嵐の生配信ライブが、水瓶座的なエアーに包まれている、と感じたのは、まず、ファン差が、限りなくフラットになったこと。
それまでは生のライブに参加できたのは、ファンクラブの会員と言えども、抽選でチケットが購入できた人に限られていました。
それがいきなり、希望ファンは全員、生のライブの観客になれた。
最高レベルの公平さ、ファン全員がフラットな位置になったことは、人間に対して自由で差をつくらないフラットな水瓶座のモードそのものなのです。
嵐休止前の一年は、当初計画されていた姿がどんどん覆され続けた一年になったと思います。
でも、時代の変化の中でできることを探し続けて、変化に乗ったことで、結果的に休止前日のライブは、時代の先端を表す姿になっていた。
変化って、重要だな‥。
私自身は変化苦手人間なんだけど、じぶんのためではなく、誰かのために変化が必要だと思えば、できるかも、と、嵐の舞台から感じました。
つづく。