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マラソンの練習における効率 : 最適な練習方法の選択 (特集 効率のよい練習とは)  白方健一


テーマ:効率


「マラソンの練習における効率―最適な練習方法の選択―」
白方健一、TopGearランニングクラブ代表、NASM-PES、修士(体育学)
―――リード文
ランニングクラブ代表として多くの市民ランナーをはじめトップ選手も指導する白方氏。マラソンの練習において最適な方法を選択することが効率のよさで、そのためには選手の感覚を育てる必要があるという。現役ランナーとしての経験も含めてお話を聞いた。
 
しらかた・けんいち
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効率のよい練習とは
マラソンでよい結果、つまり短い時間でゴールするためには、練習の効果を最大限にパフォーマンスに生かすことが重要です。多くのランナーが目標の月間距離を決めて取り組んでいます。ですから、月末になると、目標達成に向けて頑張って長距離を走ります。その結果、短期間に集中した過度な練習によって故障して、結果的に効率の悪い練習となることがあります。
 よくマラソンでは「(練習で)走った距離は裏切らない」といわれることがありますが、ただ走れば速くなるわけでないことは、上記のように明らかです。上手に距離を走ってこそ、速くなります。たとえば趣味でランニングを始めたばかりの人は、はじめ5kmを走るのが大変でしょう。しかし、2,3kmの練習を続けると、次第に5kmが楽に走れるようになります。それを続けると、10kmも楽に走れるようになります。このような人が自分の成功体験を転用してマラソンの練習を展開していくと無駄が多くなります。無駄の反対が効率のよさですから、つまりは効率の悪い練習です。10kmを楽に走れるようになった理由と因果関係とは違います。しかし、そこを選手が理解するのは難しいものです。
 そこで、その日のランニングの調子とフォームとを照らし合わせて差異を考え、練習をはじめ様々なコンディショニング方法の中から適切なものを選択することが重要です。私は2月初旬にフルマラソンに出場しました。そしてその2週後の30kmロードレースに出場しようとしています。この間の2週間に実施してきた練習はゆっくりとしたジョギングのみですが、30kmロードレースの2日前にあたる今日、久しぶりに速いペースの練習を実施しました。そうすると、走っていてきついのです。しかし、周囲の人からは、身体が軽そうだと言われました。主観とフォームとにギャップがある状態です。これを自己分析すると、久しぶりの速いペースのランニングできつく感じたけど、フルマラソン後にジョギングしかしてこなかったことで疲労が抜けて軽く走れているように見えたのか、ということでした。さらに2日後の30kmロードレースの走りを感じてフォームを見て、今回のスピード練習がどのような影響を与えたかを答え合わせします。マラソンやマラソンに向けた練習は、このようなロールプレイングゲームで、自分の感覚やフォームなど身体とのキャッチボールを面白いと感じることができれば、効率的な練習を選択できる可能性が高まります。
「マラソンは苦しいものだ」「苦しいから私はよく頑張っている」「よく頑張っているから、よいパフォーマンスが出せるはずだ」という考えは、効率とは結びつきません。確かにマラソンには苦しい面もありますし、そういうメンタリティとマラソンは結び付きやすいとは思いますが、コンディションのよい状態で好循環のサイクルを踏んで、その上ではじめてステップアップするという考えのほうが短期的にも長期的にも向いていて、それが効率のよい練習に繋がると思います。マラソンは非常に単純な競技ですが、いろいろなところに効率の悪くなる落とし穴がたくさんあります。そうならないようにするためには、自分のコンディションを感覚で捉えて、フォームをはじめその他の指標と照らし合わせて、練習をはじめとしたコンディショニング方法を適切に選択することが重要です。
 
練習の質と量
効率のよい練習の定義は、トレーニングの効果を最大限にパフォーマンスに生かすことだと捉えています。効率のよさを考えるために、反対の効率の悪い練習について考えてみると、まず効果の低いトレーニングを実施していること。次にトレーニングの効果を上手にパフォーマンスに変換できないこと。つまりたとえば、故障や疲れ、目標に対してピークが早くまたは遅く来ること、調子にムラがあること、そしてそういったことに一喜一憂することです。これらを避けるためには、質の高い練習が必要です。ただ、質が高いという言葉を聞くと、高強度のトレーニングをイメージしてしまいがちですが、それは本質的なところではありません。本質的に質の高い練習は、その人にとって今必要な練習です。ですから質の高い練習の内容は、その人によって、その状況によって、刻々と変化します。質の高い練習は、40km走がよいのか、インターバルトレーニングがよいのか、筋力トレーニングがよいのか、ファンクショナルトレーニングがよいのか、治療がよいのかを選択する、その目だといってもよいでしょう。そして、この質の高い練習を個人で選択するのが難しいので、できる限り無駄をなくすために密なコーチングを行なっています。
質の高い練習と比較してよく出されるのが、量の問題です。練習の量を増やすと、様々なことを発見できる機会は増えます。たとえば野球で素振りを1000回実施すれば、その中でいろいろなことを発見できるでしょう。しかし、何も考えずに量だけをこなすと、ただやっているだけの作業になってしまうので注意は必要です。また、多量の練習を実施して、発見をした様々な成功や失敗を次に転換することが大事です。つまりPDCAサイクル(計画し、実行し、評価して、改善するサイクル)が回っていることが重要です。一般市民ランナーに多いのは、たとえば「レースの後半でいつも失速するんだよね」の繰り返しで、何度も何度もレース後半で失速して失敗することです。失敗の内容を評価して改善のための策を講じなければ、何度でも同じ失敗を繰り返すでしょう。次に量の問題で多いのが、故障です。走れるようになると、どんどんと距離を増やしていきたくなりますが、たとえば1回10kmを走っている人が20km走れば故障する可能性があります。ましてや30kmも走れば、きっと故障が起こるでしょう。これは現在走っている量の2倍、3倍に相当するからです。同様に月100km走っている人が200km走れば、これも倍ですから、きっと何らかの不具合が起こるでしょう。月100kmが少ないとか、200kmが多いという話ではありません。そこで私は、1.25倍を目安に量を増やしています。過去に走っていた経験がある人でも1.5倍までの距離にします。そうすると無理が起こりにくく、故障が生じづらい印象です。
 
練習強度のピラミッド
 このように量と質をコントロールして効率のよい練習を組み立てていきますが、その時には目標が必要です。年間のレース数は3本までが効率がよいと考えています。1本目のレースで失敗しない走りをします。つまり楽なペースで走っていって、最後に少しでもペースを上げられれば、その選手の余裕の度合いが確認できます。2本目のレースは、一定のペースで走リ続けることを目標にします。そして3本目のレースは、攻めの姿勢で臨みます。
一定の練習を積んだら、まずはレースに出て走りきれるペースで走ってみて、その後に何がパフォーマンス発揮のボトルネックになっているかを検証していきます。そうしないと、たとえば練習で常に一定ペースで走っている人に新たに筋力トレーニングを行わせた結果、その後のレースで完走できたとしても、それは筋力向上の成果なのか、はたまたゆっくりのペースだから走りきれたのかがコーチにも選手本人にもわからないからです。
 ただし、選手によっておおよそ得意な練習と苦手な練習は存在しますから、コーチとして選手を指導する際には、事前に練習強度のバランスを見ています。パフォーマンスを向上させるのに理想的な割合は、いわゆる有酸素運動レベルの息の上がらないものを6割、ミドルペースでいわゆるLT(Lactate Threshold:乳酸性閾値)レベルの息が上がるものを3割、スピードを上げるような息の荒れるものを1割以下とされています(図1 練習強度のピラミッド)。このピラミッドは、走距離として見ています。つまり、月100km走る人にとって、スピードを上げるためのトラックでの1kmの練習を週1回で月4回実施すると月4kmで1割以下になります。LTレベルでは、テンポ走、ビルドアップ走、ペース走と呼ばれる種目を30km程度実施します。そして残りの60km強をレースペースよりもゆっくりとしたジョギングとします。
しかし、理想的な練習強度のピラミッドが作れている選手は多くありません。たとえば、いわゆる有酸素運動のような楽なペースの練習しかしていない選手は、その上に能力を積み上げていくことができません。このようなゆっくりとした練習が好きなのは女性に多い印象です。一方で、レースや練習会(通常、LTレベルやスピードを上げる目的で集団になって実施される)が好きな選手は、ベースとなるいわゆる有酸素能力が低いことがあります。このような速い練習が好きなのは男性に多い印象です。このように、性差はもちろん、マラソンは性格の出る種目だと思いますので、指導する上での参考にしています。いずれのタイプにしても、同じ種類ばかり練習していると頭打ちになってパフォーマンスを向上させられず、結果的に効率の悪い練習をしてしまうことがあります。
さらに、月間走行距離も事前に聞いています。市民ランナーとしては十分と考えられる月300km程度走っている人がいますが、その中には毎週末のようにレースに出たり30km走をしていたりして、練習に流れができていない人もいます。そのような練習の仕方をしている人は、どこがメインのレースか、どこで疲労を抜くかという練習量の波ができておらず、練習を続けているうちに途中で疲れてしまって目標に届かないことが多いものです。そうならないために、練習に流れを作ります。
 
練習に流れを作る
 練習メニューを作る際には、頑張る週と頑張らない週とを繰り返させます。ランニングをはじめたばかりの人には、各1週ずつとしています。つまり頑張る週にはLTレベルの練習やスピードのための練習を入れてそれ以外はいわゆる有酸素運動としてのジョギングを中心とし、頑張らない週はジョギングのみとします。これに慣れてくると疲労から回復した状態で練習できるので、安定して練習が積めるようになっていきます。これを私は練習の安定感と呼んでいます。安定感が出てくると、頑張る週を2週続けても継続的に練習ができます。また、普通の週、頑張る週、頑張らない週という3週1パッケージの展開もできるようなります。一方で安定感のない選手は、常に頑張り続けているので慢性的な疲労状態にあって、何となく調子がよい日や何となく調子が悪い日があって練習の波が明確でありません。練習に波があって変化がつけられると、選択できる練習のバリエーションが広くなりますし、調子のよい時期を作りやすくなります。
 もう少し長期的な目で期分けとして見ると、3ヶ月から半年の期間を3段階にわけてベースの走り込み、本格的な走り込み、仕上げという3つの期間にわけて実施しています。また、各期の移行期には1週の頑張らない週を入れています。期分けが長期間になり過ぎるとモチベーションがもたないので、ある程度は目先の結果も必要で、ルーティーンを踏んで成功体験をして理解していってもらったほうが進めやすい印象です。
 このように練習の質と量、練習強度のピラミッド、距離の伸ばし方、練習の流れを意識して目標とするレースに向けて逆算すれば、あまり無理なく、無駄なく、効率的な練習が組めます。集中したスピード強化やベースとなる持久力向上のための山登りなどは、レース半年前までに済ませておいて、レース直前の3ヶ月くらいはスマートに進めます。
 そしてレース直前の仕上げ期には、レース4週前に30km走をします。本格的なランナーは4週前に40km走、3週前に30km走、2週前に20km走、1週前に10km走をすることがセオリーですが、フルマラソンで3時間を切るまでのランナーでは40km走という長距離走は必要ないと考えていますので、4週前に30km走、3週前に25km走、2週前に20km走、1週前に10km走と距離を落としていくことが多いです。ペースに関しても、目標レースペースよりも遅めに実施することが多く、20km以上の距離走ではレースペースよりも1kmあたり30秒以上遅くしたペースで走ります。つまりフルマラソンの目標タイムが3時間30分(1kmあたり4分59秒ペース)であっても1kmあたり5分30秒や6分ペースで実施するということです。多くの選手が目標レースペースと同等やレースペースよりも速く走りたがるのですが、そもそもレースの目標をなんとか頑張って達成できるところに設定する人が多いので、あまり速いペースで練習するとレースに疲れを残してしまいます。また、レースペースよりもペースを上げて実施すると、練習を走りきれずに途中で終わってしまう人が多いのです。選手は「補給が上手くいかなかった」「脚に疲れが残っていた」とできなかった理由を探しますが、レース本番でもそうなってしまう体力しか持っていないのかもしれません。ですから、レース前の距離走でペースを上げる必要はありません。むしろペースを上げて途中で走れなくなってしまうよりも、ペースは遅くともしっかり30kmなりを走った経験を積むことのほうが大事です。そうすればレースに向けて疲労を抜いていくだけで、レースでは完走できるようになります。確実さや安定を土台に敷いてあげて、その上に積み重ねていくことがマラソンにおける練習の定石です。
 東京マラソンまで残り2週間となった練習会の日、21kmと30kmの距離走を同時に実施しました。東京マラソンに出場する、レースまで2週間という選手の中にも、せっかくだからと30km走に参加したがる人がいました。しかし、これまで練習してきたから大丈夫なのだと声をかけて、21kmまでとしてもらいました。目標通りに完走できるか不安なのでしょう。完走できることを事前に確かめておきたい気持ちはわかりますが、練習の効果だけでなく、練習によって生じる疲労にも目を向けるべきです。レース本番までには徐々に練習量を落として疲労を抜いていけば、それまでに準備しているのだから大丈夫です。逆説的には、本番のレースで大丈夫になるように、計画を組んで実行していくことが大事です。
 このようにして効率のよい練習を組みます。効率のよい練習と聞くと難しいことのように思えますが、つまりは余分な練習をしないこと、無駄に疲れないことです。ただ、そのための練習方法を選択する目を養うのは一般のランナーには難しいものです。中には理解する力の高い選手もいて、拙著『マラソンは3つのステップで3時間を切れる!』を読んで実際に3時間切りをしたと報告してくれた人がいます。そういった一部の非常に理解の高い方を除いたところに、コーチの存在意義があるのだと思います。
 
―――囲み記事「ビギナーが早くゴールするために」
ランニングを始めたばかりのビギナーの方は、走り続けること自体がきついものです。そこでランニングとウォーキングのインターバルを実施します。これを行なうと簡単にブレークスルーすることがあります。具体的には9分走って1分歩くものです。これを6セット実施すれば1時間です。セット数を徐々に増やしていって12セット、2時間まで走れるようになれば、マラソンに出ても5,6時間で完走できます。
マラソン本番でも練習と同じように、はじめから給水所などで歩けばよいのです。疲れてしまってから立ち止まると脚が固まる感覚が出ますし、歩いたとしても既に疲れているので速く歩けません。疲れる前からランニングに歩きを織り交ぜれば、早歩きできて、走るのと歩きの波を少なくしてスピードを落とし切らずにゴールできます。また、早歩きでも心拍数は急激に下がりますから、体感的にも楽です。それを練習でやっているのです。練習の成果をレースで発揮するという意味では、効率のよい方法だと思います。それでも、どうしても走りたいという人には、30km以降で走ることを勧めています。
他にも500m42本という練習も実施しています。合計21kmです。2分走ったら1分休むのを繰り返します。実施時間が長いので集中力は要しますが、身体は非常に楽で、それほど走れない人でも走破できます。練習に対する満足感もありますし、故障のリスクも少なく、持久力を上げることもできます。ただ、1人で実施するのはつらいので、大勢で実施するとよいメニューです。
60代の方から、12月のマラソンに向けて夏に指導の依頼を受けました。その方はランニングを始めたばかりでしたから、こういったランニングと早歩きのインターバルトレーニングなどで持久力を高めるとともにレースの準備をしました。結果は5時間30分くらいでゴールできました。
マラソンのパフォーマンスは早くゴールすることです。そのためには全てを走りきるのではなく、途中で歩くのも一つの方法です。
―――囲み記事ここまで
 
感覚を育む
実は、感覚はマラソンのパフォーマンス、つまり効率のよい練習と密接な関係があります。
内的な要因として、ダイエット目的で走り始めた人の中には、しっかりとした食事が摂れていなくて、走り始めて半年ほどで貧血や疲労骨折に至ることがあります。逆の面から見ると、食事のリテラシーが高い人、実家暮らしで食生活が安定している人、結婚前後の人などは調子がよいことがあります。マラソンや駅伝のテレビの解説でよく「この選手は来年結婚するんですよ」や「結婚したてです」と聞くことがあると思います。それは、テレビに映るトップ集団の中に、そのような人が多いからかもしれません。ランニングはシンプルな競技ゆえに、食事など環境面によるフィジカルの状態が如実にパフォーマンスとなって現れるのでしょう。自分の身体を作っている食事に興味をもったほうがよいということです。
 外的な要因として、マラソンにおいてシューズとインソールは、唯一の道具といっても過言ではないでしょう。シューズやインソールを選択する時に、それらを使ってどこが疲れるかを感じることが重要です。長い距離をゆっくり走るなら底の厚い靴を履いたほうがダメージは少ないことがわかりますし、逆にスピードの練習をする時は地面反力をもらえる底の薄い靴を履いたほうがよいことがわかります。このように練習の内容による疲労の違いを感じ取って、靴を履き分けることは非常に重要です。また、そもそも足に合っている靴かを感じ取ることも重要です。
 練習時には、たとえばランニングコースを何周も回る練習会で、速いペースから遅いペースまで複数のペースのグループを作って走ることがあります。その時に1周走ってみて「今日の自分にはペースが速いからもう少し遅いペースで走る」と途中でグループを変更する人がいます。しかし、それをレースでやったらオーバーペースで必ず後半に失速してしまいます。自分のその日の体調を把握して、必要な練習をするのが効率のよさです。
長距離走をする時に、どれくらいの距離や時間でやったほうがよいかと聞かれることがあります。提示するトレーニングメニューでは幅を持たせて80~100分などとするのですが、時間よりも実施する選手の感覚として「少し長くは感じるけど、これ以上できない」ところまで追い込まないようにと伝えています。このように感覚を育むことが、適切な練習方法を選択することに繋がります。
 練習の効果がパフォーマンスに転換されてその時々のパフォーマンス、つまりペースが決まります。練習の時に一発でサクッと自分に見合ったペースを選択できる人は効率がよい練習のできる人です。実際に走ってみてからペースを選択するのではいけません。そのためには、その日までの練習で、脚の重さ、体調の良し悪し、走った時のきつさ、そういったことを感じることです。そしてLTレベルやスピードのための練習を実施して、さらに感覚を掴んでほしいのです。
つまり、体調はその時々のものではないということです。時間とともに帯のように流れていくもので、その流れを掴むことが重要です。というのも、たまたま調子がよかった、あるいは調子が悪かったと振り返る人がいますが、レースで「たまたま」を再現することはできません。その日のウォーミングアップで全てを決めるのではなく、長いスパンの中で上がり調子なのか下がり調子なのか、ピークが過ぎてしまっているのかを感じ取るのです。これは自ら積極的に感じ取ろうとしないと、わからないものです。そのために、練習だけではなく、上記のように食事、道具、ペースなどを感じ取らせる練習をしてもらっています。何か難しいことをするわけではありませんが、感じてもらうだけで難なくレベルアップすることがあります。それは、感覚を育むことで、適切な練習方法を選択できる確率が高まるからです。
 自分の得意なメニューでは、定められたペースを守れずに勝手にペースアップして目的とする練習が実施できないことがあります。そうならないために、自分のペースを感じる能力が必要です。数字で決めてもわかりやすいのですが、感覚も重要視したほうが、感覚の精度も上がってくるので、より理想的です。それでも、中には、メニューに沿った練習を愚直に実施するのみで、自分のコンディションを感じ取れない人もいます。そのような場合には、治療家の方にも協力してもらいます。治療家から、どれくらい疲れているか、どこが疲れているかを私が聞きます。たとえばスピードが出せるようになってくると、下腿よりも殿部が疲労します。トラックでの練習が多いと足首周りが疲れます。そういったフィードバックも参考にして練習の強度をコントロールします。選手からの情報だけでは不十分なこともありますから、ランニングコーチとしては選手のフォームと合わせてこういった情報があると、より効率のよい練習を組み立てることができます。
 指導する全員が同じ状態で同じ答えがあるわけではありませんが、各種の能力を最大公約数的に広げてあげれば、総合得点が高くなってパフォーマンスに寄与すると思います。その中でも最初は、一度楽にしてあげてさらに少し得意なところを広げてあげて、全て安定した状態から苦手なところをチャレンジしていくという手順です。
 
楽しみを持って進める
 目標達成意識の高い人は、走り過ぎていることが多くあります。つまり、LTレベルやスピードのための練習が実施できていません。しかし、それらを追加するとオーバートレーニングになってしまうことが多いので、指導の最初の3ヶ月程度は、いわゆる有酸素運動レベルの練習量を減らして安定感を持って練習できる状態を作ります。それはまるで水を貯めるためのダムを作るような作業です。積み上げていく前に、まずダムを作っておかないと水が溢れてしまいます。そうしておいてから、これまで実施してこなかったLTレベルやスピードの練習へ多様性を持たせるように進めて、3ヶ月後から開始する本格的な練習に備えます。たとえばウィンドスプリント2,3本から実施します。それだけでも、やらないのとやるのとでは大きな違いです。これがダムを作る作業です。このように進めると、どのような練習メニューも選択できる状態になっていきますし、多くのランナーは少し楽な状態を経験することができてランニングの楽しさを取り戻してくれます。
女子選手の中には、高校時代に何とかコンディションを調整してレースに出場し続けた結果、その後の実業団ではよい結果を残せない人がいます。たとえば貧血があるのに長距離走を続けているような選手です。一方で、高校では凡庸な成績で、大学に進学して少し体重が増えたものの、その後に実業団に入って成功する選手もいます。ここからわかるのは、各年代で常にギリギリで結果を求めてやっている人は伸び代が大きくなく、伸び代を余らせながら継続している選手はじわりじわりと強くなっていくことです。
本来、よい教育をするための手段の一つが運動です。競技結果を求めて健康を害してしまうのは本末転倒です。スポーツは元来遊びです。マラソンは生涯スポーツですから続けて欲しいと思うのですが、遊びのマインドを持っていないと続かないと思います。あるスポーツメーカーによる調査では、ランニングを始めて1年以内に約7割もの人が辞めてしまうことがわかっています。ランニングを辞めた理由を見ると、時間的なものの他に、ケガがあります。ケガの原因はオーバーワークや、そもそも不向きな練習、つまり効率の悪さです。自分に関心を持つことが大事だと言いましたが、好きの反対は無関心だといわれることからわかるように、関心を持つことはプレーする、遊ぶというメンタリティに繋がりやすいと思います。
 レース本番を走れるか走れないか、一か八かと頑張るのもよいとは思いますが、適切な練習を選択する精度を高める遊びだと捉えれば、本来のスポーツの楽しみに繋がりやすいのではないかと思います。そうして毎回の練習をよくできたと「シメシメ感」を持ってやったほうが、毎回楽しく練習できます。そして発表会であるレースで楽しく思う存分走るのです。そのために私ができることの7割くらいは人間観察だと思っています。その人となりと、その人の今の状態、他から聞ける情報を含めて、選手を観察しています。選手本人が自分で情報を集められればそれでよいでしょうし、情報収集をコーチに頼るのもよいでしょう。
 このようにして効率のよい練習が実施できると、これまでよりも自由な時間が増えます。そうすると時間の問題でランニングを辞める必要はなくなりますし、選手であれば好きなことに費やせます。走らずにコンディショニングをするのもよいでしょうし、治療に行くこともできますし、趣味に時間を割いてリフレッシュすることもできます。最近、私は練習メニューの中に治療の時間も入れることがあります。30km走など疲労が溜まる練習後に治療を受けて早期に回復すると次の練習の選択肢が増え、さらに効率のよい練習が組めます。
 私が代表を務めるランニングクラブに中学生が入ってきました。誰かの練習方法を見て、それを真似するだけではいけません。方法論だけでは上手になりません。自分に見合った適切な練習を選択することに楽しみを感じること。それを伝えられるように本当の意味での体育、教育を通して、スポーツの楽しさを教えることが課せられていると思っています。
 
―――囲み記事「テクノロジーの活用」
・低酸素トレーニング
私は仕事の都合上、有酸素運動のためにジョギングする時間があまり取れません。そこで、有酸素能力を維持・向上させる目的で低酸素ルームを使ってトレーニングをしています。ですから、低酸素トレーニングでは、あまり頑張る練習はしていません。その他に陸上ではトップ選手と一緒にスピード練習を実施しるくらいです。有酸素能力の低下はマラソンにとって、大きな痛手です。それを比較的簡単に維持・向上できるのが低酸素トレーニングの利点です。ここ1年以上は週1回以上のペースで使っています。
その結果、頑張る練習や長時間の練習がしばらくできていなくても、久しぶりに頑張る練習をした時のパフォーマンスが出しやすい実感があります。実際にタイムを見ても、長期オフ後のフルマラソンを今季2時間41分で走ることができました。自己ベストの2時間29分からすると余裕があったという見方もできます。しかし、2時間40分程度で走る人なら月間300~350kmは走っているのが一般的ですが、その時の私は月間150km程度でした。最小限の練習でパフォーマンスを発揮できたということは、効率がよい練習が実施できたということでしょう。
ですから、そういった意味では、ハードな練習をするとダメージが残りやすい初心者の人にも低酸素トレーニングは向いていると思います。実際に、大学の駅伝部などでは、故障者や故障明けの選手たちが積極的に低酸素トレーニングを実施し始めていると聞きます。
また、先日のフルマラソンまで痛みを抱えていたので、低酸素ルーム内で自転車も使ってトレーニングしていました。たとえばタバタ・プロトコルを自転車で実施しました。これは主観的にかなりきついものです。実はマラソンは主観的なきつさへの慣れも必要で、ある程度慣らしておかないと、本番で大変です。主観的にきついけど疲れが残りすぎず、さらに有酸素能力の維持・向上が比較的簡単にできる低酸素トレーニングは非常に便利です。トップ選手では、1000mを10本走るスピードの練習の10本目のみを低酸素トレーニングで行うと聞いたことがあります。ひょっとすると主観的なきつさに耐える練習をしつつ、有酸素能力のさらなる向上も目指しているのかもしれません。
 低酸素トレーニングは、血管系をはじめ身体の状態がよくないと実施できません。また、追い込み過ぎてしまうことがあり、予想よりも疲労が残ることがあります。これらのトレーニングは、本来やりたい練習を楽にするために補完するメニューなのですが、そのものの疲れが残ってしまっては強度の低い練習しか選択できなくなってしまいます。そこで、やり過ぎに注意しつつ、低酸素トレーニングについてはレース2,3日前まえに実施するのがよいと感じています。
 
・GPS機能付き腕時計
 GPS付き腕時計がランナーに広く普及してきています。しかし、持ってはいるものの、普段のペースを把握していない人もいます。また、ピッチも表示されるのですが、それを把握していない人も多くいます。
 先日、私が出場したフルマラソンで、コースを折り返す35kmから向かい風になることが事前にわかっていました。それまではゆっくり1km4分のペースで走っていたので、まだ脚に余裕があったのですが、折り返してからは同じペースで走っていても心拍数が徐々に上がってくる感覚がありました。さらに上り坂に差し掛かったので、ピッチを落とさないように意識しました。結果を後から振り返ると、むしろピッチは上がっているほどでした。スピード練習で早いピッチの練習をしておいた成果を感じました。
GPS付き腕時計の機能にメトロノームが付いているものがあります。以前、事前に普段のピッチを計測しておいて、それと同等のテンポの曲を作ってくれるサービスをカラオケ屋さんが展開していました。実際にそれを使った人はよい調子で走れていました。それと同様にメトロノームを刻んでくれるGPS付き腕時計があります。しかし、普段のピッチがわかっていないといけません。自分の普段のピッチが毎秒170回なのに、180回に設定したのでは早くなり過ぎてしまいます。カラオケ屋さんのサービスがよかったのは、事前にピッチを計測してくれたことです。ですから、自分の状態を感じることが大切です。ランニング雑誌やインターネットに「ピッチは180以上がよい」と書いてあるからといって、それを鵜呑みにしてはいけません。自分の力にするためには、書いてあることを理解して、自分のために翻訳する必要があります。マラソンでは、基本的に最初から最後まで同じピッチで走れば、ペースがゆるやかに落ちても(つまりストライドが短くなっても)大きな支障はありません。ピッチが遅れて接地時間が長くなると、体重が脚に乗っている時間が長くなってきつくなってきます。そうすると、きつさからどんどんスピードが落ちてピッチもストライドも下がります。ですから、ピッチを安定させるだけでも、落ちそうになったピッチを維持していればそれほど大きくスピードが落ちることはありません。
 デメリットがあるとすれば、腕で測定する心拍計の機能が時々誤った数値を表示することです。また、木々が生い茂ったところでは、うまくGPSを拾えないためにペースが誤って表示されることもあります。
 しかし、機械は機械と考えて過度に頼らないことでこれらのデメリットは回避できます。テクノロジーを上手に使うという考え方が適切です。その時々で刻々と心拍やペースを確認するものではありません。機械に縛られて走るのではなく、目的意識を持って使えば、きっと長期的に俯瞰してデータを見ることができます。それは、一つには記録に残していくことができるということです。長期的に付けられた記録から自分を知ることに繋がります。そうすることでPDCAサイクルを回して解決策を考え、練習の選択を楽しむことができます。