こんにちは、メイベルです
昨日のブログに書き忘れたのですが、わたし
スマホ一周年
でございます(‐^▽^‐)
まだまだ使いこなせない、上にブログも始めてしまいまして、毎日カルチャーショック(古)ですが、これからも頑張ります
というか、昨日もジヨンの新大久保DVD📀まだ見てないのあったから見ようとしたら、
映像が悪すぎて途中で止まった。
あーもーショックー
また買いなおさないと…楽しみだったのに。
アホな話しはここまで。
あれから、7年もたったんですね…。
メイベルは、いちばん被害が大きかった地域に住んでいます。
家は一階が水没し、大規模半壊の認定を受けましたが、なんとか騙し騙し暮らしています。
あちこち壊れてるから、次に大きい地震がきたらだめかも…。
しかし
メイベルは恵まれていました。
水没しても帰る家があり、家族も日をおいてそれぞれ合流し(当時父と弟は海沿いに勤務していたので、絶対ダメだと思いました)
当時3匹いたうさちゃんも、たまたま5匹時代の小屋が残っていたのでそこへ避難し。
仕事場も、水没はしましたが、通えるようになってからは皆で毎日泥をかいて、残った商品をかき集めて提供し、お店が仮オープンするまでの2ヶ月ぶんも、お給料がきちんと出ました。
色々な方からいただいた物資は、まだ使用しているものが沢山あります。
本当に、全国の、世界中の皆様からの支援がありがたかったです。
この間、休憩が一緒になったレジのおばちゃんと、もう7年たつんだね、という話になり。
このレジのおばちゃん、Kさんというのですが、震災で長男である息子さんを亡くされました。
「あのときはとにかくどこにいるかわからなかったし、見つけてあげたかった。今思うと怖くてとてもできないわ」
当時やっつけで作られた遺体安置所に旦那さんと毎日通い、何十体とある遺体を、ひとつひとつ確認してまわったそうです。
そこで息子さんを見つけ(Kさんに言わせれば、見つかったことも奇跡に近いと)、供養してあげたということでした。
一緒にスーパーで働いていたパートさんで、今も行方がわからない方もいます。
家族の方に、その方が使用していたエプロンをお渡しするとき、とてもつらかった。
「家も写真も、みんな流されてしまった。この会社に残っているものだけが唯一の形見です」
泣きながらそう言って帰られました。
そのあとも色々あったけど、あれを境に、新しく出会った人、新しく触れた経験もあります。
いままで広大な田んぼだった地域は、すごく整備されて、きれいな住宅地になりました。
プレハブの仮設住宅に住んでいた人たちも、順番に、新しい住まいへと移っています。
でもまだ、何年かかるかわかりません。
また地震が、津波がくるかもしれません。
それが怖いけれど、それを意識することは、必要なことだと思うのです。
だからこそ、日々を生きるということが、とても特別なことなのだと、メイベルは考えています。
普段はアホなことばかり言って、周囲を混乱の渦に巻き込むメイベルですが、世界的にとても甚大な自然災害の渦中にいたということは、そしてそれが7回目の今日だということは、忘れませんし、忘れたくない。
そしてそれをブログに書けることに感謝を。
読んでいただき、ありがとうございました。
BIGBANGの話を。
いよいよ、ヨンベとテソンの入隊と、新曲発表ですね。
たぷの書いた歌詞、早く見たいな。
ではまた。