多分この話聞いたことあると思います。 寂しさは毎日タバコを15本ずつ吸うのと同じくらい有害です。 寂しさがどれほど悪いのか、早期死亡の可能性、心臓病、脳卒中、不安症、認知症、肥満の危険性を高め、ウイルス感染とも関連があるそうですね? それで私が探してみました。 誰がどんな根拠でこんなに殺伐とした話をしたのかですね。

 



そして、この発言の主人公は驚くべきことに、アメリカのスリースター将軍、連邦公共保健部隊の義務総監(Surgeon General)イシン·ドクター·ビーベック·マーシーです。 声も優しく、単語を選んでいるのを聞いてみると、いやあ、こういう方たちが本当に世の中を救う人なんだなと思います。 医者ではなく、聖職者の方が似合うと思います。



不思議なのが、アメリカの医務総監のユニフォームがまるで海軍と似ているじゃないですか。 それが連邦公共保健部隊が昔は港から海軍が移ってくる病気を統制する役割をしたためだというのですが。 どんな政治論理にも干渉されずに独立機構として多様な活動を繰り広げてきたそうです。 喫煙、肥満、中毒の危険について積極的に広報したのも、この連邦公共保健部隊でした。

 



では、なぜ連邦公共保健部隊で孤独について研究したのでしょうか? 当然です. 寂しさは国家安保に直結する非常に重要な問題ですから。 社会的孤立によるアメリカ人の年間死亡者数は、癌または脳卒中による死亡者数を超える16万2000人に達します。 その上、別名「孤独なオオカミ」と呼ぶ極端主義に追従する単独テロ犯が増えることも治安不安を引き起こします。 伝染病を港から源泉封鎖するように、もう孤立感と寂しさを国家が動いてでも解決しなければならない時期が来たのです。





元々人は一人で寂しいんじゃないかって? でも、これが確かに現代の寂しさは何か違うところがあるようです。 面白いものを一つ発見しましたが、1800年以前は英語に寂しさという単語Lonelinessが存在しなかったそうです。 まあ、大体納得できませんか? 人々は死ぬまで一ヵ所で集まって暮らし、神様がいつも私のそばにいると信じていたので、あまり寂しいという気がしなかったということです。



そして現在、私たちは人類史上最も孤独で断絶した生活を送っています。 アメリカのある調査で何十年も前には、困ったときに連絡が取れる人の数字は3人だったそうです。 2004年の調査で一番多く出てくる数字は0だそうです。 古い統計ではありますが、おそらくこの数字がもっと悪くなって良くなったとは思いません。 イギリスの男性の中で、親しい友人が一人もいないと答えた人がなんと250万人なんですって。 現在、韓国で1人世帯の数が1千万だそうです。 核家族を超えて核個人の時代だそうですが、このような現代社会を見ると、アリストテレスは何と言うのか気になりますね。 人間は社会的動物ではなかったですか。



寂しさについての政治·経済的議論については、この文では完全に省略することにします。 その話題についてはあまりにも書くことが多いですし、最初から巨人を相手にする気分になる必要はありませんからね。 ただ、大人になって友達と付き合った人たちの面白い事例だけ2つ聞いてみます。





最初の物語の主人公は、イギリスのロンドンに住むアメリカ人のジェシカ·ファンです。 ジェシカは本当に深刻な内向人でした。 大学時代、ジェシカの誕生日に友達が集まったところ、感動の涙どころか怖くて涙を流したそうです。 しかし、だからといってジェシカが好奇心のない人ではありませんでした。 ジェシカは成人になるとアメリカを離れ、中国、オーストラリア、イギリスに住んでいたそうです。 今の自分とは違う自分になれる場所を探したかったということです。 ただ、新しいことに接すれば、幸せで暖かく暮らすことができると思ったそうです。



しかし、外の建物やバルコニーがどんなにきれいでも、結局ジェシカは話し相手がおらず、一人で街灯の柱を抱きしめている自分に気づいたそうです。 イギリス人の夫についてロンドンに来ましたが、結局は一人ぼっちだったんです。 ロンドンでもソファーに一日中座り、うつ病に悩まされ、ある日決心したそうです。 ちょうど1年だけ外に出て、知らない人たちとぶつかってみましょう。 そうしながらジェシカは人間関係の専門家たちに助言を受けながら、ものすごい挑戦を一つずつやり始めます。 スタンドアップコメディの舞台に立ち、知らない人に声をかけ、友達探しアプリで人々に会います。



その中で面白かった課題の一つは、路上で本当にとんでもない質問をすることでした。 例えば、知らない人をつかまえて「私が本当に知らないからなんですが、イギリスに今女王がいたんですか? お名前は何でしたっけ?" こうやって聞くんです。 あ、この本は出版されてから何年も経ちました。 )すると、ある男がとても堂々とそう言ったそうです。



「ビクトリア女王です」



そして心配なことに、こんな返事をする人たちに何人か会ったそうです。 あ、イギリスの公教育の問題が深刻なのですか? 私もこんな答えを聞いていたら、自信がついたでしょうか? 世の中の人たちがみんな賢いわけではないから怖がる必要はないんですって?



そしてジェシカは、友達は思ったより近くにいたことに気づいたそうです。 人々は表に出さないだけで、皆寂しさを感じるんですよ。 スモールトーク(small talk)の文化がある米国と英国の専門家たちは驚くべきことに、新しい友達を作るためには天気のような表面的なテーマより深くて大変だった個人史のようなテーマを持って対話を試みるように勧めたそうです。 そして、この負担な方法が想像以上に効力を発揮するそうです。



こんな風に無限挑戦に成功したジェシカは、家で10人の新しい友達のための感謝祭パーティーを開くことで、1年間の友達作りの旅路に終わります。 そう言いながら、1年間とても幸せだったそうです。 ミスもたくさんしたし、たくさん恥をかいたけど、大丈夫だったそうです。 いや、大丈夫なほどではなく、生気あふれる人になったそうです。



最後に、この本に面白い統計が出てきます。 友達だと感じるまで6~8回程度会わなければなりません。 50時間を一緒に過ごせば相手を軽い友達に、90時間以上一緒に過ごせば本当の友達になるそうです。

 

それで生涯で一番友達が多い時期は29歳で、他の人と交流する回数は25歳でピークに達し、その後からは減るんですけれども。





2番目の物語は、イギリスの作家ヨハン·ハリ(Johann Hari)が聞かせてくれます。 ヨハンは幼い時からうつ病がとてもひどかったそうです。 それでうつ病の本当の原因を知るために全世界を回りながら人々に会ってインタビューをします。 そして多くの専門家がヨハンにそう言ったそうです。 現代うつ病は、私たちがよく耳にしてきたように、脳内の化学物質が不完全で、セロトニンが少なく出るから生じるものではないんです。 うつ病の本当の原因は多くの場合、共同体の喪失にあると見ました。 部族(tribe)を成して暮らしていた人間が突然群れから離れて出てきたが、どうして健康になれるのかということです。



そして、ヨハンがうつ病を研究するために訪れた都市の中にはベルリンもありました。 ヨハンは問題地域とされるベルリンのコートブース、あるいは「コティ(Kotti)」で寂しさを正面から突破する人々に出会います。



2011年夏、ベルリンのアパート団地、車椅子に乗った63歳のトルコ系女性ヌリエが窓に出て、もう死ぬと紙を貼ります。 家賃を払えずに1週間後にアパートから追い出されるのですが、自殺してもその理由は知らせて死ぬと。 ほとんどのドイツのアパート団地は金持ちが住んでいません。 ある所は犯罪が深刻で近所の人と挨拶もあまりせず家に帰ってすぐドアを閉めて暮らしているそうです。 コティはゲイとムスリム移民者たちと、お金を稼ぐことには関心のない無断占有者(squatter)が流れ込んで住む町でした。 この人同士に共通点があると思いますか。 でも、この人たちがヌリエのためにみんなで集まることになります。





ヌリエの事情を聞いた隣人何人かが占拠デモをしようと提案したそうです。 ヌリイェは最初、「この人たち、おかしくなったんだな」と思いました。 でも予想と違って、ただでさえ上がる家賃のせいで怒っていた人たちがデモに参加し始めたそうです。 板と家具を積んでおいてバリケードを築いたそうです。 でも警察が来て、全部剥がされるかもしれないから、みんな歩哨に立つことにしたんだそうです。



そしてある日、ヌリエはタイナと同じ組になって歩哨に立ちます。 63歳のヒジャブをかぶったトルコ系女性と46歳のタトゥーがいっぱいのドイツのヒップスター女性が一緒に座ります。 コメディーでもないし、本当に気まずかったでしょうね。 そうしているうちにずっと顔を見ていて、どうしてこの町に来ることになったのか話をするようになったそうです。 そして、これらのまったく違って見える女性たちは、人生の共通点を見つけます。

 

ヌリエは電気も上水道もない町で育ち、17歳で結婚して2人の子供の母親になります。 そしてベルリンに移り、工場で働きながらトルコにいる夫にお金を送ったそうです。 そうするうちにヌリエが二十になる前に夫が病気で死亡します。 タイナは14歳で家を追い出されてこの町に引っ越してきたそうです。 80年代当時、コティは家が全部空いていて本当に怖かったそうです。 それでパンク族たちと集まって、空き家に入って暮らしたそうです。 そうするうちにタイナは妊娠をするようになってシングルマザーになりました。 誰もタイナを助けてくれなかったそうです。





二人の女性は外見は違いましたが、中身は似ていたのです。 もう帰る故郷がなかった、貧しいけれど心だけは暖かかったシングルマザーたちです。 そして、このようにコティの人々は少しずつお互いを発見します。 ヒップホップが好きなトルコ系少年メメットは、低い成績で学校から追い出される危機でした。 歩哨に立つ日、メメットは引退教師デトレフに会います。 予想されていたと思いますが、デトレフはメメットの学校への適応を助けます。 宿題を手伝って、メメットの祖父のような存在になります。



西ドイツの小さな町に逃げたリチャードは、コティでゲイクラブを運営していました。 隣人たちの消息を聞いた彼は、デモ隊のための会議空間と各種物品を無償で提供します。 会議に出てきた移民のほとんどがとても敬虔なムスリムたちでした。 それでもみんなリチャードのゲイクラブで会議に出てきたそうです。 そしてある日、ムスリムの女性が持ってきたケーキには虹が描かれていたそうです。 全く混ざりそうになかった人たちが心を開き、お互いの違う姿を認め始めたのです。

 

ヨハン·ハリはコティの人々が自分を狂った人だと思ったそうです。 彼らの姿を密着取材していたヨハンは、本当に時も時もなく泣いたそうです。 あまりにも違う背景の人たちがお互いを知りながら友達になる姿がとても感動的だったそうです。 貧しい町のコティ、多くの人がうつ病を患っていました。 この全ての発端となったヌリイェが自殺を考えるほどです。 しかし、車椅子に乗ったヌリエは勇気を持って連帯します。 家の中から出て通りに飛び出します。 コティの隣人たちは、該当不動産会社がすでに投資金額の5倍を回収しても家賃を上げようとしていることを知ることになります。 粘り強い努力で彼らは結局家賃凍結という目標まで達成し、現在コティを越えてベルリン全域で活動しているといいます。



わざわざ面白くて心温まる例ばかり挙げましたが、この文は今まで書きながら一番大変でした。 寂しい時に出てくるコルチゾールの量は、道を歩いていて知らない人に暴力を受けた時と同じだそうです。 想像もできない辛さです。



うつ病に関する多くの論文、記事やインタビューを読みましたが、分析が何か表面的だという感じを消すことができませんでした。 うつ病が風邪のようなものだから、行って薬を飲めというアドバイスもとても気になりました。 うつ病は体が送る救助信号なのに、その信号を化学的に抑制するのがどんな意味があるのかと思いました。 そして、私たちの社会に溝が本当に深くなったなと感じました。 みんな無駄足を踏んでいるような気もしました。 寂しさとのうつ病の因果関係を明らかにしようとした論文を読みながら、寂しさを国家的災難と見なしたドクターマーシーに共感しました。



オ·チャンホ博士は言います。 あまりにも明らかな事例が私たちの目の前に投げかけられているのに、私たちが進むべき明確な方向を読み取ることができない社会は退行すると。 まだ道を探している私が、ここであえて結論を出すのは難しそうです。 しかし、社会的寂しさを個人的な事情として片付けるほど、私たちが暇ではないということは悟りました。 とても深く研究して行動する価値のあるテーマだということを確信しながら、この文を終わります。