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鵜住居駅(うのすまいえき)は、岩手県釜石市鵜住居町16にある、JR東日本・山田線の駅です。

2011年3月11日の東日本大震災による地震・津波被害により、山田線(宮古~釜石間)は現在休止状態にあり、この区間の駅舎の多くが破損、又は流失しています。
この区間の駅訪問記事に関しては、2010年までに取材訪問したものであり、駅などの情報は震災前のものになりますので、今現在とは異なっていることを、ご了承いただきたいと思います。

自治体は釜石市に入ります。震災直後の鵜住居駅周辺もまたほぼ瓦礫と化し、線路は築堤からずり落ちるか、捲れ上がった状態だったそうです。

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今現在は瓦礫も大分片付けられたらしいです。鵜住居と言えば日本の白砂青松100選のひとつにも選ばれた「根浜海岸」という美しい海水浴場がありました。自分もよく海水浴へ行っていましたので、今ごろどうなっているのか気になります。
鵜住居駅は、大槌駅に比べあまり多く写真を撮らなかったのが悔やまれるところではありますが、その分、動画が2つあるので在りし日の鵜住居駅の姿を目に焼き付けていただきたいと思います。



元々築堤上に線路があり、ちょうど封鎖された階段の前に昔は立派な駅舎がありました。
(今回の津波で流されたのではありません)
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その階段の代わりに、このようなカラフルな地下通路を抜けてホームへ上がります。
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島式ホーム1面2線を有する地上駅でした。
のりば:1■山田線(上り) 陸中山田・宮古方面:2■山田線(下り) 釜石方面
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ホーム中ほどには待合室がありました。
利用状況は2003年度のデータまでしかなく、1日平均人数は229人。
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釜石駅が管理する無人駅。
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快速「はまゆり」は、下り「4号」のみ停車(大槌駅と同じ)
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宮古方面 大槌駅まで4.0km
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この先、昭和35年のチリ地震津波以降、コンクリートの防潮堤が水際に造られた区間だったのですが・・・
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その宮古方から、駅側に続く側線が分岐してました。
後の建物は保線作業の詰め所か何かだったと思いますので、保線車両などが使っていたかも知れません。
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歴史
1939年(S04)09月17日 開業。
1985年(S60)03月14日 鵜住居駅長廃止、大槌駅長管理下となる(駅員は大槌駅員派遣により継続)。
1987年(S62)04月01日 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
2005年(H17)04月01日 大槌駅の業務委託化により駅員派遣廃止、無人化。釜石駅長管理下となる。
2011年(H23)03月11日 東北地方太平洋沖地震で発生した津波により流失。
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何気なく撮った線路越しに写っている鵜住居の街並み・・・
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JR山田線・盛岡駅基点149.2km 海抜6.4m
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釜石方面 両石まで2.2km
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この先、長内川橋梁(33m)から恋の峠トンネル(305m)。25パーミルの勾配を津波は遡上したそうです。
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エスペラントによる「Plaĝo(プラージョ:砂浜)」という愛称がついていた。
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駅名由来。
諸説あります。鵜がたくさん飛来し住み着いたところの意味。
この土地に中世の「鵜住居氏」の本拠地が置かれていたことに由来するなど。

駅前風景。
奥は国道45号線。震災時すでに「三陸自動車道」が開通していましたが・・・
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最後は動画です。たまたま列車が来たので、到着と発車シーン2本撮影していました。





次の駅へ、続きます・・・