声 over 越え 肥 ー4ー | Topaz

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2020年の様々な騒ぎにより、社会への疑問を再燃させました。
陰謀論を追いかけた20代、社会に順応しようとした30代。
40代の今、思うことを書き残すブログです。
「いいね」をくださる方々、ありがとうございます。

子供たちの声は、僕らに聞こえる声ですか?

本当は叫んでるのに聞こえないなんて。

そればかりか、マスクで口をふさがれて、

口から出る、空「気」を見ることも

感じることも。子供同士でさえも困難にさせている。

 

子供は大人の言うことをよく聞くんだよ。

今はまだ、理由は分からなくても、

ちゃんと言うことは聞かないと。

 

「イウコト キカナイ 悪い子はどこだ?」

 

純粋さを失った大人たちが

純粋さを奪うつもりなのか。

 

その大人たちが最後に頼るのが

まさか「AI」なんて結末。

ついには、自分たちで考えることさえもやめてしまった。

 

責任を背負いすぎたのか?

何とかしなければの「声」は、

結局「天」には届かないのか。

そもそもそれは「天」へ向けられた

純粋な声なのか?

また、自問自答を繰り返す。

 

「秩序」とは何か?

 

「生きる」とは何か?

 

「死」とは何か?

 

散歩をする。

ただそれだけで人はたくさんの物事を知り、

感じることが出来る。

誰と散歩する?

博識な人との散歩は知識の道だ。

親しい友人との散歩や愛する人との散歩。

一人で歩くのも、自由の時間。

 

生命や木々たちは教えてくれる。

春に芽吹き、夏に咲かせ

秋に実を、冬に支度を。

生命によってはそのサイクルも変わり、

個体によってはうっかりするものもいる。

それぞれが肌で世界を感じている証拠だ。

それぞれがそれぞれの意思を持つ。

 

僕たちはあまりに多くのものを見すぎ、

知りすぎ、考えさせられ、惑わされていく。

物質化した脳の思考は、

足りないものを求め続け

理屈でその隙間を埋め、無限の土地を耕す。

 

決して耕し終わることのない、「物質の山々」。

自らが限り無く生み出す世界を生きる「矛盾」。

「物質の矛盾」。

「精神の矛盾」にはすぐに気がつく人間が、

物質には「矛盾がないと」考えるのが

僕には不思議で仕方がない。

 

 

君はただ僕の「名前」を呼んでくれたらいい。

僕は君の闇を照らすために側にいる。

 

冬も春も夏も秋も。

暗雲に覆われても。

北風に襲われても。

傷つけても、傷つけあってもいい。

でも、もし「君の魂」が奪い去りそうなら。

 

君が僕の「名前」を呼んでくれたら。

決して、そうはさせない。

 

キミハ ボクノ トモダチ ダカラ