認知症老人の詩 ~消えかかる記憶を辿って~

認知症老人の詩 ~消えかかる記憶を辿って~

認知症で要介護5の母が2022年6月に永眠しました。享年94歳。これは、おぼろげな呟きに込められた思い出の場面を辿った介護日記です。

母が他界して3年。このブログを書くこともめったになくなりましたが、8月は、お盆だけでなく、母の誕生日と父の命日がある月でもあり、また、終戦記念日には、東京の荒川区で生まれ育った父が体験した東京大空襲、大阪の天王寺区で生まれ育った母が体験した大阪大空襲の惨状を想像するなど、両親が生きた人生に思いを馳せる機会が多いひと月です。

 

特に今年は私自身が3月頃に少し体調を崩し、念のためというぐらいの気持ちで診察を受けたところ、どうやら軽いものではないらしく、しかし、様々な検査を受けてもなかなか明確な結果が出ず、不安な日々を過ごしながら、これまでの自分自身の人生を振り返ったりもしていただけに、かつてないほど、生きることや死ぬことについて深く考えていました。

 

検査が進むにつれ、医師の言葉も次第に深刻な口調になってきて、もしかすると余命宣告なんてものをされるのか?…という局面までもあったのですが、結果的には、そこまでには至らずに済みました。

 

普段、メールやLINEなどには律儀に返信している私ですが、さすがに、それらの通信機器から離れて独りで考え込んでしまう日々もあり、突然沈黙した私に対して、何事があったのかと心配してくれた知人たちには申し訳なく感じつつ、皆さんの言葉が大きな慰めにもなりました。

 

おかげさまで、なんとか無事に生きております。

 

とりあえずは、まだ生きていられるようで…とてもありがたいことですし、残る人生をどう過ごすか、そして、どうやって締めくくるのかといった課題に、真剣に向き合わねばと考える日々です。

 

そんな中で思い出したのが、このMV。

 

 

脈絡のない映像をコラージュしたようなMVで、もしかしたら、この世を去るときに見る走馬灯のような情景というのは、こんな感じなのかな…なんていうことを、これまでになく切実な思いで考えたりしていました。

 

人生最後の瞬間に脳裏をかすめていくのは、劇的な出来事なんかじゃなく、むしろ、なんでもない小さな記憶の断片なんじゃないか…そんな気がするんですよね。

 

子供の頃に遊んだ公園で揺れていたブランコとか、授業中にボーっと眺めていた校庭の木々とか、街中でふと立ち止まって見上げた空とか…ごく当たり前のような情景の記憶が、人生の終焉には、とりとめもなく押し寄せてくるのではないかな…なんて考えていると、不思議に穏やかな気持ちになりました。

 

自分が、いつ、そんな走馬灯を見ることになるのか、今はまだ予測がつきませんけれど、できれば、穏やかで心和む情景ばかりだったらいいなと思い、日々のささいな出来事や何の変哲もない日常の風景を、今までとは少し違った気持ちで眺めているこの頃です。