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◯健康とその先には何が待っているのか?

書店や、インターネットでの情報を見ていると
「健康」に関しての情報はたくさん見かけるね。

でもなぜ
「健康でありたいのか?」「健康を目指すのか?」「健康って何だろう?」
そう言った情報は、なかなか目にしない。

もっとも、ここで 「健康って何だろう?」の例を書いて
それを盲信されても、健康の例の1つを知っただけで
「自分が思う健康」とはちょっと違う事になるよ。

他の「悠久を語りし百科事典 終末の章」の情報も、参考までに
という事を頭に入れておいてくれ。


まず、健康である事は、カラダとココロが元気である、って状況。
「元気」とは何だろう。
そうだなぁ、わたしの意見としては「ニュートラルポジション」
どんな行動の選択肢でも取れる状態の事を健康だと思うんだわね。

カラダの元気は、必要な栄養が取れている状況。
外傷や可動域に制限があっても日常生活に支障を来さない程度の状況。

ココロの元気は、五感(味覚、視覚、触覚、嗅覚、聴覚)の判断が出来る事。
今置かれている状況に真剣に取り組める状況であり
自分で目標決定と反省ができる状態。
端的に、今が「腑に落ちる」状態であること。

健康のあり方、認識の仕方は人それぞれ違う。
ところがどっこい「健康診断」とか「数値」だけでその尺度を図ろうとしたり
「働きに行くカラダさえあれば元気」とか、そう言った観念が出て来るのだろうか?

つまりのところ
「目的を達するための健康」があれば必要十分という事なんです。
裏を返すと
「健康の先にある事が分からない」と
「現状維持=健康」と言う認識になるんですわね。

ダイエットも、禁煙、禁欲も、様々な制限も
三日坊主で終わったり
「今は楽しい」→だけど→「将来が不安」とか。

どんなに「健康セミナー」とか「情報」を手に入れても

「話を聞いてきた事実」だけを残して
行動は「何も変わりませんでした」という現実が待っているんですわね。

健康になった先の物事が見える(イメージできる)から
「今以上の健康を手に入れよう」と決意できるんです。

そして「禁止」や「制限」をかけたエネルギーを
「楽しい」と思える事や「活かせる形」に持って行けるようになる。

それが無いから、リバウンドしたり、数値が出て右往左往。
「健康診断前だけ、禁煙、禁酒」
数値を見て安心。

セミナーにうん十万、健康食品、健康器具にうん百万かけたかけたんだけど
全然「健康は手に入らなかった…」
でも、今こうしていられるのは、こう言ったお金をかけたから

「まぁ、いいか!」
(実は腹の底では、使ったお金への後悔が残っている)

そんな現実が続くとは思いませんかね?

あ、何度も言いますけど
「いい」「わるい」 「正しい」「間違い」の情報ではないのよ。

どう言った 「健康でありたいのか?」をイメージする為に
「健康のあり方」をテーマとして取り上げたんですわね。

「健康食品」をバカにしているのか!とか
「健康商品」は全部悪と言いたいのか!とか

そう感じた人は回れ右。

健康に関する、商材やセミナーに関しては
それらを最初に提案した人や、健康に対する想いの結晶だからね。

健康診断も「陥れよう」として診断をやっているわけじゃない。
健康について
「数字で測ってみて、それらを見て生活や健康のあり方考えてみませんか?」
ってご提案の一つなんだろうよ。
そんな見方だってできる。

認識のあり方。物事への焦点の当て方については、それぞれ考え方がある。

「みんな違って、みんなそれぞれの思いや考え方がある」

ココロの健康への大原則。
自浄作用って、こういう所から働いてくる。