私達は日本という法治国家に住み法律によって守られている、と通常は思っているはずだ。確かに、いくらかの不条理・不公正というものは常に存在するが、それは運悪く表面化しない影の部分で、明るみに出た部分には常に公明正大な法が適用されると思ってはいないだろうか。

 

この本を読むと、そのような思い込みが無邪気な幻想に過ぎないことを思い知らされる。

 

この本のテーマについては大方の人は存知しているだろう、TBSの元ワシントン支局長であった山口敬之氏がジャーナリスト志望の伊藤詩織さんをレイプしたとされる事件についてである。一時は逮捕状まで出て、逮捕直前に当時の刑事局長である中村格氏の鶴の一声で不起訴になってしまった、そのことである。

 

ご承知の方も多いと思うが、ここで中村、山口両氏の背景を確認しておこう。中村氏は当時刑事局長であったが、2015年3月まで菅官房長官の秘書官でもあった。また山口氏も2016年6月に安倍晋三に関して「総理」という本を上梓している。つまり、二人とも首相官邸に極めて近い人物なのである。

 

強姦事件は一般に立証が難しいと言われるが、その争点は大まかに言って次の2点である。

 

 ① 行為があったか。

 ② 合意があったか。

 

どちらも客観的証拠が必要とされ、特に②の立証が難しい。疑わしい場合は被告人に有利に、つまり加害者側に有利に判断されるのである。

担当検事によれば、「日本においては、性犯罪を立証するのはとても難しい。日本の刑法では被疑者の主観をとても重視する傾向があるのです。」(161頁) と言うのだが、数々の冤罪事件を生んできた日本の司法の状況からみて、なぜ性犯罪のみ立件のハードルが高いのだろうという気がする。

 

この件に関しては、①の性行為があったことは山口氏も認めている。問題はやはり②の合意があったかどうかである。

 

二人をホテルまで運んだタクシーの運転手によれば、詩織さんが再三「近くの駅で降ろして」と頼んだのに対し、山口氏が「まだ仕事の話があるから、何にもしないから」と結局ホテルまで連れて行ったことは明らかになっている。そしてホテルの監視カメラによれば、自力歩行が不可能な彼女を部屋まで引きずって行った様子が記録されている。

この状況で性行為があったなら、それだけで犯罪の構成要件は満たされている、と見るのが当たり前だと思うのだがどうだろうか。自力歩行もできない彼女に、「まだ仕事の話があるから、何にもしないから」って一体何なんだ。山口氏によれば、部屋についても彼女はゲロを吐きまくったのだという。なのに山口氏は「合意があった」と言う。とても常識的にはあり得ない話である。だからこそ逮捕状は出たのである。

 

それが逮捕直前になって突然執行が停止された。それも現場の捜査担当者から見れば雲の上の警察庁の刑事局長からである。刑事局長というのは「浅見光彦シリーズ」を見たことがある人ならご存じだろう。主人公である光彦の兄さんがその役職で、一般の捜査関係者などからすれば雲の上の人である。直接捜査に関わらない刑事局長がなぜか現場に口出しをし、いったん出された逮捕状が執行されない。司法関係者は口をそろえて、そのようなことは「ありえないこと」だという。

 

どうやら、この国では総理大臣とお友達なら、強姦しても罪に問われないということらしい。役人はその職責を果たすより、上の人間の胸の内を忖度ばかりしているメダカばかりのようだ。そうすることが自分の身を守り、現に出世につながるのである。そういう意味で、当時刑事局長だった中村格氏は上のおぼえのめでたい人らしい。将来は警察庁長官になることが有望視されている。現在は組織犯罪対策部長である、どうやら問題だらけの共謀罪の運用責任者ということになるらしい。上のご意向を忖度して恣意的な法の運用を行う人物が、共謀罪法案の運用に関する指揮をとる、このことの意味はとてつもなく重要である。日本の公権力は魑魅魍魎に支配されていると言っても過言ではないのである。

 

日ノ岬の夕暮れ (和歌山県日高郡美浜町)