「美とは何か」

 

 

「何にせよ美しいと思うきっかけが必要になるのだからそれは一言で表すと心のあり様である」

 

 

一枚の絵を観て美しいと感じるにはそれを美しいと感じる心の状態がなければならない

無関心の心の状態では美を感じることができないからだ

 

 

美を感じるための心の状態、その状態をもたらす何らかの「きっかけ」、美を感じるにはこの「きっかけ」が必要だ

 

 

心の状態が変わるきっかけにはいくつかある、音をきく、匂いを嗅ぐ、言葉を聞く、文章を読む、良い人間関係に恵まれるお金を稼ぐ、目標を達成する、まだある。

ただ心を変える意識を持ちコントロールする、表情を変える、声を変える、姿勢を変える、場所を感じるなど、、、。

 

 

美とは音や、香り、言葉、文字、人間関係、お金、目標、自制心、表情、声、姿勢、場所といったものと密接に関係しているという事である。

 

 

実はそれ単体での美とは怪しいもので、何かに紐づいている事の方が多いだろう

 

 

サイン業界にいる私としては静止空間の美を心で感じてもらうために、音、意味、場所を関連づけていく事に興味がある

 

 

さて、そういえば心が美を感じる状態に持っていかれるきっかけという事で一つ過去を思い出した

 

 

永保寺の禅寺の入り口の虎図を観た時のことである

 

 

 

 

虎の姿勢

逃げるのか襲って来るのかどちらかを正確に見極めなければ、この後大変な事になりそうな予感を起させる

あの虎の姿勢

 

 

虎と自分との対峙の中であっちが逃げるのかこっちが逃げるのか、何もなかった様に静かに歩き去るのか

この次に何が起こるのか、いやこっちがきっと睨み返し何かを起こそうとするのか、、、、。

 

 

この虎図は己の中にある不安感や超越感を「虎」を象徴として図に現したものであったのだろう

 

 

そういった事が言葉の解説もなく理解できた、永保寺の禅寺の入り口の虎図

 

 

あの時私の心は永保寺という場所全体に満たされる厳かな空気と禅の修行に対する僅かな知識によって

、美を感じる状態になっていたのだろうと思う

 

 

美は心だという教訓を身体で学んだ

色彩がわかれば絵画の理解が進むと感じ、「色彩がわかれば絵画がわかる」という本を読んでいます。

その本の中で、人は赤と緑を隣り合わせで見ると両方の色が鮮明に見えるという説明がありました。実際その本では見開きで左のページに緑の四角、右のページに赤の四角が掲載されており、隣り合わせでその色を見るという体験が出来ます。

説明通り、その二色を同時に見るとお互いの色が引き立てあってそれぞれの色を単体でみるよりも鮮やかさが増します。

この体験をした時に私の頭の中にある仮説が浮かびました。

それは、世の中の不条理に敏感な人は逆に希望や幸福を鮮明に見る事が出来る人なのではないかという事。

つまりはこういう事です。人の目は赤の補色で緑を求め両者が相まったとき鮮明さを感じる。
その本質にあるものは「正反対のものを求め、それらを比べる事で鮮やかさを見出す。」という事です。

世の中の不条理や不幸をしっかりと見る人はそれとは真反対にある希望や幸福というものを鮮明に描ける人なのではないだろうか。

身近な例えで言うならば、お笑い芸人が自分の身に降った不幸を笑いに転じ観客を笑わせると言った事です。

笑いとは物事が鮮やかに見えた時の反応とも言えます。その反応を引き起こしたものの中に「正反対のものを求め、それらを比べる事で鮮やかさを見出す。」という本質が隠されているのではないでしょうか。