人が誰かと別れる時、
「君のお蔭で成長できた。ありがとう。さよなら」と言える人と
「なんで離れるの!?今まで頑張ってきたのに!全部無駄じゃない!」と嘆く人。
この両極端な二つの根本の違いはなにか。
それは
他人のために動いているか
自分のために生きているか
この違いかなと私はおもいました。
私はいつも後者です。
嘆き悲しみ怒りを相手にぶつけます。
「なんで離れるの!?」
その言葉の中身はこれでした。
----------------------------------------
あなたの為に今まで動いてきたのに。
あなたとずっと一緒にいられるように頑張ってきたのに。
孤独にならないためにご機嫌取りをしてきたのに。
私を気に入ってくれたらあなたが離れていかないと思ったから
私を便利だと、傍にいると気分がいいと思ってもらえるように
だからおだててきたのに!お世辞も言ったのに!
嫌われないように気を使ってきたのに!
なんで私を置いていくの!!
傍にいてよ!!
----------------------------------------
これではまるでキャバ嬢ですよね…。
アハハ。ウフフ、とお客をおだてて「ずっと私を指名してね」と…
そのまんまです。
違うのは金銭が発生するかどうかぐらい。
「他人のためなら動ける人」
そんな人は結構多いと思います。
子供のためなら早朝の起床も苦にならない。
旦那のためなら手の込んだ料理も苦にならない。
家族のためなら動ける。
そこにあるのは「愛」なのか「自分」なのか
今の私にはわかりません。
孤独になりたくない「自分のため」に他人に尽くすことと
「他人の幸せのため」に自分の人生を削ること。
それは本当に他人のため?それとも自分のため?
私は現在の彼氏と半分同棲のような形をとっていますが
彼のためになることは苦なく動けます。
自分の分だけの料理だと「納豆とご飯」「お茶漬け」その程度ですが
彼が一緒に食べる日は定食屋かと思うほどちゃんと作ります。
そして自分のために入るお風呂。トイレは極限までいきません。
頭が痒くても、彼と会う予定がなければ5日間ぐらいは平気で頭を洗いません。
例え洗っても気持ちいいとも思いません。
達成感もありません。
「無意味」「無意味」「無意味」
ただそれだけが頭にあります。
私はこの「他人のためなら動ける」という体質から脱することが
病気の最大の治療になると思い、行動に変化を持たせようと頑張っています。
でも今のところできていません。
他人のために動くということは、どんどん自分が消えていくことです。
彼が「黒い絵具が好きだ」と言えば「私も黒が好きな気がする」となり
別の彼が「俺は赤が凄い好きだ」と言えば「私も赤が好きになってきたわ」
そうなってしまうのです。
良く言えば、何にでも対応できる万能人間、便利人間
悪く言えば、無色透明で味がない。自分という個性がない。
だからこそ恋愛関係が破裂した時に「なんで私を捨てるの!?あなたの為に生きてきたのに!」
と気持ちが怨み辛みになってしまうのです。
私は離れていく人たちに「ありがとう。さようなら」が言える人間になりたいです。
なんでか分からないけれど、もうケンカ別れするのが嫌なのです。
いつかまた会えるかもしれない人もいるのに
喧嘩別れしたがために数年後に偶然会っても
気まずい人の方が圧倒的に多いのです。
そこから脱却したいのです。
そのためには「ありがとう」と言える人間になる必要がある。
私が私のままで満足感を感じ、ただ何もせずとも一緒にいてくれた事に感謝ができるようになるには、私が私になるしかないと感じました。
私が今したいこと。
私が心からやりたいこと。
他人のためではなく自分のために生きる。
自分が食べたいものを食べる。
自分が使いたい絵具を使う。
隣を気にしないこと…
去っていく恐怖を忘れること…
一人きりになる未来に怯えないこと…
そんなこと無理だろう!!!!?
無理なんだ!!!!
気にしてしまうことを気にしないようにするなんて
無理なんだ!!!
どうしたらいい!?
どうしたら自分を取り戻せる?
私には私がない。
誰かに寄生している時だけ安心感を覚える。
それはまるで、お母さんに抱っこされている時の感覚。
「私の居場所はここなんだ」
「温かい…ふわふわする。いい匂い」
「この人は無条件で私を受け入れてくれる。守ってくれる。ご飯をくれる」
「歩かなくてもお尻を拭いてくれる」
「動かなくても体を洗ってくれる」
ああ…そうか。
私はずっと赤ちゃんのままなんだ…
私のお母さんは子宮癌でした。
そして美容師の自営業をしていました。共働きです。
私が2歳の時に病院のベッドに寝ているお母さんがいました。
「ごめんね…トオル…」
見上げた布団の中からお母さんがそう言いました。
0歳~2歳まで…私は誰に育てられたんだろう。
今思うと分からない。
ただ、お母さんを恋しがって泣いた記憶がない。
ない…。
最初から…いないものだとわかっていたから。
しかし3歳になってお母さんが復帰した。
私とお風呂に入り、頭を洗ってくれたり、一緒にお菓子を作ったり。
虫歯が痛い時は泣きやむまで抱っこしてくれた。
私が体操や音楽、工作をするとお母さんも回りもすごく喜んで笑ってくれました。
ただ、回りを喜ばせたくて、自分がやりたいかどうか分からないこともやり続けた。
とある印象深い記憶があります。
お父さんとお母さん、知らないおじさんおばさん達と居酒屋にいきました。
酔っぱらった一人のおじさんが私に「チューして。おじさんにチューして」と
要求してきました。
私はとてもとても嫌でした。
お母さんの顔をみました。
苦笑いしながら「やってあげなさい」という無言のメッセージを
私は感じ取りました。
なので…私は油ぎった知らないおじさんにキスをしました。
その時、心の中で何かが暴れ回っていました。
「なんで助けてくれなかったのお母さん!」
「私はやりたくなかったのに!」
「気づいていたんじゃないの!?」
「私の気持ちより他人を優先したの!?」
その気持ちとは逆にこういう気持ちも湧きました。
「これでいいんだ」
「これが正解だ」
「子供っぽく振る舞っていればいい」
「大人のいうことを聞いていればいい」
「可愛がってもらったほうが得だ」
お母さんは頑張っていました。
美容室の社長として恥ずかしくないように、と。
自分の病気を隠しただ笑顔で接客し、泣かないで知らないおじさんに絡まれている私を
「いい子だわ」と安心してくれている。
自分のことで一生懸命のお母さんに迷惑をかけたくない。
私のせいで恥をかかせたくない。
私はお母さんの真似をしていれば大丈夫。
明日もお仕事なのに、帰りたそうな気持ちが伝わるのに、お母さんは何も言わない。
じゃあ私も言わない。
お母さんが「帰りたい」というまで私も「帰りたい」って言わない。
お父さんとお母さんがその居酒屋で「居酒屋」という歌をデュエットしていました。
その時だけ、二人が幸せそうに見えました。
綺麗な歌声に私はうっとりしました。
そのころからかもしれません。
「私」に「私」が無くなったのは。
ちなみに学校ではこう教わりますよね。
・ボランティアはいいことだ
・自分のことだけ考えてはいけません
・自分中心は悪いことです
・他人のせいにしてはいけません
でも今の私は違う意見です。
・ボランティアは自己陶酔の世界、やりたきゃやればいい
・自分のことをしっかり考えよう
・自分中心に動けとは言わないけどバランスが大事
・自分のせいにして苦しむくらいなら他人のせいにしていい
だから私はいつか心から叫びたい。
「私がこうなったのはお前らのせいだ!!!!!」と。
論理なんてどうせもいい。
理屈なんてどうでもいい。
難しいことは全部抜きにして、ただシンプルに。
本当の私を返してくれ・・・・と。
そう家族に伝えたい。
ただ優しかった。
ただ繊細だった。
たまたま人より能力が高かった
それだけの赤ん坊だった。
大人になって誰より底辺になった。
私の人生はここからスタートするのかもしれない。
やっと自分を取り戻せる時間が来たのかもしれない。
でも気にしてしまうことを気にしないようにするのは難しい。
離れていく人に「ありがとう。バイバイ」なんて平常心で言えない。
それはある意味「お母さんありがとう。バイバイ」っていうのと同じ。
私の心は今でも怒りでいっぱいなのに。
平常心になれっていう方が無理なんだ。
だけど諦めない。
10000回やって無理でも10001回目はくるかもしれない。
そんな歌詞のように。
何度でも。
何度でも。諦めない。
それが「私」なのかもしれない。
長々と読んでくれてありがとう御座いました。
バリエーション豊かなブログにしたいのに、行き着く所は「子供時代」になっちゃいますね。
シンプルな問題をややしく考える。
大人の悪い癖ですね。
境界性人格障害の女性は男性に媚びる習性があります。
好意を持っているかのように振る舞い、男性をヨイショし良い気分にさせます。
そしてふとした瞬間にテンションを落とし「暗い顔」をチラつかせます。
男性は思うのです。
明るくて元気で魅力的だなあ。でも時折みせる暗い影。彼女には何かありそう。
その「ミステリアス」な独特の魅力に…惹かれる男性が結構いるのです。
蜘蛛の巣にひっかかった男性を食べるのが境界性人格障害の女性の特徴です。
しかし大抵、自覚症状がありません。
私もそうでした。
私の場合は他人と接する機会が少ないうえに、嫌われることを極度に気にするので
男女問わず、他人と会っている時はすごくテンションが上がります。
はしゃぎます。
腰を振って踊っている時もあります。
しかし気分の上下が激しいのでふとした瞬間に疲れがどっと襲ってきて「はぁ…」とため息をついたりします。
いきなり無言になって動かなくなったりします。
それが他人にどう見えていたのか自覚がなかったのですが
気が付けば女性陣は遠ざかり、男性のグループに囲まれていたりします。
男性の本音を聞きまわったことがないので好意を寄せられているかは分かりませんが
思い返せば携帯の連絡帳も男性だらけ。
外出中も男性まみれ。女性もたまにいるけど男性より女性の数が多かったことなど
一度もありませんでした。
ネットでは「ボーダー女には吸い寄せられるような魅力がある」と自称:被害者男性は書き残していますが…、私が自分の病気を自覚してから出会った現在の彼氏、Fさんも私が自覚なく振りまいた色香に吸い寄せられた被害者なのかな…と最初は思っていました。
どうせ彼も不幸になるのさ…私はサゲマンだから…と。
決めつけていたのです。
予想は当たり、Fさんと私はケンカの毎日。
イチャイチャしていたかと思えば、気に入らないFさんの一言に私が大激怒!
街中で絶叫し罵倒し、時には自分の車をボコボコに殴り蹴り
Fさんをビンタする毎日。
エスカレートしてFさんの顎をアッパーパンチして気絶させたこともあります。
喧嘩が治まらない時は十時間以上揉め、ぶち切れた私が刃物で腕を切り「さよなら!」と涙を流しながら数日間、車の中で薬漬けになる、ということもありました。
Fさんはみるみる衰弱していき、私の夜型生活に振り回されたせいもあり
会社で倒れたそうです。
同僚に迷惑をかけたくないという理由からあっさり職を手放してしまったFさんですが
現在は掃除のアルバイトで月収5万前後になっています。
職を失う前は月収35万以上の安定職でした。
そして昔の彼女と暮らしていたアパートを離れ、高齢の父親の実家にうつりました。
倉庫に入れていた趣味の人形やアート作品を全て実家に移したため
自分の部屋がダンボールで埋まり、寝袋で横になる程度のスペースしかない状態だそうです。
貯金も退職金も全て前の彼女に渡したと聞きました。
15年以上、同棲してくれた家族にも匹敵する前の彼女。
その彼女の夢が「自分の旅行会社を持つこと」だったそうで
会社設立にお金が足りていないという情報を聞いたFさんは
自分の全財産を彼女に捧げたのです。
そしてFさんはなんと会社の失業手当を拒否しました。
私は社会知識が幼稚園レベルなので「ふーん」と流してしまいましたが
年上の友人たちが「なにそれ!?バカじゃないの!?何考えてるの!?」と一様に言います。
私はFさんに聞きました。
なんで失業手当を断ったの?と。
彼はこう答えました。
「自分を怠けさせないため。金銭的に余裕がなくなれば死ぬ気で職を探すと思う。俺の年で再就職は難しいからこそ、死ぬ気になるような状況を作り出すべきだと思った」
それを聞いて、実家で怠けてきた私は自分を恥じ、彼を尊敬しました。
※それでも周りの友人は皆「それでもアホだよ!」といいますが。
Fさんは結果的に、私と会社のうち、私を選んだのです。
どれだけケンカしても、どれだけ彼をののしっても、
彼が私を見捨てることはなく、たとえ少し距離が離れても必ず戻ってきて
何時間でも、何日でも、自分の生活を犠牲にしても
私の悲しみや憎しみの語りを聞いてくれるのです。
日々遅いかかる不安という発作がくると
Fさんが抱きしめてくれるのです。私が泣きやむまで。
毎日、毎日、ずっと…
1年経っても、2年経っても、3年経っても、彼の態度は誠実であり真剣であり温かいのです。
なのに私はちょっとした彼の失言に腹を立て、殴る蹴る、リスカ、絶叫のオンパレードでした。
どうせお前も私を見捨てるんだろう!!!
いつかいなくなるんだろう!?
だったら今消えろ!!
消えろ!消えろ!死ね!
そんなことばかり私は叫んでいました。
彼が日に日に衰弱していっているのを知っていて
「私のせいだ」「彼を解放しなきゃ」と自分を追い込んで
「でも一人になるのが怖い」「そばにいて」という恐怖のもとに
叫び続けていました。
そんなある日Fさんは私の目を見つめこう言いました。
「俺が君から離れることはない。絶対にない。
君が俺から離れたくなった時以外、君が一人になることはない」
それは究極的に私に人生を捧げる誓いの言葉でした。
しかし…
その言葉が私の胸に響くことはなく…
私は彼を睨みつけ
「どうせ同情して一緒にいるだけだろう!!
私が危なっかしいから目が離せないだけだ!!
私が一人で歩けるようになったら安心して消えるんだろ!?
どっちにしろいつか消えるんだろ!!!!」
そう叫びました。彼は何も言いませんでした。。。
私たちは恋愛ごっこをしました。
彼が私を彼女にしたいと望んだことはありません。
彼女にしてほしいと頼んだのも私。
結婚してほしいと望んだのも私。
結婚はできないけれど、君が望む限りずっとそばにいると誓った彼。
私は毎日実家を抜け出し、彼と一日中語り合い、寄り添い、傷をなめ合い
それこそ世間一般の夫婦や恋人たちの何十倍も多くの時間を共に過ごしました。
車の中という密閉された空間で。
二人きりで。
体の関係はあるのに彼女にしてもらえないこと。
結婚も子供も拒否されていること。
そのことが心に刺さったまま彼への憎しみが募る一方で
それとは別の傷口が小さくなっていく感覚を覚えていきました。
それが何の傷口かは分からないけれど、
ただなんとなく
前に…進みたい… 人として成長したい…
そんな思いが少しづつ、ゆっくり膨らんでいきました。
そしてついに、Fさんと出会って4年目にして転機が訪れたのです。
それは…
私が密かに使い込んでいた実家の店のお札が、全て、消えていたことでした。
私の唯一の命綱。
家じゅう探しても見つからない。
家族の誰かが気づいて隠したのか
それとも気づいていながら見ないふりをしていて
今になって堪忍袋の緒が切れたのか…
いつ
誰に
なにを言われるか分からない。
足音が怖い。
家族とすれ違うのが怖い。
なによりガソリンが無くなったらFさんと会えなくなる。
「転機」という名の「ピンチ」でした。
携帯代すら払えなくなったらおしまい。
今、
いま
動かないと手遅れになる。
いま、なんだ。
そう思ってからの行動は素早かったです。
あれだけ実家から出るのを怖がっていた私が
不動産屋の情報を見て回り、区役所に足を運び
ピンチと悟ってから一か月もしないうちに「引っ越し決定」「生活保護決定」にこぎつけていました。
車を手放し、Fさんの実家の近くのアパートを選び、一人で荷物を運び
1年前には予想もしていなかった「一人暮らし」が出来上がってしまいました。
Fさんと家具や調理器具を買いに行く毎日は…まるで同棲を始める恋人のようで
夢のような時間でした。
その時、Fさんはしきりにこう言いました。
「君があまりに自分に自信がない、ない、実家を出たいのに出られない、一人暮らしが怖いと
そう言い続けるから、俺が手伝わなきゃと思っていたのに
きづいたらアパートを見つけてきて、手続きして、荷物もサクサク運んでてビックリだよ。やればできる子なのになんでそんなに自分に自信がないんだろうね。不思議だ」
それからは一人暮らし経験のあるFさんの協力のもと、
最低限の生活費で冬を乗り越え今にいたります。
喧嘩はあいかわらずしていますが回数はめっきり減りました。
また彼からこんなことを言われたのです。
「君が嫌がろうが俺は絶対に離れない!」
その言葉は私の胸に突き刺さり、パリーンと何かが割れた気がしました。
何が割れたんだろう…
お札が消えてから現在まで家族はそのことで私に話しかけることはありません。
それは優しさなのか…、言いづらいだけなのか。
それとも単純に保管場所を変更しただけで、私がつまみ食いしていた事実を知らないのか。
つまみ食いをし出したのは小学2年ごろからです。
漫画本にハマりお小遣いでは足りなかったので店からちょろまかしていました。
家族は「買いすぎじゃないの??」「なんでお金あるの??」としつこく聞いてきますが
「お年玉を削ってるのー」とその場しのぎの嘘で煙に巻いたり
バイトをする年齢になってからは「貯金があるからねー」とか
「パソコンで稼げる時代だからねー」などと言いドキドキしながらも誤魔化していました。
こんな嘘が長く通用するはずない…
毎日ドキドキしながら犯行は続き、結局誰に何を追求されることもなく…
20年以上続いた罪が無かったことになるのか…
こんなことがあっていいのだろうか…
いつか天の裁きが下ると怯えていた毎日はなんだったのか。
私は思いました。
罪をおかし、いつか罰されると怯える心そのものが「天罰」なのだと。
自分を苦しめるのはいつだって自分なのだと。
殺人を犯し、逃げ続ける犯人も逮捕されずとも天罰をうけている。
唯一「愉快犯」だけが…例外で…
誰もがいつもどこかで自分を責めている。
生きている限り動物を殺し、他人の生命で己の命をつなぐ。
生きている限り「罪」は消えない。
だからといって自殺するつもりもない。
ならば前に進め、奪った命を粗末にしないために己を磨け
Fさんが私のそばにいるかぎり
私も誠実でありたい。
あなたが真剣に私に向き合ってくれた恩返しをしたい。
成長を見ていてほしい。
あたながいるから、私は今日も歩ける。
人を変えるのは。。。やはり「出会い」なのかもしれません。
ここまで読んでくれてありがとう御座います。
Fさんを読者さんがどう思うかわかりませんが
私にとって憎くもあり、愛しくもあり、恩師でもある大事な人です。
応援してくださると嬉しいです。
好意を持っているかのように振る舞い、男性をヨイショし良い気分にさせます。
そしてふとした瞬間にテンションを落とし「暗い顔」をチラつかせます。
男性は思うのです。
明るくて元気で魅力的だなあ。でも時折みせる暗い影。彼女には何かありそう。
その「ミステリアス」な独特の魅力に…惹かれる男性が結構いるのです。
蜘蛛の巣にひっかかった男性を食べるのが境界性人格障害の女性の特徴です。
しかし大抵、自覚症状がありません。
私もそうでした。
私の場合は他人と接する機会が少ないうえに、嫌われることを極度に気にするので
男女問わず、他人と会っている時はすごくテンションが上がります。
はしゃぎます。
腰を振って踊っている時もあります。
しかし気分の上下が激しいのでふとした瞬間に疲れがどっと襲ってきて「はぁ…」とため息をついたりします。
いきなり無言になって動かなくなったりします。
それが他人にどう見えていたのか自覚がなかったのですが
気が付けば女性陣は遠ざかり、男性のグループに囲まれていたりします。
男性の本音を聞きまわったことがないので好意を寄せられているかは分かりませんが
思い返せば携帯の連絡帳も男性だらけ。
外出中も男性まみれ。女性もたまにいるけど男性より女性の数が多かったことなど
一度もありませんでした。
ネットでは「ボーダー女には吸い寄せられるような魅力がある」と自称:被害者男性は書き残していますが…、私が自分の病気を自覚してから出会った現在の彼氏、Fさんも私が自覚なく振りまいた色香に吸い寄せられた被害者なのかな…と最初は思っていました。
どうせ彼も不幸になるのさ…私はサゲマンだから…と。
決めつけていたのです。
予想は当たり、Fさんと私はケンカの毎日。
イチャイチャしていたかと思えば、気に入らないFさんの一言に私が大激怒!
街中で絶叫し罵倒し、時には自分の車をボコボコに殴り蹴り
Fさんをビンタする毎日。
エスカレートしてFさんの顎をアッパーパンチして気絶させたこともあります。
喧嘩が治まらない時は十時間以上揉め、ぶち切れた私が刃物で腕を切り「さよなら!」と涙を流しながら数日間、車の中で薬漬けになる、ということもありました。
Fさんはみるみる衰弱していき、私の夜型生活に振り回されたせいもあり
会社で倒れたそうです。
同僚に迷惑をかけたくないという理由からあっさり職を手放してしまったFさんですが
現在は掃除のアルバイトで月収5万前後になっています。
職を失う前は月収35万以上の安定職でした。
そして昔の彼女と暮らしていたアパートを離れ、高齢の父親の実家にうつりました。
倉庫に入れていた趣味の人形やアート作品を全て実家に移したため
自分の部屋がダンボールで埋まり、寝袋で横になる程度のスペースしかない状態だそうです。
貯金も退職金も全て前の彼女に渡したと聞きました。
15年以上、同棲してくれた家族にも匹敵する前の彼女。
その彼女の夢が「自分の旅行会社を持つこと」だったそうで
会社設立にお金が足りていないという情報を聞いたFさんは
自分の全財産を彼女に捧げたのです。
そしてFさんはなんと会社の失業手当を拒否しました。
私は社会知識が幼稚園レベルなので「ふーん」と流してしまいましたが
年上の友人たちが「なにそれ!?バカじゃないの!?何考えてるの!?」と一様に言います。
私はFさんに聞きました。
なんで失業手当を断ったの?と。
彼はこう答えました。
「自分を怠けさせないため。金銭的に余裕がなくなれば死ぬ気で職を探すと思う。俺の年で再就職は難しいからこそ、死ぬ気になるような状況を作り出すべきだと思った」
それを聞いて、実家で怠けてきた私は自分を恥じ、彼を尊敬しました。
※それでも周りの友人は皆「それでもアホだよ!」といいますが。
Fさんは結果的に、私と会社のうち、私を選んだのです。
どれだけケンカしても、どれだけ彼をののしっても、
彼が私を見捨てることはなく、たとえ少し距離が離れても必ず戻ってきて
何時間でも、何日でも、自分の生活を犠牲にしても
私の悲しみや憎しみの語りを聞いてくれるのです。
日々遅いかかる不安という発作がくると
Fさんが抱きしめてくれるのです。私が泣きやむまで。
毎日、毎日、ずっと…
1年経っても、2年経っても、3年経っても、彼の態度は誠実であり真剣であり温かいのです。
なのに私はちょっとした彼の失言に腹を立て、殴る蹴る、リスカ、絶叫のオンパレードでした。
どうせお前も私を見捨てるんだろう!!!
いつかいなくなるんだろう!?
だったら今消えろ!!
消えろ!消えろ!死ね!
そんなことばかり私は叫んでいました。
彼が日に日に衰弱していっているのを知っていて
「私のせいだ」「彼を解放しなきゃ」と自分を追い込んで
「でも一人になるのが怖い」「そばにいて」という恐怖のもとに
叫び続けていました。
そんなある日Fさんは私の目を見つめこう言いました。
「俺が君から離れることはない。絶対にない。
君が俺から離れたくなった時以外、君が一人になることはない」
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しかし…
その言葉が私の胸に響くことはなく…
私は彼を睨みつけ
「どうせ同情して一緒にいるだけだろう!!
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どっちにしろいつか消えるんだろ!!!!」
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結婚はできないけれど、君が望む限りずっとそばにいると誓った彼。
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二人きりで。
体の関係はあるのに彼女にしてもらえないこと。
結婚も子供も拒否されていること。
そのことが心に刺さったまま彼への憎しみが募る一方で
それとは別の傷口が小さくなっていく感覚を覚えていきました。
それが何の傷口かは分からないけれど、
ただなんとなく
前に…進みたい… 人として成長したい…
そんな思いが少しづつ、ゆっくり膨らんでいきました。
そしてついに、Fさんと出会って4年目にして転機が訪れたのです。
それは…
私が密かに使い込んでいた実家の店のお札が、全て、消えていたことでした。
私の唯一の命綱。
家じゅう探しても見つからない。
家族の誰かが気づいて隠したのか
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いつ
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なにを言われるか分からない。
足音が怖い。
家族とすれ違うのが怖い。
なによりガソリンが無くなったらFさんと会えなくなる。
「転機」という名の「ピンチ」でした。
携帯代すら払えなくなったらおしまい。
今、
いま
動かないと手遅れになる。
いま、なんだ。
そう思ってからの行動は素早かったです。
あれだけ実家から出るのを怖がっていた私が
不動産屋の情報を見て回り、区役所に足を運び
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車を手放し、Fさんの実家の近くのアパートを選び、一人で荷物を運び
1年前には予想もしていなかった「一人暮らし」が出来上がってしまいました。
Fさんと家具や調理器具を買いに行く毎日は…まるで同棲を始める恋人のようで
夢のような時間でした。
その時、Fさんはしきりにこう言いました。
「君があまりに自分に自信がない、ない、実家を出たいのに出られない、一人暮らしが怖いと
そう言い続けるから、俺が手伝わなきゃと思っていたのに
きづいたらアパートを見つけてきて、手続きして、荷物もサクサク運んでてビックリだよ。やればできる子なのになんでそんなに自分に自信がないんだろうね。不思議だ」
それからは一人暮らし経験のあるFさんの協力のもと、
最低限の生活費で冬を乗り越え今にいたります。
喧嘩はあいかわらずしていますが回数はめっきり減りました。
また彼からこんなことを言われたのです。
「君が嫌がろうが俺は絶対に離れない!」
その言葉は私の胸に突き刺さり、パリーンと何かが割れた気がしました。
何が割れたんだろう…
お札が消えてから現在まで家族はそのことで私に話しかけることはありません。
それは優しさなのか…、言いづらいだけなのか。
それとも単純に保管場所を変更しただけで、私がつまみ食いしていた事実を知らないのか。
つまみ食いをし出したのは小学2年ごろからです。
漫画本にハマりお小遣いでは足りなかったので店からちょろまかしていました。
家族は「買いすぎじゃないの??」「なんでお金あるの??」としつこく聞いてきますが
「お年玉を削ってるのー」とその場しのぎの嘘で煙に巻いたり
バイトをする年齢になってからは「貯金があるからねー」とか
「パソコンで稼げる時代だからねー」などと言いドキドキしながらも誤魔化していました。
こんな嘘が長く通用するはずない…
毎日ドキドキしながら犯行は続き、結局誰に何を追求されることもなく…
20年以上続いた罪が無かったことになるのか…
こんなことがあっていいのだろうか…
いつか天の裁きが下ると怯えていた毎日はなんだったのか。
私は思いました。
罪をおかし、いつか罰されると怯える心そのものが「天罰」なのだと。
自分を苦しめるのはいつだって自分なのだと。
殺人を犯し、逃げ続ける犯人も逮捕されずとも天罰をうけている。
唯一「愉快犯」だけが…例外で…
誰もがいつもどこかで自分を責めている。
生きている限り動物を殺し、他人の生命で己の命をつなぐ。
生きている限り「罪」は消えない。
だからといって自殺するつもりもない。
ならば前に進め、奪った命を粗末にしないために己を磨け
Fさんが私のそばにいるかぎり
私も誠実でありたい。
あなたが真剣に私に向き合ってくれた恩返しをしたい。
成長を見ていてほしい。
あたながいるから、私は今日も歩ける。
人を変えるのは。。。やはり「出会い」なのかもしれません。
ここまで読んでくれてありがとう御座います。
Fさんを読者さんがどう思うかわかりませんが
私にとって憎くもあり、愛しくもあり、恩師でもある大事な人です。
応援してくださると嬉しいです。
私のブログで「いいね!」を押してくれた人の中に「アニメ感想ブログ」を扱っている人がいましたので、興味本意でお邪魔しにいきました。
そしたら毎日これでもか!というほど放送している深夜のアニメを
画像付き&感想サイトのまとめ情報+自分の意見
という構成で、常時更新している感じでした。
時間があったら過去ログ全てみたい!と思うくらい面白くて涎が出たのですが
ふと「ランキング順位のリンク」が目に入り、私は初めてピグブロのランキング累計コーナーに行きました。
そして「ペット部門・鳥 ランキング1位」のブログ
「自己啓発1位、2位」のブログ
「アニメ1位」のブログ
それぞれを覗いてきた結果・・・共通点があることが分かりました。
・画像、写真が綺麗なこと
・加工処理がしっかりしていること
・手間を惜しんでいないこと
・テーマがしっかりしていること
・オチがちゃんとあること
・TOPページに工夫があること
クオリティが高いとか、情報量が多いとか、更新が毎日されているとか…
そこが重要じゃないんですね。
私はランクトップは狙っていませんが、ブログを書く限り「多くの人に見てもらいたい」という気持ちはもちろんあります。
しかし「形から入る」ということをしません。
店の看板を作ってから料理を考えることがないように
中身をある程度書いて、ログが溜まってきたら、やっとこ看板を考える…
店の装飾を練り始める…。
そいういう「いつも通りのやり方」をするつもりでした。
しかしトップランクの方は違うのです。
中身も店構えも同時進行であり、随時変更する手間を惜しまないのです。
「あ、いいな」と思ったことはすぐ取り入れ、クオリティ、オチをしっかり固める。
「あ、これよくない」と思ったことはすぐに修正する。
身軽であり、的確であり、無駄のない動きなのです。
自分の魅力を知っていなければできないことです。
記事の内容が重すぎず、軽すぎもない。
日参するユーザーがチラっと見に来て、少し物足りない程度の量で帰らせる。
「もう一口食べたいな…」というぐらいが「次回も楽しく来られるユーザーの足を軽くする秘訣」だと思いました。
まぁ、でも私は…上を目指す気持ちはまだありません。
上にいくということは支持するユーザーも増えるとともに
批判するユーザーも必ず増えるからです。
私はその重みに耐えられません。
病名で検索して、ここを偶然見つけて、「あ、いいな」とほんのり思ってもらえる程度で
今は、いいです。
私の目的はひとつ、定めてあります。
「いつか家族にこのブログを見せる」
それだけ叶えば…いい。
ここは他人のためのブログではなく、私のためだけのブログなのです。
そしたら毎日これでもか!というほど放送している深夜のアニメを
画像付き&感想サイトのまとめ情報+自分の意見
という構成で、常時更新している感じでした。
時間があったら過去ログ全てみたい!と思うくらい面白くて涎が出たのですが
ふと「ランキング順位のリンク」が目に入り、私は初めてピグブロのランキング累計コーナーに行きました。
そして「ペット部門・鳥 ランキング1位」のブログ
「自己啓発1位、2位」のブログ
「アニメ1位」のブログ
それぞれを覗いてきた結果・・・共通点があることが分かりました。
・画像、写真が綺麗なこと
・加工処理がしっかりしていること
・手間を惜しんでいないこと
・テーマがしっかりしていること
・オチがちゃんとあること
・TOPページに工夫があること
クオリティが高いとか、情報量が多いとか、更新が毎日されているとか…
そこが重要じゃないんですね。
私はランクトップは狙っていませんが、ブログを書く限り「多くの人に見てもらいたい」という気持ちはもちろんあります。
しかし「形から入る」ということをしません。
店の看板を作ってから料理を考えることがないように
中身をある程度書いて、ログが溜まってきたら、やっとこ看板を考える…
店の装飾を練り始める…。
そいういう「いつも通りのやり方」をするつもりでした。
しかしトップランクの方は違うのです。
中身も店構えも同時進行であり、随時変更する手間を惜しまないのです。
「あ、いいな」と思ったことはすぐ取り入れ、クオリティ、オチをしっかり固める。
「あ、これよくない」と思ったことはすぐに修正する。
身軽であり、的確であり、無駄のない動きなのです。
自分の魅力を知っていなければできないことです。
記事の内容が重すぎず、軽すぎもない。
日参するユーザーがチラっと見に来て、少し物足りない程度の量で帰らせる。
「もう一口食べたいな…」というぐらいが「次回も楽しく来られるユーザーの足を軽くする秘訣」だと思いました。
まぁ、でも私は…上を目指す気持ちはまだありません。
上にいくということは支持するユーザーも増えるとともに
批判するユーザーも必ず増えるからです。
私はその重みに耐えられません。
病名で検索して、ここを偶然見つけて、「あ、いいな」とほんのり思ってもらえる程度で
今は、いいです。
私の目的はひとつ、定めてあります。
「いつか家族にこのブログを見せる」
それだけ叶えば…いい。
ここは他人のためのブログではなく、私のためだけのブログなのです。
睡眠に落ちる瞬間を感じてみたい…。
意識を手放す感覚とはどんなものなのか知りたい…。
そんなことを思いつき眠れなくなってしまった経験はありますか?
私はたびたびあります。
意識すればするほど睡魔が遠のく。
眠れない。
そんな時は眠ることを諦めて、壁によりかかり
抱き枕で心を落ち着け思考にふけったりしています。
睡眠とは活動を停止させること。
意識を無意識の世界に切り替えることです。
それはある意味「小さな死なんじゃないか」と私は勝手に思ってます。
そう思うようになったきっかけは、眠ることへの恐怖心からでした。
なにが原因かははっきり分からない。
けれど意識を失うことが怖かった…。
今考えている思考が、眠りから覚めた時に思い出せなくなることが怖かった。
覚えていたかった。
毎日、考えることがコロコロ変わる。
その内容の全てを覚えていたかった。
一時期、眠る前の思考をノートにメモし
眠りから覚めたら夢もメモし、かりそめの安心に浸っていたこともありました。
膨大なメモ帳の山を今更掘り返そうとは思いませんが、捨てることもできずにいます。
眠りが小さな死ではないかと思うようになってからは
眠る前に「今から死ぬんだ…。死ぬ前に自分は何を考えるんだろう。」
「今まで死んでいった人たちは最後の瞬間に何を思ったのだろう」
そのことに意識をむけるようになりました。
ある時は…「こんな安らかな死なら今すぐにでも本当の死が欲しい」と望んだり
「意識が途切れ、永遠の無があるだけだろうか」と想像したり
「数十年後の自分は病院のベッドで 死にたくない! と泣き叫び、もがきながら最後の一息まで苦しむのだろうか」
と震えたりしました。
死とは一人に一回しか与えられない。
けれど…一日に何千人もの人間が世界で死を体験している。
死を意識せず、平和に毎日を暮していると自然と忘れてしまう死への恐怖。
本来は時間とともに自然と襲い来る睡魔に身をゆだね
眠ることを気持ちよいと感じるのが普通かもしれない。
私は、だいぶ前から「普通」から遠のいてしまいました。
睡眠薬を飲み始めたのは22才ぐらいからでした。
軽い気持ちで医師に相談しただけで処方されてしまった睡眠薬。
興味本位で飲んでしまいました。
人生初の睡眠薬はあまりに強力で効果が強く、気絶するように昏睡してからは
三日間ほど睡魔に犯されたまま、布団から起き上がれませんでした。
「自分には必要ない薬」
そう心のどこかで分かっていながら…、医者が処方したんだからちゃんと飲まなきゃ…と
貧乏性の私は律儀に全部飲み続け
気が付けばすっかり抵抗力が身に付き睡魔などみじんもやってこない体になっていました。
睡魔なんかこない。
効果なんかない。
それでも「睡眠薬を飲む私」という病みっぷりに酔ってしまっていました。
家族が薬に対して異常に反応するので
見せつけるかのように薬の空ケースを机に置きっぱなしにしていた時もあります。
睡眠薬は自然に反する薬です。
人間など願ったように眠れなくても、満足がいかない睡眠が続いても
簡単に死んだりしません。
私のとある友人は「咳が止まらず6日間眠れず発狂するかと思った」
そんな経験をしています。
そこまで究極に追い詰められない限り睡眠薬は飲むべきではないと今は思います。
たとえ飲んだとしても、継続して飲まない。
薬とは無縁であれ、とは言わないけれど…
ここぞという時に一時的に利用するだけのものだと思います。
そうでないと自分の体への「信頼」が薄れていきます。
話はそれましたが…
睡眠が快感でなくなるとどうなるか…。
小さな死だと思うとどうなるか…。
私の場合は「気絶するほどの睡魔が来るまで眠ることを拒む毎日」が訪れました。
恐怖が襲ってきては発作止めの薬を飲み、死ぬ覚悟ができてからやっと眠る。
5年前は2時間おきに発作止めを飲み、一か月分を一日で使い切ったりしていました。
死を意識しすぎて「パニック障害」に悩まされた時期もあります。
現在は…
穏やかな環境に身をゆだね、ただ静かに
毎日死んでいく人たちの想いを想像し
恐怖におののくのではなく
「今日、もし死ぬとして、悔いはあるか」
「明日が今日と同じように訪れたとして、今日と違う事を一つでもできるか」
そんな貪欲さを覚えるようになりました。
いつ死んでも悔いが残らないくらい沢山の経験をしたい。
今日できなかったことを明日もできないままにしたくない。
時間は永遠ではない。
そう考えるのが日課になりました。
一人でも多くの人と話す。出会う。
無理はしなくていい。
コンビニの店員さんにあいさつをするだけでもいい。
「ありがとう」と言われて嫌な気分になる人などいない。
どんどん声をかけよう。
ここ数年で…。
特に今の彼氏と出会ってからの私の行動は加速する一方です。
自分の罪をゆるし、幸せになることへの貪欲さをむき出しにしている状態です。
実家にいたままではできなかったことです。
家族にこびりついた私の「マイナスのイメージ」をひっくり返すのは難しいのです。
私自身もそのマイナスを意識してしまうため重荷になるのです。
でも昔の私を知る人物がいなくなり、
悲しい思い出がしみついた家具が消え
ゼロからのスタート。
とても、とても軽いのです。
羽のように軽くなっていく心に
引っ越してからの数か月は驚きました。
睡眠は今でも少し怖いです。
でも、実家にいる時とは違う恐怖になりました。
小さな死を毎日体験し、いつか来る本当の死への心の準備をしている。
「まだ嫌だ」と終わるのではなく
「もう十分さ」と思って自分から目を閉じたい。
母親の死の姿は今でも恐怖として残っているけれど
だからこそ反面教師にしたい。
あなたの死を無駄にしない。
お母さん、あなたと同じ死に方をしないことが私の最大の親孝行です。
先ほど「えとたま」を視聴し終わりました。
最終回で大泣きしました。
録画機を購入してからアニメをしこたま録画し、一話だけ見て手ごたえがなさそうな物は
予約から消していました。
「えとたま」は私の好きなフィギュアの原型イラスト師を起用していたので
とりあえず見ておくか…という乗りの悪さからスタートしました。
干支と猫と人間をテーマにハチャメチャギャグを展開していたので
「あー…駄作入りかなぁ」とため息模様でしたが…
5話あたりから「あれ…?」と違和感を感じました。
ブレているようでブレていないかもしれない…と。
細部でのクオリティもそうですが、一見してダサ!っと思うCG戦闘のテンポの良さ
迫力、そして物語のメインであるネズミと猫の複線。
「良さ」に気づいてからは耐えながら見ていた気持ちが反転しました。
このアニメの感想をなぜ「病気カテゴリ」に入れたかというと…
ネズミの歪んだ心が、境界性人格障害とリンクしていたからです。
干支である12の神は家族であり
リーダーであるネズミの闇に家族は気づかなかった。
ネズミは家族を愛し、リーダーという立場から弱音を吐くことがゆるされず
真面目な性格ゆえに「負の感情」すらも真正面から受け止めてしまった。
人生で大事なことは「ネガティブな感情を適度に流す」ということです。
忘れる、
楽しいことに切り替える、
何かを利用して抹消する
誰かに頼る…
どんな方法でもいいからポジティブとネガティブのバランスを日々調整することが重要です。
ネズミは愛する家族の期待に応えられる達人にはなっていた。
けれど自分の感情処理はド素人のまま、月日が流れた。
唯一、親友であるネコは放浪の旅を続け
ネズミとの「世界平和」の約束を守る仕事に一生懸命で
そしてあまりに国外の…たぶん戦争区域の現実のむごさに
帰宅してはすぐに旅に出て世界を救う、そちらに意識を向けすぎていた。
ネズミの心が壊れそうになっていることにも気づけず…
アニメの11話あたりに少しだけこんなシーンがありました。
ネズミ「少し休んでいっ(たらどうだ)」
ネコ「じゃ!もう行くニャ!」
ネズミ「あ…・・・」
親友だからこそ、夢中になっている友達の作業の邪魔ができない。
そんな優しすぎるネズミ。
アニメでは登場のはじめからネズミは悪役でした。
「ネコを滅するのがただ一つの望み」
彼女はそれしか言わないのです。
憎しみと愛は表裏一体。
ギャグの合間に見えるキーワードを拾うことで
ネズミがネコに執着する理由が見え、最終回に向けて私の胸は期待でいっぱいになりました。
裏切らない。
この作品は期待を裏切らない!
実際に大泣きさせられたのだから、期待以上だったかと思います。
テーマに興味がない方は「なんだ、ギャグものか」で一話切りするかと思いますが
・干支の紙芝居でネコに嘘をついたのはネズミ
なのにネズミがネコを恨むのは逆ではないのか。
・CGはダサいが戦略が奇抜
そこらへんにピンときていたら「とりあえず視聴」のレベルでキープしていたと思います。
…それとも監督や制作会社で「ハズレなし」と見極めて見ていた人もいたかもしれませんが。
監督などの裏事情に興味のない私には、この「えとたま」の威力がわかりません。
少なくともランキングサイトで上位にはなかったです。
さて、アニメを見ていない方に最終回を解説します。
負の感情が許容量を超えたネズミは「怨念の塊」になり
記憶を失っていたネコは親友の牛の犠牲により記憶が戻ります。
ネズミは本気でネコを殺しにかかり、ネコは愛するネズミの心を浄化させるために
何度蹴られても、殴られても、ネズミの魂に触りにいきました。
ネズミは叫びます「なぜ私に関わる!裏切り者め!死ねええええ!!」と。
ネコも叫びます「もう離さない!ネズミを助ける!何度でも!何度でも!」と。
そして謝罪するのです。ネコがネズミに「ごめん」と。
ここまで悪化するまで気づけなくてゴメン、なのか
記憶を失う前に助けようとしたやり方が間違っててごめん、なのかはうろ覚えですが
ネコの一つ一つの言葉が私の涙腺を刺激しました。
そして自分が勘違いをしていたことに気づいていくネズミの動揺っぷりをみて
更に涙腺が緩みました。
最終的にはネズミが動揺してる隙をつき、ネコがネズミの魂を抱きしめ浄化させます。
戦闘に負け、勘違いが瓦解したネズミは大泣きしながらネコに言うのです。
「お前が旅ばかりして私は寂しかったんだ!」と。
「キャラ的に言えなかった!2000年も我慢したんだから我がままを言ってもいいだろう!」
すごい大泣きしながらネコをタコ殴りにするのです。
愛しているからこそ、ネコの旅を邪魔できなかった。
リーダーという立場から弱音が吐けなかった
頼りになるという固定観念から家族はネズミの弱さに気づけなかった
ふらふらと旅を続けるネコを家族は「お気楽なやつ」と見下していた
そんなネコが一番最初にネズミの異変に気が付いて浄化の方法を探した
アニメの設定なのに、現実にもよくありますよね。
学校、家庭、会社、肩書きやキャラで言いたいことが言えなくなる。
そんなジレンマに陥った経験は誰にでもあると思います。
ダークモードのネズミにも実はよりそう家族(干支)がいました。
ヘビとウシでした。
ヘビはネズミがダーク化した時から救いたいという気持ちを持っていたのに
救い方が分からず「ただ傍にいる」という選択を選びました。
ウシは愛するネコに危害を加えようとしているネズミに決闘を申込み
戦闘の中でネズミの本性に気づきました。
アニメの中では一番バカキャラ&脇役だったかもしれないウシが
後半では「実は一番鋭く強いキャラ」だったのです。
このブログを切っ掛けにアニメを見てくれるのが一番うれしいですが…
今の私は悲しい気持ちの方が大きいかもしれません。
なぜなら「現実であんな終わり方などない」からです。
ネコのような家族がいるなら…可能性はあるけれど
実際のところ…現実世界であのような情熱を病人にぶつける家族は少数です。
私の姉(長女)は現在とても落ち込んでいるそうです。
2か月前に私と大ゲンカして、私の本音のメールを読み
病気の本を読み漁り…何かに落ち込んでいるようなのです。
父からの情報なので詳細はわかりませんが
私の予想では姉は以下のことを考えていると予想してます。
「あんな憎しみをぶつけられるほど、私はひどいことをしたのだろうか」
「もう32歳にもなるのに…一人暮らしも楽しんでいるようだったのに…」
「私のやったことは全て間違いだったのだろうか」
「本は読んだけど解決策が書いてない…」
解決策が分からない。この一点においては間違いはないと思います。
そんなもの、こんなに身近なアニメにヒントがあるのにね。
「岩窟王」という作品にもヒントが載ってます。
憎しみに黒く染まった人間を癒すには「愛」しかないんです。
病人である本人が答えを知っていて、それを家族に伝えても、意味はないです。
それは「要求」であり「乞い」であり「屈辱」なのです。
実行したとしても「作業っぽさ」が抜けなくなります。
癒す側が「気づくしかない」
「知ろうとする気持ちになるまで待つしかない」
そうじゃないと…
本人が「これだ!」と確信を得て、揺るがない気持ちで実行しなければ
意味がないのです。
ある意味、どちらが音を上げるかの根性勝負なのですからPTSDの治療とは。
アニメには日本人の理想がたくさん詰まってます。
海外は「アニメは子供が見るもの」
国内では「オタクが見るもの」と嫌煙されがちですが
大事なものってあんがい、そこらじゅうに転がっていて
自分が見えなくさせちゃってるだけなのかもしれないですね。
では、今日はここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
最終回で大泣きしました。
録画機を購入してからアニメをしこたま録画し、一話だけ見て手ごたえがなさそうな物は
予約から消していました。
「えとたま」は私の好きなフィギュアの原型イラスト師を起用していたので
とりあえず見ておくか…という乗りの悪さからスタートしました。
干支と猫と人間をテーマにハチャメチャギャグを展開していたので
「あー…駄作入りかなぁ」とため息模様でしたが…
5話あたりから「あれ…?」と違和感を感じました。
ブレているようでブレていないかもしれない…と。
細部でのクオリティもそうですが、一見してダサ!っと思うCG戦闘のテンポの良さ
迫力、そして物語のメインであるネズミと猫の複線。
「良さ」に気づいてからは耐えながら見ていた気持ちが反転しました。
このアニメの感想をなぜ「病気カテゴリ」に入れたかというと…
ネズミの歪んだ心が、境界性人格障害とリンクしていたからです。
干支である12の神は家族であり
リーダーであるネズミの闇に家族は気づかなかった。
ネズミは家族を愛し、リーダーという立場から弱音を吐くことがゆるされず
真面目な性格ゆえに「負の感情」すらも真正面から受け止めてしまった。
人生で大事なことは「ネガティブな感情を適度に流す」ということです。
忘れる、
楽しいことに切り替える、
何かを利用して抹消する
誰かに頼る…
どんな方法でもいいからポジティブとネガティブのバランスを日々調整することが重要です。
ネズミは愛する家族の期待に応えられる達人にはなっていた。
けれど自分の感情処理はド素人のまま、月日が流れた。
唯一、親友であるネコは放浪の旅を続け
ネズミとの「世界平和」の約束を守る仕事に一生懸命で
そしてあまりに国外の…たぶん戦争区域の現実のむごさに
帰宅してはすぐに旅に出て世界を救う、そちらに意識を向けすぎていた。
ネズミの心が壊れそうになっていることにも気づけず…
アニメの11話あたりに少しだけこんなシーンがありました。
ネズミ「少し休んでいっ(たらどうだ)」
ネコ「じゃ!もう行くニャ!」
ネズミ「あ…・・・」
親友だからこそ、夢中になっている友達の作業の邪魔ができない。
そんな優しすぎるネズミ。
アニメでは登場のはじめからネズミは悪役でした。
「ネコを滅するのがただ一つの望み」
彼女はそれしか言わないのです。
憎しみと愛は表裏一体。
ギャグの合間に見えるキーワードを拾うことで
ネズミがネコに執着する理由が見え、最終回に向けて私の胸は期待でいっぱいになりました。
裏切らない。
この作品は期待を裏切らない!
実際に大泣きさせられたのだから、期待以上だったかと思います。
テーマに興味がない方は「なんだ、ギャグものか」で一話切りするかと思いますが
・干支の紙芝居でネコに嘘をついたのはネズミ
なのにネズミがネコを恨むのは逆ではないのか。
・CGはダサいが戦略が奇抜
そこらへんにピンときていたら「とりあえず視聴」のレベルでキープしていたと思います。
…それとも監督や制作会社で「ハズレなし」と見極めて見ていた人もいたかもしれませんが。
監督などの裏事情に興味のない私には、この「えとたま」の威力がわかりません。
少なくともランキングサイトで上位にはなかったです。
さて、アニメを見ていない方に最終回を解説します。
負の感情が許容量を超えたネズミは「怨念の塊」になり
記憶を失っていたネコは親友の牛の犠牲により記憶が戻ります。
ネズミは本気でネコを殺しにかかり、ネコは愛するネズミの心を浄化させるために
何度蹴られても、殴られても、ネズミの魂に触りにいきました。
ネズミは叫びます「なぜ私に関わる!裏切り者め!死ねええええ!!」と。
ネコも叫びます「もう離さない!ネズミを助ける!何度でも!何度でも!」と。
そして謝罪するのです。ネコがネズミに「ごめん」と。
ここまで悪化するまで気づけなくてゴメン、なのか
記憶を失う前に助けようとしたやり方が間違っててごめん、なのかはうろ覚えですが
ネコの一つ一つの言葉が私の涙腺を刺激しました。
そして自分が勘違いをしていたことに気づいていくネズミの動揺っぷりをみて
更に涙腺が緩みました。
最終的にはネズミが動揺してる隙をつき、ネコがネズミの魂を抱きしめ浄化させます。
戦闘に負け、勘違いが瓦解したネズミは大泣きしながらネコに言うのです。
「お前が旅ばかりして私は寂しかったんだ!」と。
「キャラ的に言えなかった!2000年も我慢したんだから我がままを言ってもいいだろう!」
すごい大泣きしながらネコをタコ殴りにするのです。
愛しているからこそ、ネコの旅を邪魔できなかった。
リーダーという立場から弱音が吐けなかった
頼りになるという固定観念から家族はネズミの弱さに気づけなかった
ふらふらと旅を続けるネコを家族は「お気楽なやつ」と見下していた
そんなネコが一番最初にネズミの異変に気が付いて浄化の方法を探した
アニメの設定なのに、現実にもよくありますよね。
学校、家庭、会社、肩書きやキャラで言いたいことが言えなくなる。
そんなジレンマに陥った経験は誰にでもあると思います。
ダークモードのネズミにも実はよりそう家族(干支)がいました。
ヘビとウシでした。
ヘビはネズミがダーク化した時から救いたいという気持ちを持っていたのに
救い方が分からず「ただ傍にいる」という選択を選びました。
ウシは愛するネコに危害を加えようとしているネズミに決闘を申込み
戦闘の中でネズミの本性に気づきました。
アニメの中では一番バカキャラ&脇役だったかもしれないウシが
後半では「実は一番鋭く強いキャラ」だったのです。
このブログを切っ掛けにアニメを見てくれるのが一番うれしいですが…
今の私は悲しい気持ちの方が大きいかもしれません。
なぜなら「現実であんな終わり方などない」からです。
ネコのような家族がいるなら…可能性はあるけれど
実際のところ…現実世界であのような情熱を病人にぶつける家族は少数です。
私の姉(長女)は現在とても落ち込んでいるそうです。
2か月前に私と大ゲンカして、私の本音のメールを読み
病気の本を読み漁り…何かに落ち込んでいるようなのです。
父からの情報なので詳細はわかりませんが
私の予想では姉は以下のことを考えていると予想してます。
「あんな憎しみをぶつけられるほど、私はひどいことをしたのだろうか」
「もう32歳にもなるのに…一人暮らしも楽しんでいるようだったのに…」
「私のやったことは全て間違いだったのだろうか」
「本は読んだけど解決策が書いてない…」
解決策が分からない。この一点においては間違いはないと思います。
そんなもの、こんなに身近なアニメにヒントがあるのにね。
「岩窟王」という作品にもヒントが載ってます。
憎しみに黒く染まった人間を癒すには「愛」しかないんです。
病人である本人が答えを知っていて、それを家族に伝えても、意味はないです。
それは「要求」であり「乞い」であり「屈辱」なのです。
実行したとしても「作業っぽさ」が抜けなくなります。
癒す側が「気づくしかない」
「知ろうとする気持ちになるまで待つしかない」
そうじゃないと…
本人が「これだ!」と確信を得て、揺るがない気持ちで実行しなければ
意味がないのです。
ある意味、どちらが音を上げるかの根性勝負なのですからPTSDの治療とは。
アニメには日本人の理想がたくさん詰まってます。
海外は「アニメは子供が見るもの」
国内では「オタクが見るもの」と嫌煙されがちですが
大事なものってあんがい、そこらじゅうに転がっていて
自分が見えなくさせちゃってるだけなのかもしれないですね。
では、今日はここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
進撃の巨人が放送終了してから何年が経ちましたっけ?
日本のアニメの放送数は凄まじいですね。
時の流れが分からなくなります。
そして私が録画機を購入してから「タイトルと制作会社だけで適当にアニメを見まくる」という行為をし始めて思ったこと。
駄作の方が多いんだね・・・ってことです。
そして駄作だと思ったものに限ってグーグルで検索ランキング一位のアニメ感想サイト
「あにこれ」での評価が高い不思議・・・。
え、、、ちょっと。
アニオタならこの作品よりもっといいもの見て、目が肥えてるはずじゃないの?
昔の名作、ちゃんと見たの?
って聞きたくなるほど謎なランキングと評価…。
ま、まさか私の感性がいかれたわけじゃないだろうし…
ハーレムものが特に最近、嫌気が差してきてるんですが
なに、あのぶりっこ女性陣は。
現実の女にああいうぶりっこはおりません。というか同性から超嫌われますからー。
あと主人公である男の「恋愛への鈍さ」あれだけアピールされてる上に
おっぱいやらパンツやら見せられまくってるわりには次のシーンで平常心モードに戻って
お前はえせ高校生だろ。と疑いたくなります。
生のおっぱいを見た日には高校生ならオナネタにしまくりな上に
おっぱいの持ち主の顔を見るたびにドキドキして
恋愛のドキドキと勘違いして両想いになっちゃったテヘ★
そんな軽いノリだろリアルさ追求したら!って思います。
しかも長期間複数の女性に追いかけまわされていて
最終的に一人を選べとか・・・。残忍だよね。。。えぐいよ。
もうね、愚痴を言い出したらきりない。
なので私が今まで見てきたアニメで「これは間違いなく名作」と思う
思い出せるタイトルを紹介します。
・蟲師…これは不動でしょう。原作2巻~4巻、ギンコの過去編は全て最高です。
・岩窟王…アニメでは珍しい「復讐のみ」を追求したアニメ。目がちかちかするけど慣れればいいのさ!
・キノの旅…古いアニメ。人の心にテーマを投げかける哲学
・カールじいさんの空飛ぶ家…映画だけど老人が徐々に元気になる様子とか、最愛の人の思い出は家や物に宿るのではなく、自分の心に刻まれているんだ。何歳になっても人生を再スタートしていいんだ!という勇気の湧く一品
・シュタインズゲート…最初から最後まで「仕組まれている」ストーリー。キャラの個性も逸品。少しハーレム要素はあるけど「おまけ」的なものなのできにならない。
・のんのんびより…最近のアニメではかなり好き。田舎の良さを伝えるのんびり作品
・デスノート…原作は文字が多いからアニメでいいでしょ。忠実に再現してるし。
・ばらかもん…書道の若き先生が田舎のガキどもにもみくちゃにされる話
・よんでますよ、アザゼルさん…放送禁止一歩手前の下品を極めた逸品。スタッフが原作大好きすぎる所がまた愛しい。原作者は漫画と違って超神経質ってのも面白い。
・進撃の巨人…海外の反応シリーズと一緒に見たからめっちゃ盛り上がった。
・電気街の本屋さん…安定して変態である。細かい部分がリアル
・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い…タイトルの通りだよ
・ソードアートオンライン…良い嫁を描く作品に駄作などない
・少女革命ウテナ…最終回あたりが神がかっている。放送当時ではエヴァ並み
・エヴァ…前半は気に入ってる。後半を作り直してくれれば神作でしょ。
・ノエイン…個人的に好き。小学生に別次元の同じ3人の男が執着して追いかけてくるのは変態的ともいえる。
・私の旦那が何を言っているか…突っ走ってて良い良い。分からない人おいてけぼり5分アニメ
・夏目友人帳…シリーズ通しての展開は遅いが綺麗に毎回の話が片付きメッセージ性を感じる
・クラナドアフター…卑怯だろ。。。あれは…。泣くさ。ああ泣くさ。
・苺ましまろ…絵は可愛いのにたまにシュール。小学生のなかに天才児がいる
他にもお気に入りはあるけど、思いつくのはこんなところ。
「ディーかーザンブラック」も作画がいい、けど
シュタインズゲートと比べるとやっぱりなぁ…って感じ。
「シュタゲ」「蟲師」「岩窟王」
この3つが三冠王でしょう。
私の中ではね。
興味がある人は頑張って検索してください。
無料で見る方法はたーっくさんあります。
日本のアニメの放送数は凄まじいですね。
時の流れが分からなくなります。
そして私が録画機を購入してから「タイトルと制作会社だけで適当にアニメを見まくる」という行為をし始めて思ったこと。
駄作の方が多いんだね・・・ってことです。
そして駄作だと思ったものに限ってグーグルで検索ランキング一位のアニメ感想サイト
「あにこれ」での評価が高い不思議・・・。
え、、、ちょっと。
アニオタならこの作品よりもっといいもの見て、目が肥えてるはずじゃないの?
昔の名作、ちゃんと見たの?
って聞きたくなるほど謎なランキングと評価…。
ま、まさか私の感性がいかれたわけじゃないだろうし…
ハーレムものが特に最近、嫌気が差してきてるんですが
なに、あのぶりっこ女性陣は。
現実の女にああいうぶりっこはおりません。というか同性から超嫌われますからー。
あと主人公である男の「恋愛への鈍さ」あれだけアピールされてる上に
おっぱいやらパンツやら見せられまくってるわりには次のシーンで平常心モードに戻って
お前はえせ高校生だろ。と疑いたくなります。
生のおっぱいを見た日には高校生ならオナネタにしまくりな上に
おっぱいの持ち主の顔を見るたびにドキドキして
恋愛のドキドキと勘違いして両想いになっちゃったテヘ★
そんな軽いノリだろリアルさ追求したら!って思います。
しかも長期間複数の女性に追いかけまわされていて
最終的に一人を選べとか・・・。残忍だよね。。。えぐいよ。
もうね、愚痴を言い出したらきりない。
なので私が今まで見てきたアニメで「これは間違いなく名作」と思う
思い出せるタイトルを紹介します。
・蟲師…これは不動でしょう。原作2巻~4巻、ギンコの過去編は全て最高です。
・岩窟王…アニメでは珍しい「復讐のみ」を追求したアニメ。目がちかちかするけど慣れればいいのさ!
・キノの旅…古いアニメ。人の心にテーマを投げかける哲学
・カールじいさんの空飛ぶ家…映画だけど老人が徐々に元気になる様子とか、最愛の人の思い出は家や物に宿るのではなく、自分の心に刻まれているんだ。何歳になっても人生を再スタートしていいんだ!という勇気の湧く一品
・シュタインズゲート…最初から最後まで「仕組まれている」ストーリー。キャラの個性も逸品。少しハーレム要素はあるけど「おまけ」的なものなのできにならない。
・のんのんびより…最近のアニメではかなり好き。田舎の良さを伝えるのんびり作品
・デスノート…原作は文字が多いからアニメでいいでしょ。忠実に再現してるし。
・ばらかもん…書道の若き先生が田舎のガキどもにもみくちゃにされる話
・よんでますよ、アザゼルさん…放送禁止一歩手前の下品を極めた逸品。スタッフが原作大好きすぎる所がまた愛しい。原作者は漫画と違って超神経質ってのも面白い。
・進撃の巨人…海外の反応シリーズと一緒に見たからめっちゃ盛り上がった。
・電気街の本屋さん…安定して変態である。細かい部分がリアル
・私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い…タイトルの通りだよ
・ソードアートオンライン…良い嫁を描く作品に駄作などない
・少女革命ウテナ…最終回あたりが神がかっている。放送当時ではエヴァ並み
・エヴァ…前半は気に入ってる。後半を作り直してくれれば神作でしょ。
・ノエイン…個人的に好き。小学生に別次元の同じ3人の男が執着して追いかけてくるのは変態的ともいえる。
・私の旦那が何を言っているか…突っ走ってて良い良い。分からない人おいてけぼり5分アニメ
・夏目友人帳…シリーズ通しての展開は遅いが綺麗に毎回の話が片付きメッセージ性を感じる
・クラナドアフター…卑怯だろ。。。あれは…。泣くさ。ああ泣くさ。
・苺ましまろ…絵は可愛いのにたまにシュール。小学生のなかに天才児がいる
他にもお気に入りはあるけど、思いつくのはこんなところ。
「ディーかーザンブラック」も作画がいい、けど
シュタインズゲートと比べるとやっぱりなぁ…って感じ。
「シュタゲ」「蟲師」「岩窟王」
この3つが三冠王でしょう。
私の中ではね。
興味がある人は頑張って検索してください。
無料で見る方法はたーっくさんあります。
こんにちは。トオルっちです。
現在とても興奮しています。
性的にではありません。
2人の人間と会話のバトルをして思考がフル回転モードになっています。
その二人との会話の中で何度も出てきたキーワード
「面倒くさい」「めんどい」「めんどっちい」
言い方は様々ですが、この「面倒だ」という言葉
とてもやっかいです。そして日常的に使われる回数が多く
そして軽く流されてしまいがちなワードでもあります。
しかしこの「面倒くさい」というワード
使い方、考え方によっては多大なエネルギーに変換する方法があると分かりました。
「面倒くさいからやだ」が口癖のダメ人間を「積極的で行動的な素晴らしい人間」にも
変身させてしまうパワーがあります。
これが正解かは分かりませんが、順番に考えていきたいと思います。
まず、私がバトルをした一人目の人間
それはとある中古ショップの査定担当の店員さんです。
私が「これは最低でも300円以上と査定されるだろうな」と予想して
お店に持ち込んだフィギュア、それがホビー責任者である査定担当の人によると
「このジャンルは100円です」と査定を出したのです。
※私が持ち込んだのは化物語という人気アニメの中でも主人公より人気があると有名な
忍野忍のちびきゅんきゃらフィギュアです。
非売品なので定価はありません。
私はこの店員さんと40分以上はバトルをしたと思います。
しかし内容は論理的に、冷静に、ゆっくりと、着実に行ったので
最終的には店員さんが「…お客様のご希望はおいくらですか」
私→「現在の相場の3割買い取りが希望です」
店員→「では330円程でよろしいですか?じゃあそのお値段に訂正ということで…」
という結果にまで持ち込めました。
勝ち負け、、、で話を終わらせるには変かもしれませんが、
それでも「私の希望に近い形になった」と言えます。
なぜこうなったのでしょうか。
数年前の私は中古ショップにオモチャを持ち込むたびに
「こんな安いはずない!これは価値があるやつなんだぞ!」
と興奮し、苦笑いする店員に敵意をむき出しにして
最終的には「責任者を出せ!」と店にクレームを押し付け帰る。店長に謝らせる。
そんな「迷惑なお客」の一人でした。
問題を起こしてばかりだったんです。
でも今回は違いました。
なぜ?
うまく説明できるか分かりませんが書いてみます。
今回、明らかに店員さんの目と態度が「仕事めんどくさい」「査定めんどくさい」
「早くお客を追い帰したい」という死んだ魚のような濁った瞳でした。
私はこういう人間を「夢を見失った彷徨う人」と思っています。
子供やオモチャに興味のある人がたくさん来るお店に努める道を選んだからには
それなりの「僕はこのジャンルが好きだ」という気持ち
「夢」があったはずなんです。
それがこんな濁った瞳になってしまっている。
きっと日々、残念なことを見続けてきたんだろう。
きっと期待していた夢のような出来事が起こらなかったのだろう。
夢と現実のギャップに疲れているのだろう。
そう思いました。
【日々に疲れ、傷ついた人である】
それを念頭に置いて会話することにしたのです。
まず「店員さん」と呼ぶのをやめたいと思い、名前を伺いました。
店員というのは属性であり大勢の中の一人、個人を尊重する愛称ではないと思ったからです。
店員さんは(仮ですが)「Aと言います」と言いました。
なので私はその後の会話では店員さんを呼ぶ時は「Aさんは…」と呼ぶようにしました。
そして次に役職を聞いてねぎらいました。
「ホビー部門の責任者であれば山のような在庫の管理が日々、大変ですよね」
「お客は店の中の値札を基準に査定所に来られると思います。思ったような値段がつかずに
クレームがきたり、がっかりして帰ったりが多いと思います。
最高責任者であれば好き勝手に値段を変えられるでしょうが、部門担当で
上からも下からも挟まれる立場であれば、中途半端なことはできませんもんね?大変だと思います」
「こんな閉店前の忙しい時間に私のような人間が来るのは迷惑かもしれませんが
お互いに納得して気持ちよく取引がしたいので、思ったことを素直にAさんに言ってもいいですか?」
会話のふしぶしにこんな感じの言葉をちりばめました。
※あと私は身長が150以下と小さく、身長の高い男性から1分以上見下ろされるとイラっとするので「背の高い方にじっと視線を向けられると緊張してしまうので、少し視線を外してもらえますか?」という注意もしました。
あまりにじーーーーと見つめてきて気分の悪くなる対応ばかりする店員さんだったので
あえて言いました。
ねぎらいの次に私(客側の気持ちを混ぜながら)商品について語り合うことにしました。
その際に以下の情報を念頭に置きました。
・私が過去にさまざまな店員さんから聞いたお店の情報をAさんに(必要な所だけ)伝える
・店が在庫の山で管理しきれていないこと
・在庫リスト、商品リストがないこと
・査定の際にネットオークション落札相場サイトを活用していること
・流行に沿った査定基準を実行しているのと対照的に店内商品は時間が経過しても一度つけた最初の値段から変動させないこと
・その日の査定担当者によって査定額が大幅に変わること
・商品値付けの基準が部門担当者の気分や知識が基準になっていること
これら全て数年にわたる店員さんたちから得た証言入りの情報です。
「これを言ってしまうと私の不利になる」という情報の選別までは
私の能力ではまだできないので
その都度、思い出した情報をポコポコ出してAさんに言ってしまったのですが…
それでも「論理的に」「冷静に」を徹底していくうちに矛盾がなくなり
結果的には「良い空気」になっていきました。
追い込む形にはなりましたがAさんが「うなずくしかない選択」まで幅を狭めたのです。
やり方はこうです。
私「このAの商品とBの商品は100円という査定なんですね?
Aは現在も放送中のアニメキャラで人気が高いですよね。
Bのキャラはもう何年も話題に上らないような昔のアニメキャラですよね。
この二つが同等の査定額なのはおかしいですよね?」
Aさん「いや~、でも店で決められている査定をしましたので~。僕もこのキャラは知っているんで~」
私「忍ちゃん、人気ですよね^^この前もテレビに忍ちゃんのフィギュアが取り上げられて更に人気が上がったみたいですね。Aさんはこのキャラのアニメ、見ました?シャフトは独特の作風で原作の魅力をさらに上げてくれますよね」
Aさん「ですね~。京アニも僕は好きですけど(略)」
私「ちなみに前回、査定して頂いた時にも査定額に納得できず、他の店員さんと揉めちゃったことがあるんですが、その店員さんは私を納得させるためにパソコンに査定に使っているサイトを表示し査定額が妥当だという証明をしてくれました。できれば今回も同じようなことをして頂くが、ほかに納得のいく説明を頂きたいんですが、お願いできますか?」
Aさん「あー…、本当は店のパソコン画面をお客さんに見せちゃダメなんですが…まぁ、分かりました。えっと、忍野忍のきゅんきゃらですね。ちょっと待っててください」
Aさん「あー…、高くて1000円、最近だと500円ぐらいで落札されてますね~」
私「私もオークションをよく使うんですが、やっかいなのが送料なんですよね。落札プラス送料とか振込手数料が上乗せされて、結局手元に届く頃には倍の値段になってたり、よくあります。
多分その画面の方たちも送料で300円ぐらい払ってて、落札代金と合計して最終的には800円ぐらいになってると思うんです」
Aさん「そうですね~」
私「査定待ちの間に店内を見させてもらったんですが、このアニメの主人公のフィギュアがガラスケースの中で厳重に管理されてて、値札が1000円だったんですよ。
だから主人公より人気の高い忍ちゃんは1000円以上のお値段で棚に出しますかね…?」
Aさん「あー…、はは、もしかしたら、かもですね」
私「こっちのBの商品は通常の値段(在庫処分300円)になりますよね。このBと忍ちゃんが一緒の査定額ってやっぱり…、んー、私としては腑に落ちないんですよ~」
Aさん「まぁ、確かに…おかしい、かな、へへ」
私「Aさんが私の立場だったらどう思います?」
Aさん「売らないで持って帰りますw」
私「ですよねーw」
Aさん「www」
私「飲食店でも、どんなお店でも仕入れ値って3割が妥当ってよく聞くんですけど
前にこの査定所に来たときに会話した店員さんもそう言ってたんですよ。うちは店内商品の値段の3割が基準値ですね~。人気やプレミアの度合いによって上乗せされていって、最高で定価の9割買い取りもあります~。そう言ってたんで、私は今日、とっても期待してこの査定所にきたんです。ネットでもこのキャラ、まだまだ人気みたいだし、なんとかなりませんか?」
Aさん「そうですね~…。お客様のご希望価格はおいくらぐらいですか?」
↑
でた。
ここがAさんと私の「着地点」となったわけです。
このAさんは全身から「面倒くさい」「追い帰したい」「まともに相手したくない」オーラが出ていたので最初が手ごわかったです。
けど、結局「私も同じ趣味なんですよ」「気が合いますね」「私あなた側の人間なんですよ」
というアピールをしていくことでAさんが「面倒くさがりな店員」から
「Aさんという感情ある一人の人間」へと変移していったということです。
しかし、、、私もまだまだ未熟なので最後に余計なことをAさんに言ってしまいました。
私「持ち込む日によって査定額にひどいばらつきがあるんで、従業員同士で情報の統一をしてくれると助かるんですが…」
Aさん「いや、ホビーだけでも山のように種類があるんで店てきに無理です」
私「無理というのはおかしいですよ。お客さんの大事なお金と品物を管理するんですから当然の責務です。あなただってここで働いて人生の貴重な時間をこの仕事に費やしているなら適当にやっつけていくやり方は自分を蹴落とすようなもんです。
店内全部を管理するのが無理でも自分が興味あるフィギュアコーナーだけでも統一したらいかがですか?上を見たらきりがないですが最初の一歩がないと次の一歩も一生無いですよ」
Aさん「・・・」
私「あと接客としてお客さんが意見を述べた後は 検討します。 という言葉を使う方がいいですよ?検討、というのは最終決定権は店側にあるけれど、お客さんの意見もありがたく頂きます。お店のことを考えて意見をくださりありがとうございます、という両者が気持ちよく終われる最高の単語なんです」
Aさん「あ、なるほど」
私「!・・・・・・・・ご、ごめんなさい。。。つい余計なことを・・」
Aさん「いえ、なるほどと凄い思いました・・・すみません」
私「私こそすみません」
お互いにペコペコ;
そんな展開が一時ありましたw
ま、そんな感じで結果的には店員さんの瞳に光が少し戻ってきていたし
私も「気持ちが伝わったな~、よかったな~」という終わり方になり
多少の満足感がありました。
裏で「あのお客の相手はめんどくせー!」と愚痴られていたとしても
いいや!
って思えるくらい手ごたえを感じたのです。
私なりの「着地」でした。
2人目にバトルしたのは彼氏なのですが
いや~、こっちは「病人」「冷静さがない」状態だったので
手ごわかったです。
※そもそも男性って偏頭痛とか腹痛とか
急な体調不良を「痛くなくなればいいだけのこと」「病院とか大げさ」と
あっさり流しすぎではありませんか?
脳に血栓とかがあって急に血管が破裂してバッタリ死ぬかも・・・と
危険を予測したりはしないのでしょうかね。
それとも「死んだら死んだでいいんだ」「俺は太く短く生きる!」みたいな
「俺様的ルール」でもあるんでしょうかね。
結局のところつきつめると
病院での「待ち時間がめんどくさい」だけだったりするから馬鹿馬鹿しいんですけどね。
それは置いておいて…
私の彼氏は食事の後に毎度腹痛が起きるようなのですが
今日の腹痛は酷いらしく
店員とバトルした興奮状態の私の相手もできないくらい
苦しみもがいていました。
病院にいけよーと日々文句をいう私からすると「いわんこっちゃない」という状態なので
「私の話を聞けないならさっさと一人で帰れよ。帰れないならおんぶしてやんよ。どうしたのか言え」
「帰りたい…」
「だから帰れるのかどうか聞いてるのー。私はまだ帰りたくないから一人で帰れますかって聞いてるのー」
「頼むから帰ろうよ。。。自転車はこげるから・・・」
「帰ったって痛みが消えるわけでもないでしょーが。私の話を聞いてくれないなら帰ってもやることないし、私は喋りたいモードだからあなたの傍にいてもあなたに迷惑かけちゃうだけなの。だから帰りたいなら一人で帰って」
「お願いだから一緒に返ろうよ…いててて」
「なに?私にそばにいてほしいの?違うでしょ?体調が悪い時はいっつも 傍によるな って私をおっぱらうじゃん。私の話が聞けないぐらいヤバイなら勝手に帰れよ。ほーら漏れちゃうよ~?おいきなさ~い」
「まじで腹痛いんだよ。。。勘弁してよ」
「だから何!?目的はなに!?理由は何!?なんで一緒に帰ることに拘るの!!はよどっかいけ!どーせ私がなにをいっても病院いかないし、言い訳ばっかで!!
しかも痛いってばっかり主張して、自分のことばっかじゃん!現在の状況を述べてるだけじゃん!お腹の痛みが治まったらちゃんと話を全部聞くから、今は我慢してね。迷惑かけてごめん、ぐらい言えアホ!体調不良の時こそ人間の本性ってモロ見えになるんだよ!お前がまともに私と会話できないってことは日ごろから努力してねーってこった!4年前と何が変わったよ!?私とケンカすることにビビって年々言いたいことが言えなくなってくだけじゃねーか!なんの努力も勉強もせずにイライラした女の相手なんかできるわけねーんだよ!会話特訓本とか女心が分かる本とか立ち読みぐらいしてこいって毎回いってるよな!?んでやーっとこ会話が上手になる本なんて買ってきたって1ページも読まないんじゃ意味ないんだよクズ!買っただけで読んだ気になるなよ!?あん!?裸の大将さんよぉ」
↑
今思い出すとひどいっ・・・;
※イライラしてる時の私はいつもこんな感じです。
早口に触発されて彼氏も興奮し、お互い大パニック→警察沙汰になったりします
で、結局、どう「着地」したかというと…
興奮した私が自分のスマホの友達リストをしばらく眺め・・・
私「ああ、今の私には気持ちを受け止めてくれる友達がいっぱいいる…
いつでも泣きついていいんだ。逃げ場所があるんだ。支えがあるんだ。
そういえばここ一年、誰とも疎遠になってないな。
私から話しかけないと疎遠になる人が昔は多かったけど
相手から 最近どう~? って話しかけてくれる機会が増えた。
嫌われてないって思っていいんだよね・・・。
いい関係が保ててると思っていいんだよね・・・。」
そう思ったらイライラしていた熱気が霧のようにふわ~・・・っと散っていきました。
「あれ、いつもなら腹の底が煮えたぎって数十時間はイライラしっぱなしなのに…
熱が冷めてきたな…」
「好きで体調不良になったわけじゃないのに、自分のことを押し付けて彼氏に申し訳ないな。謝ろう。夜中に病院の話題を出しても仕方ないし、休日に 検査にいこう って誘うのが妥当か。断ってきたらまたその時、考えよう」
そう凄いポジティブに物事を結論づけることができたのです。
あとは徹底的に彼の看護にあたりました。
これが2人目の「着地」でした。
うん・・・・なんか、前と・・・違う。
まるで、山登りが楽になったかのよう。
着地して見上げた景色も、なんか違う。
これって、病気が良い方向へ治り始めてるってことなんでしょうかね。
努力してるから?
それとも減薬し始めたから?
それとも今月の生理が終わったから?
たんなる偶然?
40歳から徐々に治り出すって医者は言ってたけど、それが今きてる?
分からないことだらけ。
でもちゃんとわかったことがあります。
私は努力家でもありますが、極端にめんどうくさがりでもあります。
差が激しくて私生活を見る機会がある恋人たちは皆びっくりします。
・趣味をやり出すと何十時間でもやり続ける
・トイレを面倒くさがる
・勉強きらい
・無言が多い
・喋り出すと数時間止まらない(突然しゃべりだす)
・部屋が汚い(整理整頓だけはハイレベル)
・突然掃除をし出して潔癖症っぽくなる
・熱が冷めると趣味を数年単位でやらなくなる
・気に入った作家を見つけると作品をコンプリートし睡眠を削って読む
・ウロチョロする日と微動だにしない日の予測がつかない
・常に不安がっている
・マイナス思考とプラス思考を自分でコントロールできず暴走する
・被害妄想が凄い
そんな私が「今からバトルする」「でも気持ちを言葉に置き換えて伝えるのが面倒くさい」
「どうせ伝わらない」「バトル中泣きそうになる」「みじめな気分になる」
そうならずにバトルを終え、満足のいく着地をした。
スマホの友達たちとも日々、ケンカはあるけど、ちゃんと気持ちを伝えあって
悲しい着地にならず関係が続いてる。
なぜ?
何が切っ掛けになったんだろう。
突然変化したのか…それともゆっくり変化して気づく間もなかったのか…
でも、病気の治療に取り組むにあたり、
いやもう4年前から心に常に持ち続けた「これ」が効果を発揮してきた気がします。
「これ」は↓です。
----------------------------------------
面倒くさい。それは頂上を見てしまうから。
一歩の歩幅を縮めてみよう。
足の筋肉がピクリと動いただけでも自分を褒めよう。
「歩き続けよう」という気持ちを絶えず持ち続ける自分を褒めよう。
一緒に歩いてくれてる人に感謝を伝えよう。
明日死んでもいいように。
悔いが残らない生き方をしよう。
言葉が伝わった時に大げさなくらい喜ぼう。
気持ちを受け取ってくれた人に「ありがとう」を言おう。
自分が言ってもらいたい言葉を自分から言おう。
十人十色。
歴史がない人間はいない。
あなたのことが知りたい。
教えて。
喋ろう、話そう、やってみよう。
私はいつでもここにいるよ。
----------------------------------------
うん「一文」ではなく歌の歌詞かのような「文章」なんです。
でもいつも「このこと」を心に思いながら生きてきました。
いや「思う」ではなく「想う」ですね。
願う、
そうあれ
我よそうであれ、と。願う気持ちの歌、ですかね。
14歳まで運動ばかりで「会話」ができなかった私。
引きこもってる間に読んだ本、漫画本も、小説も、ゲームも
心理学の本も、会話上達本もエロ本も。
無駄なことなんて何もない。
「引きこもり」って無駄な時間じゃないんです。
ネトゲだって、無駄な時間じゃないんです。
スマホいじりだって
アプリゲームだって
お風呂でぼーっとするのも全部無駄じゃない。
「動かない時間」があるから「動く時間」が産まれる。
マイナスがあるからプラスが重みを増す。
知れば知るほど、心も体も敏感になる。
いつか蓄えていた知識や経験が役に立つ。
知らない場面でも使ってる。
勝手に出てきちゃう。
面倒くさい。
それは大切なこと。
心を許してる人にしか言えない言葉。
体が動きたくないサイン
行動した結果にナイーブなイメージがあるメッセージ
手を抜く経験をしなければ
手を尽くす加減がわからなくなる。
マイナスとプラスを経験して
初めて「コントロール」が出来るようになるんです。
両方ないと、ダメなんです。
可愛い子には旅をさせろ。って言葉がありますよね。
それは酸いも甘いも経験してきなさいってことなんです。
万能であれよ、と。
支配される側でなく支配する側であれよ、と。
面倒くさいが癖になっている人間だって
面倒くさくない時間が必ずあるんです。
人生80年のうち、1年でも面倒くさくない時間が体験できれば
ヨしとしようじゃありませんか。
もし、足が重い、めんどくさい時間が増えたと感じたら
誰かに荷物を持ってもらおう。
一歩の幅を狭めよう。
少し座って、草や虫を眺めていよう。
風の匂いを嗅いでみよう。
他の山のことを考えてもいい。
今誰が登っていて
どんな苦労をしているのか。
足は痛くないか。
そんなことをしているうちに、ほら…
「こんな時間も悪くない」って思えてくるでしょう。
歩けるようになったら、他人の重い荷物を少し持ってあげる。
ごみを拾いながら登る。
えらい
えらいと自分を褒める。
いつか綺麗な頂上の朝日が見れる。
期待に胸ふくらませ、夢を持って。諦めないで。
私はいつでもここにいる。
一緒にいるよ。
で、結局のところなんですが…
私は試練に負けてしまったんでしょうかね?
32歳という年齢を越えて、自然治癒が始まったんでしょうか。
努力の成果じゃないんでしょうか。。。
誰にも答えは分からない。
でも、こんなに穏やかな世界なら、もう理由なんてなんでもいいのかな。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
長旅、ご苦労さまでした。
今日は長文すぎるぐらい長文でしたね。
書き始めたのが深夜2時ぐらいだったのに今は朝日が昇ってます。
私のブログをブックマークして「更新してないかな?」って見に来てくれてる人
ありがとう^^
アクセス解析ページを初めて見て「ブックマークから見に来てる」という人数が1位になっていて理解しました。
いつか「いいね」をつけてくれてる人たちのブログも見て回りたいです。
きっといろいろな歴史があるのでしょう。
現在とても興奮しています。
性的にではありません。
2人の人間と会話のバトルをして思考がフル回転モードになっています。
その二人との会話の中で何度も出てきたキーワード
「面倒くさい」「めんどい」「めんどっちい」
言い方は様々ですが、この「面倒だ」という言葉
とてもやっかいです。そして日常的に使われる回数が多く
そして軽く流されてしまいがちなワードでもあります。
しかしこの「面倒くさい」というワード
使い方、考え方によっては多大なエネルギーに変換する方法があると分かりました。
「面倒くさいからやだ」が口癖のダメ人間を「積極的で行動的な素晴らしい人間」にも
変身させてしまうパワーがあります。
これが正解かは分かりませんが、順番に考えていきたいと思います。
まず、私がバトルをした一人目の人間
それはとある中古ショップの査定担当の店員さんです。
私が「これは最低でも300円以上と査定されるだろうな」と予想して
お店に持ち込んだフィギュア、それがホビー責任者である査定担当の人によると
「このジャンルは100円です」と査定を出したのです。
※私が持ち込んだのは化物語という人気アニメの中でも主人公より人気があると有名な
忍野忍のちびきゅんきゃらフィギュアです。
非売品なので定価はありません。
私はこの店員さんと40分以上はバトルをしたと思います。
しかし内容は論理的に、冷静に、ゆっくりと、着実に行ったので
最終的には店員さんが「…お客様のご希望はおいくらですか」
私→「現在の相場の3割買い取りが希望です」
店員→「では330円程でよろしいですか?じゃあそのお値段に訂正ということで…」
という結果にまで持ち込めました。
勝ち負け、、、で話を終わらせるには変かもしれませんが、
それでも「私の希望に近い形になった」と言えます。
なぜこうなったのでしょうか。
数年前の私は中古ショップにオモチャを持ち込むたびに
「こんな安いはずない!これは価値があるやつなんだぞ!」
と興奮し、苦笑いする店員に敵意をむき出しにして
最終的には「責任者を出せ!」と店にクレームを押し付け帰る。店長に謝らせる。
そんな「迷惑なお客」の一人でした。
問題を起こしてばかりだったんです。
でも今回は違いました。
なぜ?
うまく説明できるか分かりませんが書いてみます。
今回、明らかに店員さんの目と態度が「仕事めんどくさい」「査定めんどくさい」
「早くお客を追い帰したい」という死んだ魚のような濁った瞳でした。
私はこういう人間を「夢を見失った彷徨う人」と思っています。
子供やオモチャに興味のある人がたくさん来るお店に努める道を選んだからには
それなりの「僕はこのジャンルが好きだ」という気持ち
「夢」があったはずなんです。
それがこんな濁った瞳になってしまっている。
きっと日々、残念なことを見続けてきたんだろう。
きっと期待していた夢のような出来事が起こらなかったのだろう。
夢と現実のギャップに疲れているのだろう。
そう思いました。
【日々に疲れ、傷ついた人である】
それを念頭に置いて会話することにしたのです。
まず「店員さん」と呼ぶのをやめたいと思い、名前を伺いました。
店員というのは属性であり大勢の中の一人、個人を尊重する愛称ではないと思ったからです。
店員さんは(仮ですが)「Aと言います」と言いました。
なので私はその後の会話では店員さんを呼ぶ時は「Aさんは…」と呼ぶようにしました。
そして次に役職を聞いてねぎらいました。
「ホビー部門の責任者であれば山のような在庫の管理が日々、大変ですよね」
「お客は店の中の値札を基準に査定所に来られると思います。思ったような値段がつかずに
クレームがきたり、がっかりして帰ったりが多いと思います。
最高責任者であれば好き勝手に値段を変えられるでしょうが、部門担当で
上からも下からも挟まれる立場であれば、中途半端なことはできませんもんね?大変だと思います」
「こんな閉店前の忙しい時間に私のような人間が来るのは迷惑かもしれませんが
お互いに納得して気持ちよく取引がしたいので、思ったことを素直にAさんに言ってもいいですか?」
会話のふしぶしにこんな感じの言葉をちりばめました。
※あと私は身長が150以下と小さく、身長の高い男性から1分以上見下ろされるとイラっとするので「背の高い方にじっと視線を向けられると緊張してしまうので、少し視線を外してもらえますか?」という注意もしました。
あまりにじーーーーと見つめてきて気分の悪くなる対応ばかりする店員さんだったので
あえて言いました。
ねぎらいの次に私(客側の気持ちを混ぜながら)商品について語り合うことにしました。
その際に以下の情報を念頭に置きました。
・私が過去にさまざまな店員さんから聞いたお店の情報をAさんに(必要な所だけ)伝える
・店が在庫の山で管理しきれていないこと
・在庫リスト、商品リストがないこと
・査定の際にネットオークション落札相場サイトを活用していること
・流行に沿った査定基準を実行しているのと対照的に店内商品は時間が経過しても一度つけた最初の値段から変動させないこと
・その日の査定担当者によって査定額が大幅に変わること
・商品値付けの基準が部門担当者の気分や知識が基準になっていること
これら全て数年にわたる店員さんたちから得た証言入りの情報です。
「これを言ってしまうと私の不利になる」という情報の選別までは
私の能力ではまだできないので
その都度、思い出した情報をポコポコ出してAさんに言ってしまったのですが…
それでも「論理的に」「冷静に」を徹底していくうちに矛盾がなくなり
結果的には「良い空気」になっていきました。
追い込む形にはなりましたがAさんが「うなずくしかない選択」まで幅を狭めたのです。
やり方はこうです。
私「このAの商品とBの商品は100円という査定なんですね?
Aは現在も放送中のアニメキャラで人気が高いですよね。
Bのキャラはもう何年も話題に上らないような昔のアニメキャラですよね。
この二つが同等の査定額なのはおかしいですよね?」
Aさん「いや~、でも店で決められている査定をしましたので~。僕もこのキャラは知っているんで~」
私「忍ちゃん、人気ですよね^^この前もテレビに忍ちゃんのフィギュアが取り上げられて更に人気が上がったみたいですね。Aさんはこのキャラのアニメ、見ました?シャフトは独特の作風で原作の魅力をさらに上げてくれますよね」
Aさん「ですね~。京アニも僕は好きですけど(略)」
私「ちなみに前回、査定して頂いた時にも査定額に納得できず、他の店員さんと揉めちゃったことがあるんですが、その店員さんは私を納得させるためにパソコンに査定に使っているサイトを表示し査定額が妥当だという証明をしてくれました。できれば今回も同じようなことをして頂くが、ほかに納得のいく説明を頂きたいんですが、お願いできますか?」
Aさん「あー…、本当は店のパソコン画面をお客さんに見せちゃダメなんですが…まぁ、分かりました。えっと、忍野忍のきゅんきゃらですね。ちょっと待っててください」
Aさん「あー…、高くて1000円、最近だと500円ぐらいで落札されてますね~」
私「私もオークションをよく使うんですが、やっかいなのが送料なんですよね。落札プラス送料とか振込手数料が上乗せされて、結局手元に届く頃には倍の値段になってたり、よくあります。
多分その画面の方たちも送料で300円ぐらい払ってて、落札代金と合計して最終的には800円ぐらいになってると思うんです」
Aさん「そうですね~」
私「査定待ちの間に店内を見させてもらったんですが、このアニメの主人公のフィギュアがガラスケースの中で厳重に管理されてて、値札が1000円だったんですよ。
だから主人公より人気の高い忍ちゃんは1000円以上のお値段で棚に出しますかね…?」
Aさん「あー…、はは、もしかしたら、かもですね」
私「こっちのBの商品は通常の値段(在庫処分300円)になりますよね。このBと忍ちゃんが一緒の査定額ってやっぱり…、んー、私としては腑に落ちないんですよ~」
Aさん「まぁ、確かに…おかしい、かな、へへ」
私「Aさんが私の立場だったらどう思います?」
Aさん「売らないで持って帰りますw」
私「ですよねーw」
Aさん「www」
私「飲食店でも、どんなお店でも仕入れ値って3割が妥当ってよく聞くんですけど
前にこの査定所に来たときに会話した店員さんもそう言ってたんですよ。うちは店内商品の値段の3割が基準値ですね~。人気やプレミアの度合いによって上乗せされていって、最高で定価の9割買い取りもあります~。そう言ってたんで、私は今日、とっても期待してこの査定所にきたんです。ネットでもこのキャラ、まだまだ人気みたいだし、なんとかなりませんか?」
Aさん「そうですね~…。お客様のご希望価格はおいくらぐらいですか?」
↑
でた。
ここがAさんと私の「着地点」となったわけです。
このAさんは全身から「面倒くさい」「追い帰したい」「まともに相手したくない」オーラが出ていたので最初が手ごわかったです。
けど、結局「私も同じ趣味なんですよ」「気が合いますね」「私あなた側の人間なんですよ」
というアピールをしていくことでAさんが「面倒くさがりな店員」から
「Aさんという感情ある一人の人間」へと変移していったということです。
しかし、、、私もまだまだ未熟なので最後に余計なことをAさんに言ってしまいました。
私「持ち込む日によって査定額にひどいばらつきがあるんで、従業員同士で情報の統一をしてくれると助かるんですが…」
Aさん「いや、ホビーだけでも山のように種類があるんで店てきに無理です」
私「無理というのはおかしいですよ。お客さんの大事なお金と品物を管理するんですから当然の責務です。あなただってここで働いて人生の貴重な時間をこの仕事に費やしているなら適当にやっつけていくやり方は自分を蹴落とすようなもんです。
店内全部を管理するのが無理でも自分が興味あるフィギュアコーナーだけでも統一したらいかがですか?上を見たらきりがないですが最初の一歩がないと次の一歩も一生無いですよ」
Aさん「・・・」
私「あと接客としてお客さんが意見を述べた後は 検討します。 という言葉を使う方がいいですよ?検討、というのは最終決定権は店側にあるけれど、お客さんの意見もありがたく頂きます。お店のことを考えて意見をくださりありがとうございます、という両者が気持ちよく終われる最高の単語なんです」
Aさん「あ、なるほど」
私「!・・・・・・・・ご、ごめんなさい。。。つい余計なことを・・」
Aさん「いえ、なるほどと凄い思いました・・・すみません」
私「私こそすみません」
お互いにペコペコ;
そんな展開が一時ありましたw
ま、そんな感じで結果的には店員さんの瞳に光が少し戻ってきていたし
私も「気持ちが伝わったな~、よかったな~」という終わり方になり
多少の満足感がありました。
裏で「あのお客の相手はめんどくせー!」と愚痴られていたとしても
いいや!
って思えるくらい手ごたえを感じたのです。
私なりの「着地」でした。
2人目にバトルしたのは彼氏なのですが
いや~、こっちは「病人」「冷静さがない」状態だったので
手ごわかったです。
※そもそも男性って偏頭痛とか腹痛とか
急な体調不良を「痛くなくなればいいだけのこと」「病院とか大げさ」と
あっさり流しすぎではありませんか?
脳に血栓とかがあって急に血管が破裂してバッタリ死ぬかも・・・と
危険を予測したりはしないのでしょうかね。
それとも「死んだら死んだでいいんだ」「俺は太く短く生きる!」みたいな
「俺様的ルール」でもあるんでしょうかね。
結局のところつきつめると
病院での「待ち時間がめんどくさい」だけだったりするから馬鹿馬鹿しいんですけどね。
それは置いておいて…
私の彼氏は食事の後に毎度腹痛が起きるようなのですが
今日の腹痛は酷いらしく
店員とバトルした興奮状態の私の相手もできないくらい
苦しみもがいていました。
病院にいけよーと日々文句をいう私からすると「いわんこっちゃない」という状態なので
「私の話を聞けないならさっさと一人で帰れよ。帰れないならおんぶしてやんよ。どうしたのか言え」
「帰りたい…」
「だから帰れるのかどうか聞いてるのー。私はまだ帰りたくないから一人で帰れますかって聞いてるのー」
「頼むから帰ろうよ。。。自転車はこげるから・・・」
「帰ったって痛みが消えるわけでもないでしょーが。私の話を聞いてくれないなら帰ってもやることないし、私は喋りたいモードだからあなたの傍にいてもあなたに迷惑かけちゃうだけなの。だから帰りたいなら一人で帰って」
「お願いだから一緒に返ろうよ…いててて」
「なに?私にそばにいてほしいの?違うでしょ?体調が悪い時はいっつも 傍によるな って私をおっぱらうじゃん。私の話が聞けないぐらいヤバイなら勝手に帰れよ。ほーら漏れちゃうよ~?おいきなさ~い」
「まじで腹痛いんだよ。。。勘弁してよ」
「だから何!?目的はなに!?理由は何!?なんで一緒に帰ることに拘るの!!はよどっかいけ!どーせ私がなにをいっても病院いかないし、言い訳ばっかで!!
しかも痛いってばっかり主張して、自分のことばっかじゃん!現在の状況を述べてるだけじゃん!お腹の痛みが治まったらちゃんと話を全部聞くから、今は我慢してね。迷惑かけてごめん、ぐらい言えアホ!体調不良の時こそ人間の本性ってモロ見えになるんだよ!お前がまともに私と会話できないってことは日ごろから努力してねーってこった!4年前と何が変わったよ!?私とケンカすることにビビって年々言いたいことが言えなくなってくだけじゃねーか!なんの努力も勉強もせずにイライラした女の相手なんかできるわけねーんだよ!会話特訓本とか女心が分かる本とか立ち読みぐらいしてこいって毎回いってるよな!?んでやーっとこ会話が上手になる本なんて買ってきたって1ページも読まないんじゃ意味ないんだよクズ!買っただけで読んだ気になるなよ!?あん!?裸の大将さんよぉ」
↑
今思い出すとひどいっ・・・;
※イライラしてる時の私はいつもこんな感じです。
早口に触発されて彼氏も興奮し、お互い大パニック→警察沙汰になったりします
で、結局、どう「着地」したかというと…
興奮した私が自分のスマホの友達リストをしばらく眺め・・・
私「ああ、今の私には気持ちを受け止めてくれる友達がいっぱいいる…
いつでも泣きついていいんだ。逃げ場所があるんだ。支えがあるんだ。
そういえばここ一年、誰とも疎遠になってないな。
私から話しかけないと疎遠になる人が昔は多かったけど
相手から 最近どう~? って話しかけてくれる機会が増えた。
嫌われてないって思っていいんだよね・・・。
いい関係が保ててると思っていいんだよね・・・。」
そう思ったらイライラしていた熱気が霧のようにふわ~・・・っと散っていきました。
「あれ、いつもなら腹の底が煮えたぎって数十時間はイライラしっぱなしなのに…
熱が冷めてきたな…」
「好きで体調不良になったわけじゃないのに、自分のことを押し付けて彼氏に申し訳ないな。謝ろう。夜中に病院の話題を出しても仕方ないし、休日に 検査にいこう って誘うのが妥当か。断ってきたらまたその時、考えよう」
そう凄いポジティブに物事を結論づけることができたのです。
あとは徹底的に彼の看護にあたりました。
これが2人目の「着地」でした。
うん・・・・なんか、前と・・・違う。
まるで、山登りが楽になったかのよう。
着地して見上げた景色も、なんか違う。
これって、病気が良い方向へ治り始めてるってことなんでしょうかね。
努力してるから?
それとも減薬し始めたから?
それとも今月の生理が終わったから?
たんなる偶然?
40歳から徐々に治り出すって医者は言ってたけど、それが今きてる?
分からないことだらけ。
でもちゃんとわかったことがあります。
私は努力家でもありますが、極端にめんどうくさがりでもあります。
差が激しくて私生活を見る機会がある恋人たちは皆びっくりします。
・趣味をやり出すと何十時間でもやり続ける
・トイレを面倒くさがる
・勉強きらい
・無言が多い
・喋り出すと数時間止まらない(突然しゃべりだす)
・部屋が汚い(整理整頓だけはハイレベル)
・突然掃除をし出して潔癖症っぽくなる
・熱が冷めると趣味を数年単位でやらなくなる
・気に入った作家を見つけると作品をコンプリートし睡眠を削って読む
・ウロチョロする日と微動だにしない日の予測がつかない
・常に不安がっている
・マイナス思考とプラス思考を自分でコントロールできず暴走する
・被害妄想が凄い
そんな私が「今からバトルする」「でも気持ちを言葉に置き換えて伝えるのが面倒くさい」
「どうせ伝わらない」「バトル中泣きそうになる」「みじめな気分になる」
そうならずにバトルを終え、満足のいく着地をした。
スマホの友達たちとも日々、ケンカはあるけど、ちゃんと気持ちを伝えあって
悲しい着地にならず関係が続いてる。
なぜ?
何が切っ掛けになったんだろう。
突然変化したのか…それともゆっくり変化して気づく間もなかったのか…
でも、病気の治療に取り組むにあたり、
いやもう4年前から心に常に持ち続けた「これ」が効果を発揮してきた気がします。
「これ」は↓です。
----------------------------------------
面倒くさい。それは頂上を見てしまうから。
一歩の歩幅を縮めてみよう。
足の筋肉がピクリと動いただけでも自分を褒めよう。
「歩き続けよう」という気持ちを絶えず持ち続ける自分を褒めよう。
一緒に歩いてくれてる人に感謝を伝えよう。
明日死んでもいいように。
悔いが残らない生き方をしよう。
言葉が伝わった時に大げさなくらい喜ぼう。
気持ちを受け取ってくれた人に「ありがとう」を言おう。
自分が言ってもらいたい言葉を自分から言おう。
十人十色。
歴史がない人間はいない。
あなたのことが知りたい。
教えて。
喋ろう、話そう、やってみよう。
私はいつでもここにいるよ。
----------------------------------------
うん「一文」ではなく歌の歌詞かのような「文章」なんです。
でもいつも「このこと」を心に思いながら生きてきました。
いや「思う」ではなく「想う」ですね。
願う、
そうあれ
我よそうであれ、と。願う気持ちの歌、ですかね。
14歳まで運動ばかりで「会話」ができなかった私。
引きこもってる間に読んだ本、漫画本も、小説も、ゲームも
心理学の本も、会話上達本もエロ本も。
無駄なことなんて何もない。
「引きこもり」って無駄な時間じゃないんです。
ネトゲだって、無駄な時間じゃないんです。
スマホいじりだって
アプリゲームだって
お風呂でぼーっとするのも全部無駄じゃない。
「動かない時間」があるから「動く時間」が産まれる。
マイナスがあるからプラスが重みを増す。
知れば知るほど、心も体も敏感になる。
いつか蓄えていた知識や経験が役に立つ。
知らない場面でも使ってる。
勝手に出てきちゃう。
面倒くさい。
それは大切なこと。
心を許してる人にしか言えない言葉。
体が動きたくないサイン
行動した結果にナイーブなイメージがあるメッセージ
手を抜く経験をしなければ
手を尽くす加減がわからなくなる。
マイナスとプラスを経験して
初めて「コントロール」が出来るようになるんです。
両方ないと、ダメなんです。
可愛い子には旅をさせろ。って言葉がありますよね。
それは酸いも甘いも経験してきなさいってことなんです。
万能であれよ、と。
支配される側でなく支配する側であれよ、と。
面倒くさいが癖になっている人間だって
面倒くさくない時間が必ずあるんです。
人生80年のうち、1年でも面倒くさくない時間が体験できれば
ヨしとしようじゃありませんか。
もし、足が重い、めんどくさい時間が増えたと感じたら
誰かに荷物を持ってもらおう。
一歩の幅を狭めよう。
少し座って、草や虫を眺めていよう。
風の匂いを嗅いでみよう。
他の山のことを考えてもいい。
今誰が登っていて
どんな苦労をしているのか。
足は痛くないか。
そんなことをしているうちに、ほら…
「こんな時間も悪くない」って思えてくるでしょう。
歩けるようになったら、他人の重い荷物を少し持ってあげる。
ごみを拾いながら登る。
えらい
えらいと自分を褒める。
いつか綺麗な頂上の朝日が見れる。
期待に胸ふくらませ、夢を持って。諦めないで。
私はいつでもここにいる。
一緒にいるよ。
で、結局のところなんですが…
私は試練に負けてしまったんでしょうかね?
32歳という年齢を越えて、自然治癒が始まったんでしょうか。
努力の成果じゃないんでしょうか。。。
誰にも答えは分からない。
でも、こんなに穏やかな世界なら、もう理由なんてなんでもいいのかな。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
長旅、ご苦労さまでした。
今日は長文すぎるぐらい長文でしたね。
書き始めたのが深夜2時ぐらいだったのに今は朝日が昇ってます。
私のブログをブックマークして「更新してないかな?」って見に来てくれてる人
ありがとう^^
アクセス解析ページを初めて見て「ブックマークから見に来てる」という人数が1位になっていて理解しました。
いつか「いいね」をつけてくれてる人たちのブログも見て回りたいです。
きっといろいろな歴史があるのでしょう。

こんばんは。
この写真を見て気づく人はすぐ気づくでしょう。
私の手首の傷、とてもとても多いんです。
中学2年の時からずっと切っていました。
昔の傷ほど白っぽく、最近のものは赤っぽく、深い傷は紫になります。
足にも似たような傷が複数あります。
一見、鳥さんを恋人と支える和やかな写真ですが、実際はおどろおどろしいです。
「病気の私を支える彼」と「文鳥の雛を支える病気の私」なのです。
この白い鳥は「文鳥」という種類で
雛の時から人間が育てるととても人間になつきます。
寝るときは手の中じゃなきゃ嫌!とわがままを言うほど甘えるときもあります。
先々月、病気で一匹亡くなってしまったので、
そっくりな子をペットショップから見つけてきました。
でも…
正直怖いです。
この子をちゃんと育てられるか。
虐待をしてしまわないか。
怖いです。
昔、遠い昔ですが…
私が完全な引きこもりになり、ペットの文鳥だけが遊び道具な時代がありました。
心に真っ黒いモヤのような塊を抱え、たくさん寝ているのに消えない目の下のクマ
落ちくぼんだ死んだ魚のような目でペットの鳥を眺め
ある日
一匹をわしづかみにして、何も考えず
突然水槽の中に沈めました。
手でつかんだまま、沈めました。
3秒、5秒、10秒。
そろそろ限界?
そう思う頃に水から出して様子を見て遊んでいたら
数秒手遅れだったのか
数回「ヒイー…ヒイー…」と息を吸い込んで小さく痙攣し
手の中の鳥はみるみるぐったりしていきました。
ピンク色だったくちばしはあっという間に紫色になり
足も色を失っていきました。
首は骨が折れたかのようにクテンと垂れていったその「様」を鮮明に覚えてます。
私は泣きも笑いもせず、ただ無言で庭に埋めていました。
当時、引きこもりの時にペットを無駄死にさせたのはそれ一回きりでしたが
あの時の自分が怖くて…
夢でよくうなされます。
人生32年の間で飼育した鳥は20匹を越え、その数だけ「死」も見届けてきましたが
みんなろくな死に方をしませんでした。
雛が6匹生まれ、親とその他の鳥をベランダに出して日光浴をさせていたら
数分でカラスが集まり、8割を殺されてしまいました。
生き残った雛は助けに行った後にヨロヨロと歩いてショック死してしまいました。
親鳥の片足は既に亡くなっていて
メスの右足も折れてブラブラしていました。
私はハサミで足を切断しました。
メスは悲鳴をあげることもなく、血がふきでることもなく、
傷口の先端は火のついた線香を押しつけて止血しました。
3つのカゴは血だらけ、死体だらけで、凄まじかったです。
それでも私は顔色ひとつ変えず後始末を淡々とやりました。
餓死した鳥
パニック死した鳥
猫にやられた鳥
色々ありました。
それでも私は鳥のために泣いたことがありませんでした。
でも…
12月に引っ越ししてから半年
悪夢を殆ど見なくなり(見ても気にしなくなった)
目の下のクマもだいぶ消え
実家からつれてきた鳥と会話をする回数が増えました。
人生で初めて「愛しい家族」と思えたんです。
そして先々月、白い文鳥が約8年の人生を終わらせました。
旦那である桜文鳥が「俺の嫁はどこ!?」「おーい!どこにいる!?」と
ピイピイ呼んでいました。
お腹に腫瘍がある時に私は「あと一週間以内に死ぬな」と分かっていたので
発情している旦那と引き離し、別のカゴに白を隔離して旦那のカゴの↑に置いていたんですが
白が死んでからもカゴはそのままにしてあるのに
白を庭に埋めてからも「どこにいる!?おーい!」と旦那である桜文鳥が呼び続けるのです。
一か月経っても、ずっと鳴いていました。
「ニワトリは三歩歩くと忘れる」というように
鳥は頭が悪いです。
けれど・・・愛は確かに存在する。
記憶はある。残るんだ。と確信しました。
私は人生で初めてペットのために泣きました。
「あんたの嫁さんはもういないの。ごめんね。
病院にいくお金がなかったの。
死ぬってわかってたのに引き離してごめんね。」
「ピー!ピーヨ!」
「うん…、そうだね、あんたに死の概念はないよね。探してるんだね。
嫁さんはすぐそばにいるよ。庭にいるから、大丈夫だよ。もうずっと傍にいるよ
愛し合ってるなら魂が見えるでしょ?傍にいるでしょ?」
そんな風に話しかけていたらどんどん涙が溢れて
「ごめん…ごめんなさい…・・・・・・・・うわああああん!」
走馬灯のような昔の鳥たちが頭をよぎり
謝罪の言葉しか言えなくなりました。
ごめん、
ごめん・・・・と。
それから一か月。
桜文鳥は諦めず白文鳥を探して、時に愛の歌をさえずり続けていました。
私は決心して知っているペットショップに電話しまくりました。
文鳥のメスはいませんか!?と。
諦めかけた数日後にまさかまさかで見つけて
即日購入してきたのが、写真の「ちぃちゃん」です。
生後1か月半でした。
長年の私のカンで「この子はメスだな」と判断して連れて帰りました。
すぐに桜文鳥にちぃちゃんを見せたら「あれ、俺の嫁・・?でも少し違うような?」
と戸惑った顔をしてました。
桜とちぃちゃんの様子はyoutubeに動画をアップしています。
現在ちぃちゃんは生後2か月。
一人で餌を食べられるようになりました。
水浴びも練習するようになりました。
私は虐待された経験があるので、そしてペットにひどい事をした「心」を今も持っているので
どんなに精神状態がひどくても、二匹を守る!
という自信はありません。
でも頑張るしかない。
あの時の涙が本物なら、私はもう、鳥を無駄死にさせることは
ないでしょう。
そして彼がそばにいてくれる限り、彼が私を支え
私が鳥を支え
結婚はできないけれど、私たちの子供のように
愛を与えていきたいと思います。
虐待の輪廻を断ち切る。
それが人生の目標の一つなんだと確認しました。
今日は病気の話ではありませんでしたが
ここまで読んでくれてありがとうございました。
私の日課であるゲーセンでのこと。
ゲーム画面をぼーっと見ていたらドクロマークのトランプが出てきました。
一瞬意識が現実に戻った私は画面に気づいて
「あれ、このドクロはなにを意味してるんだっけ?」
と痴呆のような状態に陥りました。
ほんの一瞬です。
しかしこの感覚、老人に多い「ボケ」と似た状態なのでは・・と怖くなりました。
自分の状況、場所、視覚、匂い、感情、すべての感覚が濁っている世界で
いつも見ていた「もの」が分からなくなる・・・
今思うと恐怖を感じるけれど、いざ「その時がきたら」
恐怖を感じる感覚すらも鈍ってしまっているのだろうか、と
その時の自分をイメージし、真っ暗な思考の世界に悲鳴が出そうでした。
ゲーセンでそんなことをぐるぐる考え出してしまい
もちろんゲームに集中できずゲームは大負けしました…。
今回はこのテーマに挑むことにしました。
【ボケについて】
ボケとは…
記憶力、判断力、想像力、などの脳の全ての機能が低下することだと思ってます。
※正式な定義はわかりませんけどね。
とてもとても怖いです。
「そうなってしまえば」怖いもなにも感じないのでしょうが、今はなりたくはないです。
逆に…
ボケていない状態、正常な状態というのはどういうことなのだろうか。
正常でいることのメリット、デメリット
正常で居続けるための工夫
病気の治療に役立つかどうかについて考えていきます。
まず、正常について自分なりに連想するのは
・状況判断
・分析能力
・想像力
・計算力
・瞬発力
・自己啓示
・3大欲求
・五感能力
・体力
これらのことが安定的に持続し能力を自分でコントロール可能なことかな
と思いました。
これだけじゃないとは思いますが
少なくとも「想像力」と「自己啓示」が薄れるとかなりヤバいと感じます。
もし想像力がなくなれば、自分の身に起きたこと「のみ」しか分からなくなるわけです。
相手の気持ちを想像する
状況をイメージする
未来を予測する
全てができなくなる。つまり相手への気遣いもできなくなり優しさも人格から消える可能性があるのかなと思いました。
更に考察すれば、誰にでも適切な気遣いや優しさを与えられる人は
自分の身に起きた微細な出来事から「イメージ」を広げ「相手の立場」を足し
世界で自分が小さな存在であること
万能ではないことを考慮しつつ他者と接する。
その上で「今の自分でいていいのかな」と常に現状を検討し
自己啓示を忘れない。
進化し続ける存在なのだと思います。
10代~30代は感覚も鋭く、敏感で、頭の回転も速い上に
回りから「将来どうするかよく考えなさい」という刺激が加わるので
自己啓示がより激しいでしょう。
このままでいいのか。
自分は何をするべきなのか。
何がしたいのか。
幸せとはなにか。
真実とは何か。
探究心も旺盛かと思います。
それゆえ苦しむこともあるでしょうが…。
ちなみに私は「若い頃に戻りたい」と思うことはほぼありません。
これは進化が止まらなかった人間の特徴かと思います。
良くも悪くも…進化しつづける道を選んでしまいました。
なので、ボケる、という「退化」がとても恐ろしく感じます。
できればボケる前に安楽死させてくれ、と願っている人間でもあります。
安楽死が日本で認可されないままであれば国籍を海外に移すことも考えています。
話は戻りますが、ボケについて、
よく聞くのは「綾里をする人はボケにくい」という俗説です。
あれは本当なのか、考えてみました。
料理をするにあたって必要なこと。
・予算の確認、目的の確認
・作るものを決める(決断力・想像力)
・材料を集める(連想力・行動力・計算力・観察力・記憶力)
・調理する(未来予測・計算力・観察力・忍耐力)
・盛り付け(想像力・計算力・未来予測)
※盛り付けに未来予測が必要なのは、料理を残した場合に冷蔵庫に入るお皿の大きさかどうか
お皿を小さいものに変えた場合、洗い物が増える+品数×皿数を頭にイメージできてるかということです。
・いただきます(五感・記憶)
・ごちそうさま
・お片付け(忍耐力・持久力・体力・計算力・未来予測・自己啓示)
ざっと書きましたが、かなりの感覚を要する作業だとわかりました。
私は一人暮らしを始めて半年目ですが外食は2回もしていません。
食費は一人1万円以内に収めること
オカズは3品以上であること(+汁物+白米)
最低でも一日ニ食は食べること
健康を維持できるだけの栄養バランスを配慮すること
以上を条件にして毎日料理を続けています。
記憶上ではこのルールが達成できなかった回数は10を越えません。
10のうち、下痢ぎみになったり(食材の管理方法の知識不足)
恋人と喧嘩をして食欲を無くし、3日間絶食するなど
それらが殆どです(しょーもない出来事ですね・・・)
味付けは基本自己流で、和風、洋風、中華、イタリアン、に分類して
「だいたいこの調味料を使っておけば中華風になるだろ」的にやってます。
スーパーには「これを混ぜるだけでハンバーグができる!」という粉やソースが売ってますが
基本使ってません。
パッケージの裏を見て、調味料を暗記して自己流で再現します。
どうしても分からない場合は「クックパッド」などのサイトを参考にもします。
以上のことから、料理とはかなり頭を回転させなければ出来ない作業である。
ということが分かりました。
※あ、私はブログを書く前から物事の結果を分かっているのではなく
「書きながら答えに辿り着く(気づく)タイプ」です。すみません。
さて、では「病気と頭の回転との関連性」について考えていきたいと思います。
境界性人格障害(ボーダー)とは幼少期の心の傷が大人になっても癒えていない状態のことです。
つまりは「記憶」がかなり重要になってきます。
記憶というのは・・・あやふやなもので
あまりに毎日、妄想や思考にふけっていると
現実と空想の見分けがつかなくなったりします。
「2歳の時、母親に3回頬を軽く叩かれた」
「父親に大声で怒鳴られた」
「学校でいじめられてトイレで食事をしていた」
など。
これらのことを繰り返し繰り返し思いだし、空想にふけり
「もしかして」とか「あの時こうしていたら」とか「相手は何を考えていたのか」など
いったりきたり、あれもこれもと考えていると
事実が事実でなくなっていきます。
つまり「偽物の記憶」が蓄積されていくのです。
「母親に沢山殴られて、誰も味方になってくれず、不味い食事しかもらえなかった」
そんな記憶に変換されていったりします。
記憶が変化していることに気づくのは、まず難しいです。
専門医のカウンセリングを長年うけている患者さんなら医師から「前と言ってることが違うよ?」と指摘されたりして「え!?うそ」と気づくこともあるでしょうが…
私も実際に気づかない人間でした。
現在の彼氏が指摘してくれるまでは・・・・。
基本的に「自分はなんてかわいそうな人間なんだろう」
「自分はすごい悲惨な環境にいたんだ」
という思いにとらわれやすいので、思考もそちらに「寄っていってしまう」のです。
悲劇のヒロインがごとく、自分を追いつめていくのが好きなので
気づけば「少し問題のある親だった」
その事実が10年後には「多大に問題のある親に育てられた」
そんな結果になっていたりします。
ボーダーは感情が関わらない限り、能力は人並みです。
記憶力、思考力、全て「正常」なのです。
そういう意味では「ボケている方が悪化しにくい」ともいえます。
ボーダーという病名を自覚し、医者からきちんと指導を受けている方はご存じかと思いますが
この病気は40代から徐々に自然溶解(字が違うかも)していきます。
治癒ではありません。溶解です。
溶解とは:
病気そのものは治らなくとも病気による生活障害がなくなり
苦痛を感じにくくなること。健常者と同等の活動ができること、です。
つまり、歳をとって感情が鈍ることで幼少期の「怒り」という感情が薄まるのです。
また記憶力の低下、思考力の低下により辛い記憶を思い出しにくくなるのです。
思い出す頻度も急速に低下します。
人間は日々思い出すという作業を繰り返さない限り
時間とともに「物忘れ」していきます。
なので病気の根本である「幼少期」が消滅してしまうのです。
あとは問題のない日常生活を送っていれば「病人」ではなくなるわけです。
私のように、自力で治療しようとする場合には遠い遠い希望の光ではあります。
しかし悲しいですね。
年老いてボケることで、今こんなにも「自分をがんじがらめにしている愛しくも憎い存在」を
忘れてしまうとは・・・。
できれば・・・ぎりぎりまで自然溶解という道を選びたくはないです。
諦めたくないのです。
なかったことなんかに、したくないです。。。
長々と失礼しました。
ちゃんと結論が出たかは分かりませんがここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
ゲーム画面をぼーっと見ていたらドクロマークのトランプが出てきました。
一瞬意識が現実に戻った私は画面に気づいて
「あれ、このドクロはなにを意味してるんだっけ?」
と痴呆のような状態に陥りました。
ほんの一瞬です。
しかしこの感覚、老人に多い「ボケ」と似た状態なのでは・・と怖くなりました。
自分の状況、場所、視覚、匂い、感情、すべての感覚が濁っている世界で
いつも見ていた「もの」が分からなくなる・・・
今思うと恐怖を感じるけれど、いざ「その時がきたら」
恐怖を感じる感覚すらも鈍ってしまっているのだろうか、と
その時の自分をイメージし、真っ暗な思考の世界に悲鳴が出そうでした。
ゲーセンでそんなことをぐるぐる考え出してしまい
もちろんゲームに集中できずゲームは大負けしました…。
今回はこのテーマに挑むことにしました。
【ボケについて】
ボケとは…
記憶力、判断力、想像力、などの脳の全ての機能が低下することだと思ってます。
※正式な定義はわかりませんけどね。
とてもとても怖いです。
「そうなってしまえば」怖いもなにも感じないのでしょうが、今はなりたくはないです。
逆に…
ボケていない状態、正常な状態というのはどういうことなのだろうか。
正常でいることのメリット、デメリット
正常で居続けるための工夫
病気の治療に役立つかどうかについて考えていきます。
まず、正常について自分なりに連想するのは
・状況判断
・分析能力
・想像力
・計算力
・瞬発力
・自己啓示
・3大欲求
・五感能力
・体力
これらのことが安定的に持続し能力を自分でコントロール可能なことかな
と思いました。
これだけじゃないとは思いますが
少なくとも「想像力」と「自己啓示」が薄れるとかなりヤバいと感じます。
もし想像力がなくなれば、自分の身に起きたこと「のみ」しか分からなくなるわけです。
相手の気持ちを想像する
状況をイメージする
未来を予測する
全てができなくなる。つまり相手への気遣いもできなくなり優しさも人格から消える可能性があるのかなと思いました。
更に考察すれば、誰にでも適切な気遣いや優しさを与えられる人は
自分の身に起きた微細な出来事から「イメージ」を広げ「相手の立場」を足し
世界で自分が小さな存在であること
万能ではないことを考慮しつつ他者と接する。
その上で「今の自分でいていいのかな」と常に現状を検討し
自己啓示を忘れない。
進化し続ける存在なのだと思います。
10代~30代は感覚も鋭く、敏感で、頭の回転も速い上に
回りから「将来どうするかよく考えなさい」という刺激が加わるので
自己啓示がより激しいでしょう。
このままでいいのか。
自分は何をするべきなのか。
何がしたいのか。
幸せとはなにか。
真実とは何か。
探究心も旺盛かと思います。
それゆえ苦しむこともあるでしょうが…。
ちなみに私は「若い頃に戻りたい」と思うことはほぼありません。
これは進化が止まらなかった人間の特徴かと思います。
良くも悪くも…進化しつづける道を選んでしまいました。
なので、ボケる、という「退化」がとても恐ろしく感じます。
できればボケる前に安楽死させてくれ、と願っている人間でもあります。
安楽死が日本で認可されないままであれば国籍を海外に移すことも考えています。
話は戻りますが、ボケについて、
よく聞くのは「綾里をする人はボケにくい」という俗説です。
あれは本当なのか、考えてみました。
料理をするにあたって必要なこと。
・予算の確認、目的の確認
・作るものを決める(決断力・想像力)
・材料を集める(連想力・行動力・計算力・観察力・記憶力)
・調理する(未来予測・計算力・観察力・忍耐力)
・盛り付け(想像力・計算力・未来予測)
※盛り付けに未来予測が必要なのは、料理を残した場合に冷蔵庫に入るお皿の大きさかどうか
お皿を小さいものに変えた場合、洗い物が増える+品数×皿数を頭にイメージできてるかということです。
・いただきます(五感・記憶)
・ごちそうさま
・お片付け(忍耐力・持久力・体力・計算力・未来予測・自己啓示)
ざっと書きましたが、かなりの感覚を要する作業だとわかりました。
私は一人暮らしを始めて半年目ですが外食は2回もしていません。
食費は一人1万円以内に収めること
オカズは3品以上であること(+汁物+白米)
最低でも一日ニ食は食べること
健康を維持できるだけの栄養バランスを配慮すること
以上を条件にして毎日料理を続けています。
記憶上ではこのルールが達成できなかった回数は10を越えません。
10のうち、下痢ぎみになったり(食材の管理方法の知識不足)
恋人と喧嘩をして食欲を無くし、3日間絶食するなど
それらが殆どです(しょーもない出来事ですね・・・)
味付けは基本自己流で、和風、洋風、中華、イタリアン、に分類して
「だいたいこの調味料を使っておけば中華風になるだろ」的にやってます。
スーパーには「これを混ぜるだけでハンバーグができる!」という粉やソースが売ってますが
基本使ってません。
パッケージの裏を見て、調味料を暗記して自己流で再現します。
どうしても分からない場合は「クックパッド」などのサイトを参考にもします。
以上のことから、料理とはかなり頭を回転させなければ出来ない作業である。
ということが分かりました。
※あ、私はブログを書く前から物事の結果を分かっているのではなく
「書きながら答えに辿り着く(気づく)タイプ」です。すみません。
さて、では「病気と頭の回転との関連性」について考えていきたいと思います。
境界性人格障害(ボーダー)とは幼少期の心の傷が大人になっても癒えていない状態のことです。
つまりは「記憶」がかなり重要になってきます。
記憶というのは・・・あやふやなもので
あまりに毎日、妄想や思考にふけっていると
現実と空想の見分けがつかなくなったりします。
「2歳の時、母親に3回頬を軽く叩かれた」
「父親に大声で怒鳴られた」
「学校でいじめられてトイレで食事をしていた」
など。
これらのことを繰り返し繰り返し思いだし、空想にふけり
「もしかして」とか「あの時こうしていたら」とか「相手は何を考えていたのか」など
いったりきたり、あれもこれもと考えていると
事実が事実でなくなっていきます。
つまり「偽物の記憶」が蓄積されていくのです。
「母親に沢山殴られて、誰も味方になってくれず、不味い食事しかもらえなかった」
そんな記憶に変換されていったりします。
記憶が変化していることに気づくのは、まず難しいです。
専門医のカウンセリングを長年うけている患者さんなら医師から「前と言ってることが違うよ?」と指摘されたりして「え!?うそ」と気づくこともあるでしょうが…
私も実際に気づかない人間でした。
現在の彼氏が指摘してくれるまでは・・・・。
基本的に「自分はなんてかわいそうな人間なんだろう」
「自分はすごい悲惨な環境にいたんだ」
という思いにとらわれやすいので、思考もそちらに「寄っていってしまう」のです。
悲劇のヒロインがごとく、自分を追いつめていくのが好きなので
気づけば「少し問題のある親だった」
その事実が10年後には「多大に問題のある親に育てられた」
そんな結果になっていたりします。
ボーダーは感情が関わらない限り、能力は人並みです。
記憶力、思考力、全て「正常」なのです。
そういう意味では「ボケている方が悪化しにくい」ともいえます。
ボーダーという病名を自覚し、医者からきちんと指導を受けている方はご存じかと思いますが
この病気は40代から徐々に自然溶解(字が違うかも)していきます。
治癒ではありません。溶解です。
溶解とは:
病気そのものは治らなくとも病気による生活障害がなくなり
苦痛を感じにくくなること。健常者と同等の活動ができること、です。
つまり、歳をとって感情が鈍ることで幼少期の「怒り」という感情が薄まるのです。
また記憶力の低下、思考力の低下により辛い記憶を思い出しにくくなるのです。
思い出す頻度も急速に低下します。
人間は日々思い出すという作業を繰り返さない限り
時間とともに「物忘れ」していきます。
なので病気の根本である「幼少期」が消滅してしまうのです。
あとは問題のない日常生活を送っていれば「病人」ではなくなるわけです。
私のように、自力で治療しようとする場合には遠い遠い希望の光ではあります。
しかし悲しいですね。
年老いてボケることで、今こんなにも「自分をがんじがらめにしている愛しくも憎い存在」を
忘れてしまうとは・・・。
できれば・・・ぎりぎりまで自然溶解という道を選びたくはないです。
諦めたくないのです。
なかったことなんかに、したくないです。。。
長々と失礼しました。
ちゃんと結論が出たかは分かりませんがここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
先日のブログ「こんな医者もいる」という記事を書いていて
気分が悪くなり「ニコ生」で知り合った歳の近い女性友達と
この件でライン会話しました。
そこで彼女からこんな言葉をもらいました。
「トオルちゃんのブログの最後の部分はブーメランだね」
この「ブーメラン」という単語に「はっ」っとさせられました。
多分会話の前後がないとピンとこないと思うので解説します。
ブログの最後のほうに、私が「なぜ誰も電話に出ないんだ。憎い」
「自分を優先して私の電話を後回しにしてるんじゃないか」と書きました。
そしてラインの彼女は「ブーメランだよね」と言った・・・
つまり
「自分でやっていることが自分に返ってきている」
そういう意味でした。
因果応報。
私自身が他人からラインが飛んできても「こいつめんどいから後で返事しよう」とか
「今はご飯を食べてるからあとで言い訳しておこう」とか
そんなことばかりしているから、自分がいざラインを無視されたときに
「めんどくさい相手だと思って無視してるな!?」
と思ってしまうという・・・。
なんとアホな仕組み。
しかしこれは世の中の真実でもあると思いました。
いつもお金のことばかり考えてる人がいるとして
「貯金しなきゃ」「チャンスがあったらお金を増やさなきゃ」「でも犯罪はだめ」
この3つを強く頭で繰り返してる人が、もし、コンビニで不信な動きをしている人を
発見した時に、どう思うでしょう?
私の予測ではこの女性は「商品を盗もうとしてる!?」
「お金を払わないで逃げようとうろうろしてる!?」
そんな考えがぱっと浮かぶと思います。
面白いですよね。
例え彼女が「お金のことばかり考える人間なんて汚い」
「ボランティアって素敵だわ」「私もああなりたい」
と思っていたとしても「その世界」に沈んでしまえば
思考は「その世界を中心に回ってしまう」
皮肉なものです。
私は常に「誠実でありたい」「でも楽がしたい」「嘘をつかれたくない」「でも嘘も必要だ」
そんな相反する気持ちを常に抱えながら生きてます。
その中でも「誰かそばにいてほしい。見捨てないでほしい」という気持ちが強いです。
つまり逆に私が誰かを見捨ててきている・・・
傍にいてほしいと思っている人たちを置き去りにしてきている。
もしくは私から近づこうとしていない。
多分日常的にそんなことばかりしているんだと思います。
そして、ラインで会話している友達がこんなことも話してくれました。
「神様ですら感情に振り回されるものなんだよ(多分神話の中のお話だと思う)
神様でも制御できないものをふつうの人間が完璧にコントロールなんて難しい。
誰だってだれかから突然電話がきたらわずらわしいと思うことあると思う。
でもね、思うこと考えることは自由
相手にいかに悟られずに生きるか、私はそっちも大事だと思うな」
なるほど・・・と目からウロコでした。
相手を傷つけない嘘も必要なのか・・・・(ちょっと違う?)
んーと、上手に生きるのに嘘というスパイスも必要ってこと、かな。
あんまりに潔癖症すぎても生きづらい。
逆に嘘ばかりでも生きづらい。
私は前の記事で「人生バランスが一番大事」とかいていました。
なのに灯台もと暗しとはこのことですね。
自分にとって一番修正していかなければいけない身近な問題を
問題として認識してなかった。
なぜ苦しいのか、なぜ叫びたくなるのか、その仕組みを理解してなかった。
私は嘘をつかれることが大嫌いです。
でも誰かを幸せにする嘘が必要なんだということを数年前に学んでいました。
「ほんとに30代ですか?お綺麗ですねー」っていうお世辞も
嘘だとわかっていても言われるとやっぱり悪い気はしない。
「僕のお母さんは末期のガンで余命3か月。だけど本人には軽い肺炎と伝えてある」
それも嘘だけど、本人のことを考えた「大切な嘘」
【相手のことを思えばこその嘘】というのは使うべき必要性があるんだ
それを今回、心に刻みました。
【相手を陥れるための嘘】は【よくないな】と思います。
でも、商売をする人はお客さんに商品を買ってもらうために必死に嘘をつくかもしれない。
それは家族のため、会社のためかもしれない。
明日を生きるための必死の試行錯誤かもしれない。
結果的に警戒心の強いお客さんの心を砕いて、商品を使ってもらって
思っていた以上に満足してもらえた。なんてあるかもしれない。
●●は悪いこと=だから自分もやっちゃダメ
そんな固定意識は捨てるべきかと思っています。
バランスよく生きるとは、物事の中間を選んで、その線の上を歩けばいいのかというと
そうじゃなくて(それでもいいけど)
私が望むのは、バランスの悪い状態、よすぎる状態も体験したうえで、
自分にはこのぐらいがいいや、という納得できる線の上を
納得しながら歩く。生きる。
それが一番「らしい」のではないかと最近は思います。
それがどんな線でも。
誰より短かったとしても、誰より歪んでいても、誰より濁っていても。
自分さえ納得できればいい。
それを身近な人も納得してくれてたらなおいい。
そんな私を愛してくれる人がいたらもっといい。
とても理想的だ。
でも私には呪縛がかかっている。
心の奥底に眠る「私」は「こっちの線を歩きたい!」と言っているのに
呪いにかかった私の体はふらふらと別の線を歩こうとする。
「いい子でいなければ」という呪縛
そんな線などもうまっぴらだ!
そう思いながらも「いい子は素晴らしい」
そう思う自分の妄想の世界がある。
お金に縛られる人、嘘に縛られる人、妄想に縛られる人、名誉に縛られる人
色々いますが…、自分が何に縛られているか、それを自覚できただけでも
一歩前進したのかな・・・
ここまで読んでくれてありがとうございました。
タイトルからかなり脱線してしまいましたが
結局「嘘も少しは必要」なんだと思います。
気分が悪くなり「ニコ生」で知り合った歳の近い女性友達と
この件でライン会話しました。
そこで彼女からこんな言葉をもらいました。
「トオルちゃんのブログの最後の部分はブーメランだね」
この「ブーメラン」という単語に「はっ」っとさせられました。
多分会話の前後がないとピンとこないと思うので解説します。
ブログの最後のほうに、私が「なぜ誰も電話に出ないんだ。憎い」
「自分を優先して私の電話を後回しにしてるんじゃないか」と書きました。
そしてラインの彼女は「ブーメランだよね」と言った・・・
つまり
「自分でやっていることが自分に返ってきている」
そういう意味でした。
因果応報。
私自身が他人からラインが飛んできても「こいつめんどいから後で返事しよう」とか
「今はご飯を食べてるからあとで言い訳しておこう」とか
そんなことばかりしているから、自分がいざラインを無視されたときに
「めんどくさい相手だと思って無視してるな!?」
と思ってしまうという・・・。
なんとアホな仕組み。
しかしこれは世の中の真実でもあると思いました。
いつもお金のことばかり考えてる人がいるとして
「貯金しなきゃ」「チャンスがあったらお金を増やさなきゃ」「でも犯罪はだめ」
この3つを強く頭で繰り返してる人が、もし、コンビニで不信な動きをしている人を
発見した時に、どう思うでしょう?
私の予測ではこの女性は「商品を盗もうとしてる!?」
「お金を払わないで逃げようとうろうろしてる!?」
そんな考えがぱっと浮かぶと思います。
面白いですよね。
例え彼女が「お金のことばかり考える人間なんて汚い」
「ボランティアって素敵だわ」「私もああなりたい」
と思っていたとしても「その世界」に沈んでしまえば
思考は「その世界を中心に回ってしまう」
皮肉なものです。
私は常に「誠実でありたい」「でも楽がしたい」「嘘をつかれたくない」「でも嘘も必要だ」
そんな相反する気持ちを常に抱えながら生きてます。
その中でも「誰かそばにいてほしい。見捨てないでほしい」という気持ちが強いです。
つまり逆に私が誰かを見捨ててきている・・・
傍にいてほしいと思っている人たちを置き去りにしてきている。
もしくは私から近づこうとしていない。
多分日常的にそんなことばかりしているんだと思います。
そして、ラインで会話している友達がこんなことも話してくれました。
「神様ですら感情に振り回されるものなんだよ(多分神話の中のお話だと思う)
神様でも制御できないものをふつうの人間が完璧にコントロールなんて難しい。
誰だってだれかから突然電話がきたらわずらわしいと思うことあると思う。
でもね、思うこと考えることは自由
相手にいかに悟られずに生きるか、私はそっちも大事だと思うな」
なるほど・・・と目からウロコでした。
相手を傷つけない嘘も必要なのか・・・・(ちょっと違う?)
んーと、上手に生きるのに嘘というスパイスも必要ってこと、かな。
あんまりに潔癖症すぎても生きづらい。
逆に嘘ばかりでも生きづらい。
私は前の記事で「人生バランスが一番大事」とかいていました。
なのに灯台もと暗しとはこのことですね。
自分にとって一番修正していかなければいけない身近な問題を
問題として認識してなかった。
なぜ苦しいのか、なぜ叫びたくなるのか、その仕組みを理解してなかった。
私は嘘をつかれることが大嫌いです。
でも誰かを幸せにする嘘が必要なんだということを数年前に学んでいました。
「ほんとに30代ですか?お綺麗ですねー」っていうお世辞も
嘘だとわかっていても言われるとやっぱり悪い気はしない。
「僕のお母さんは末期のガンで余命3か月。だけど本人には軽い肺炎と伝えてある」
それも嘘だけど、本人のことを考えた「大切な嘘」
【相手のことを思えばこその嘘】というのは使うべき必要性があるんだ
それを今回、心に刻みました。
【相手を陥れるための嘘】は【よくないな】と思います。
でも、商売をする人はお客さんに商品を買ってもらうために必死に嘘をつくかもしれない。
それは家族のため、会社のためかもしれない。
明日を生きるための必死の試行錯誤かもしれない。
結果的に警戒心の強いお客さんの心を砕いて、商品を使ってもらって
思っていた以上に満足してもらえた。なんてあるかもしれない。
●●は悪いこと=だから自分もやっちゃダメ
そんな固定意識は捨てるべきかと思っています。
バランスよく生きるとは、物事の中間を選んで、その線の上を歩けばいいのかというと
そうじゃなくて(それでもいいけど)
私が望むのは、バランスの悪い状態、よすぎる状態も体験したうえで、
自分にはこのぐらいがいいや、という納得できる線の上を
納得しながら歩く。生きる。
それが一番「らしい」のではないかと最近は思います。
それがどんな線でも。
誰より短かったとしても、誰より歪んでいても、誰より濁っていても。
自分さえ納得できればいい。
それを身近な人も納得してくれてたらなおいい。
そんな私を愛してくれる人がいたらもっといい。
とても理想的だ。
でも私には呪縛がかかっている。
心の奥底に眠る「私」は「こっちの線を歩きたい!」と言っているのに
呪いにかかった私の体はふらふらと別の線を歩こうとする。
「いい子でいなければ」という呪縛
そんな線などもうまっぴらだ!
そう思いながらも「いい子は素晴らしい」
そう思う自分の妄想の世界がある。
お金に縛られる人、嘘に縛られる人、妄想に縛られる人、名誉に縛られる人
色々いますが…、自分が何に縛られているか、それを自覚できただけでも
一歩前進したのかな・・・
ここまで読んでくれてありがとうございました。
タイトルからかなり脱線してしまいましたが
結局「嘘も少しは必要」なんだと思います。