかもしれません。そんな訳で、改札口の所で1時間近く待っていました。結局は、彼は来ませんでしたが。その時、つくづく思いました。聴者だったら、電話などで連絡がつくだろうし、約束する時も、意思が伝わったかどうか考えもしないでいいということを。連絡の方法がないまま、時間だけが過ぎていく。ろう者も、きっと、聴者との間で、コミュニケーションがうまくとれなくて、寂しい思いをするんだろうなと、実感しました。当時は、ファックスも我が家にはありませんでした。また、ろう者も、住んでいる自治体から貸し出しを受けていたようです。それが、今は、携帯がありますから、メールで同じ時間のコミュニケーションを共有できるようになりました。
さて、話をもとに戻して、彼にしたメールの内容は、今日は何かウソをつきましたかという質問でした。そしたら、帰って来た返事は、何故、今日はウソをつくのか理由が分からないというものでした。エイプリルフールの意味が分からなかったということです。
漫画の専門学校も卒業して、漫画だってたくさん読んできたはずです。彼が21年間、生きてきた間に、一度もエイプリルフールの情報が入らなかった、そのことに驚かされました。
現代は、情報過多の時代です。たくさんの情報が、世の中を、自分の周りを飛び回っています。でも、そうした情報がキャッチするのが難しい人たちがいる。もちろん、僕たち聴者でも、世代間や、出身地で、共有しない情報がたくさんあります。しかし、情報の多くが、音を介して伝えられるということに気がつきにくい。
改めて、ろう者にとって手話が母語であることと、手話が言語として認められ、情報が保障される必要性を痛感した4月1日でした。
なお、最近出版されて、手話を学ぶものではちょっとした話題になっている『ろう者のトリセツ 聴者のトリセツ』東本は、我々聴者も、ろう者の独自の文化を知らないというギャップを教えてくれる本です。
たとえば、「悪くない」という手話は、最高のほめ言葉になるということです。聴者が、料理を作って、ろう者に味はどう?って聞いた時、「悪くないね」って言われたら……。きっと、聴者は、自分の料理はおいしくもないし、まずくもないと言われたと思い、がっかりするでしょうね。
また、1時10分前に会いましょうと約束したら、ろう者が1時8分か9分頃来たという話も、時間に対する捉え方が違うんですね。12時50分と言えば良かったのでしょう。
二つの文化の、コミュニケーションギャップの話は、ウソのようで本当の話です。手話を学ばれている方は、是非、お読みください。そして、文化の違いの一部でも理解できたらいいですね。
中・高校生ともなると、その日にウソをつくこと自体、しなくなりました。みんな、大人に近づいていくうちに、バカバカしく思うようになってしまいました。
ろう者の友人、といっても、年齢は親子くらい離れているですが、4月1日に、メールしたんです。現在は、昔と違って携帯電話が登場したおかげで、ろう者とはメールでコミュニケーションできます。とても便利なものが出来たと感激しています。10年位前、ろう者の知人と新宿駅で待ち合わせる約束をしたことがあります。でも、実際は、相手がそのことを忘れたのか、それ以前に、コミュニケーションが取れていなかったのかもしれません。そんな訳で、改札口の所で1時間近く待っていました。結局は、彼は来ませんでしたが。その時、つくづく思いました。聴者だったら、電話などで連絡がつくだろうし、約束する時も、意思が伝わったかどうか考えもしないでいいということを。連絡の方法がないまま、時間だけが過ぎていく。ろう者も、きっと、聴者との間で、コミュニケーションがうまくとれなくて、寂しい思いをするんだろうなと、実感しました。当時は、ファックスも我が家にはありませんでした。また、ろう者も、住んでいる自治体から貸し出しを受けていたようです。それが、今は、携帯がありますから、メールで同じ時間のコミュニケーションを共有できるようになりました。
さて、話をもとに戻して、彼にしたメールの内容は、今日は何かウソをつきましたかという質問でした。そしたら、帰って来た返事は、何故、今日はウソをつくのか理由が分からないというものでした。エイプリルフールの意味が分からなかったということです。
漫画の専門学校も卒業して、漫画だってたくさん読んできたはずです。彼が21年間、生きてきた間に、一度もエイプリルフールの情報が入らなかった、そのことに驚かされました。
現代は、情報過多の時代です。たくさんの情報が、世の中を、自分の周りを飛び回っています。でも、そうした情報がキャッチするのが難しい人たちがいる。もちろん、僕たち聴者でも、世代間や、出身地で、共有しない情報がたくさんあります。しかし、情報の多くが、音を介して伝えられるということに気がつきにくい。
改めて、ろう者にとって手話が母語であることと、手話が言語として認められ、情報が保障される必要性を痛感した4月1日でした。
なお、最近出版されて、手話を学ぶものではちょっとした話題になっている『ろう者のトリセツ 聴者のトリセツ』東本は、我々聴者も、ろう者の独自の文化を知らないというギャップを教えてくれる本です。
たとえば、「悪くない」という手話は、最高のほめ言葉になるということです。聴者が、料理を作って、ろう者に味はどう?って聞いた時、「悪くないね」って言われたら……。きっと、聴者は、自分の料理はおいしくもないし、まずくもないと言われたと思い、がっかりするでしょうね。
また、1時10分前に会いましょうと約束したら、ろう者が1時8分か9分頃来たという話も、時間に対する捉え方が違うんですね。12時50分と言えば良かったのでしょう。
二つの文化の、コミュニケーションギャップの話は、ウソのようで本当の話です。手話を学ばれている方は、是非、お読みください。そして、文化の違いの一部でも理解できたらいいですね。