40日を一回で書いてみました。くっそ長いので、適当に読み飛ばすくらいで間違いなくちょうどいいです。ではではいってみましょう~
day1:トロント空港。幾分の不安と緊張。親切にしてくれたインフォメーションのおじいちゃんに異常に感謝。夕食は、ピザにやられる。
day2:ナイアガラへ移動。長距離バスに自分ひとりで乗れた!!それに満足。ナイアガラの滝、お~結構すごいやん。
day3:タクシーを使って、近くのワイナリーへ。昼食は、subway。普通のサイズ長!!!!!日本の二倍くらいの長さがある。ワイナリーはすばらしかった。景色も味も。本場アイスワインを試飲。ワインというよりもデザート。夜は、ブログにも書いたけど、とことん話す。なんでこういう時って、宗教の話題が必ず出るとやろ。
day4:トロントへ移動。日本食を早速食べる。かつ丼うまし。ホステルは、下の段のやつが完全にいかれてた。
day5:トロント散策。知らない街を好き勝手、適当に歩きまくる。選挙ポスター発見。か、かっこいい。いいポスターやんけ。

元電通マンの40オーバーのおっちゃんに出会う。ほぼ小学生の無邪気さ。うん、すげー人だった。
day6:リマin。深夜着。トロント発の搭乗口が三回変わったせいで到着が3時間遅れる。タクシーの運ちゃんにホテル前で降ろされるも、ホテルのドア開かず。人気なしに、不良あり。目測、35メートル。4人組。ちょっとしたパニック。半端ない勢いでノックする。だいぶ迷惑そうな顔でガードマンのおっちゃんが現れる。一安心で睡眠。
day7:昨日のうちに探したホステルへ。ブログで書いたとおり。昼飯は、ケンタッキー。太平洋の雄大な景色を見ながらのケンタッキーうま!!と一人で感動。

街で声かけてきたおっちゃんと観光。二時間くらい。リマからクスコへのバスチケットを予約してくれる。別れ際、タクシー代をくれとせがまれる。300円くらい。確かにめっちゃお世話なったけど、なんか嫌だ!!ちょっと喧嘩して別れる。結局、150円分あげました。
day8:リマの中心街へ。昼飯はケンタッキー。だって、めっちゃうまくて味は日本と変わらないのに、半額くらいなんやもん。。。夜、マルタからやってきた3人組とバランコという地区に行こうと約束するが、ねぶっち。ちょっと横になって起きたら、朝でした。
day9:リマからクスコへの長距離バス。22時間。おっちゃんがめちゃめちゃいい席取ってくれたので、超快適。景色に感動。

ハルジオンの歌詞の意味が突然氷解。そういうことだったのか。。
day10:クスコへ。バスで知り合ったドイツ人トーマス(バスの中でビールを飲んでて乗務員に注意されてた人)と飲もうと約束するも、高山病により無念の断念。頭がぐわんぐわんいってやがる。ということでホステルで休憩。夜は、街へ。帰ってきたらアイポット消失。
day11:宿移動。ペンシオン八幡へ。夜はおっちゃんと少し話す。最近は、長期滞在者が減ったそうな。
day12:マチュピチュ発!!のはずが、雨により延期。だらだら。
day13:マチュピチュへ。電車で行けば2,3時間のところをお金節約のため10時間かけていく。道恐すぎ。十字架立ち過ぎ。

途中、溝にはまって動けなくなってた車を救出。俺の車のドライバーがね。俺は、ぼけーと立ってるだけ。
道中の橋は落ちかけ。外れた底板をはめて一気に駆け抜ける対向車。


僕らの車は、川へダイブ!!いよいよ冒険って感じ。

マチュピチュの神秘性が、レベル15上がった。夜の7時過ぎ。マチュピチュ行きの拠点となるマチュピチュ村に到着
day14:朝4時おきでマチュピチュへ。先着300名に与えられるワイナピチュの登山権を獲得。一時間半かけて登る。頂上に着き振り返ったその先は、まっっっしろ。視界ゼロ。霧半端なす。

その後、霧が晴れた先にあったマチュピチュは、ごちゃごちゃしてました。

個人的には、眼下一面に広がる森がよかった。
day15:昼まで時間つぶして、クスコへ。行きに僕らがダイブした川で、別の車が動かなくなってました。
day16:朝一のバスでプーノへ。だいたい8時間くらいだったかな。夜は、中華へ。ホールの中国人の店員の愛想のなさが奇跡的。面白すぎるくらい。俺にはまだしも、厨房のペルー人のおばちゃんにオーダー伝えるとき、伝票を机にたたき付けるっていうね。
day17:ボリビアへの国境越えの日。国境の空の青さが、この旅一番の青さだった気がする。バスの隣に座ったイタリア人のおっちゃんがほぼジローラモ。な、なんてかっこいいおっちゃんなんだ、と思ってたら、足がめっちゃ臭かった。頼むからサンダルを脱がないでくれ。。。おっちゃん、バスを降りた一瞬後には、もう女の子と仲良くなってたけど。お~ある意味、完璧なステレオタイプ。ボリビアのラパス、ホステル「エル・ソラリオ」へ。
day18:自転車によるデスロードツアー。標高4600メートルから1300メートルくらいまでを延々下る!!3分の2はオフロード。狂気の沙汰。けど、最高。最後のほうは握力なくなるけど、とにかく飛ばす。


やっとガイドに追いつける!!って感じになったときにゴール。もう一回参加しようかな…一瞬悩んだほどに最後の坂を責めれてる、って感じはたまらん。昼飯、8人中俺だけビールを飲む。え、なんで??欧米の人は、昼間からは飲まないものなんかね?
day19:ラパスで休憩。お土産散策。
day20:ワイナポトシ登山出発
day21,22:ワイナポトシ登山→ラパス
day23:休憩、お土産散策。
day24:アマゾンツアーに参加するために、一路北へ向かう。バスで悪路を行くこと18時間、疲労の果てに拠点となるルレナバケという街に到着。というところを、一気に飛行機でびゅーん!!!!35分で着きましたけど何か。
day25,26,27:アマゾンツアー。川をボートで下る。伝説のガイド、ランボーとの出会い。

普段のお返しとばかりに、自然に搾取されまくってきた。蚊の野郎に、たんと血を分け与えて帰路へ。
day28:夜行でウユニへ。それまでは、最後のラパスを満喫。とにかく、その場で絞るオレンジジュースがうまかった。あと、日本食のけんちゃん、行きまくりました。飯がうまいと感じないと死んでしまう病なんで。
day29:朝の9時に街に着き、ツアー会社を探して11時半にウユニ塩湖ツアーに出発。一泊二日ということで、夕方までいろいろ周って、その後塩湖のホテルに行く、と思ってたら、午後一時にホテルにおろされる。ホテルというか、掘っ立て小屋?? ホテルの宿泊客、俺一人。

一面真っ白な世界、確かにすごいけど、もって2時間でした。お、無限とも思える時間が目の前に広がってるぞ。よし、本を読もう。二時間半後、読了。まだまだ待機。ということで、一人で飲む。ビールうめー。夜、満点の星空を見に外へ。うわー、満点の月明かり。このタイミングでほぼ満月って、やってくれますな。ともう死期を迎えつつある老人並みの独り言を発する。
day30:月が沈んだ深夜三時半に起床。ついに星の輝きに身を浸す。ん、ん、ん。ん、ん。一体誰だ、一生忘れることができない星空でした!!みたいなもりもりのコメントをしたやつは!!その後、ちょっと寝て6時おき。朝の7時に迎えが来る予定のところ、待ち5時間半おねがいしまーーす。てな感じで、待ちに待たされる、とりあえず、朝の9時時点で、ビールを飲み始める。他のツアーの運転手のおっちゃんが自分が飲んでたのをくれました。そりゃ、真っ白なだけの道の運転とか、飲まなきゃやってられんよね。その後、12時半過ぎに迎えが来て、町には18時に戻る。22時半の夜行列車で、アルゼンチンとの国境の町ビジャソンへ。かわいい二人のお子ちゃまの泣き声でほぼ眠れず、けど、それは絶対におこっちゃダメなところ。
day31:朝の9時前にビジャソン着。国境がよく分からなかったので、近くにいた人に、スペイン語も国境も分からないから一緒に行ってもいい?、って電車の荷物を受け取るところでお願いする。そしたらその三人組、なんでも火山の研究でボリビアに来てたんですって。荷物の中、たっくさん石が入ってるんですって。直後、この旅一番の重労働。くっっそ重い。もう必死の思いで国境を4人で越える。そしたら、手荷物検査で「この石は、持ち込めない。」とのこと。いやいや、研究用っていう証明書あるやん!!「はんこがないからダメだ。」とのこと。国境で待つこと一時間。僕はここでお別れを告げ、アルゼンチンの町ラ・キアカへ。果たして3人は無事に石を持ち込めたんだろうか。午後1時発のバスでブエノスアイレスへ向かう。
day32:「このくそ餓鬼、ぶち殺したろかー!!!!!」ブエノスへの長い長い道のり、移動で越す二日目の夜。隣の席に、またまた小さな男の子がいました。やっと眠りにつけそうになった瞬間、その子は、僕を蹴りました。そして、僕は、この旅一番の怒りに震えたのでした。

ウユニで移動を開始し始めて、44時間。まともに寝れずに、くたくたになってブエノスアイレスに午後7時に到着。日本人宿のファッキンスタッフに再び怒り心頭した後、別のホステルで一泊。アルゼンチンといえば、牛肉と赤ワイン。ということで、早速繁華街に繰り出し、優雅な夕食。いや~、肉がでかくて、うまい!!と大満足で就寝。
day33:昨日ネットで調べたホステルに移動。この旅、一番のホステル。雰囲気も、ホステルをやってるマウロ・ディエゴという二人の兄弟も大好き。


で、昼ご飯は、またまたステーキ+赤ワイン。サイズがsmall(200g)とmedium(400g)とlarge(600g)があって、smallでいいかなぁと思ったけど、周りがmedium,largeばかり。大の日本人がこんなところでsmall頼んで恥を晒すのか、いいや、晒さない。と自問自答し、mediumを注文。完食後、お腹の異変を感じる。ま、まずい感じの痛みだ。ホステルに直帰。この旅、一番の腹痛とお腹の下し方。結局その日は、全くホステルを出れず、トイレに10回以上駆け込む。肉が原因なのか、なんだったのか。よく分からない。
day34:ディエゴが教えてくれた通称leather streetに行く。その通りで売られてる物が、観光名所でだいたい2,3倍の値段で売られてるよ、の言葉通り革製品が激安で売られていた。テンション上がりまくり。ということで、積極的に物色。夜は、ホステルの近くの沖縄料理屋へ。日本食、万歳。
day35:とある有名な日本人宿へ向かう。目的は、本の入手。ちょっと部屋を見させて欲しいんですけど、という出任せの口実で潜入。なんとかうまいこと話を持って行き、これまでに読んだ3冊と宿にあった本を交換してもらう。城山三朗「経・暦・年 不問」とヘミングウェイ「誰がために鐘はなる上・下」をゲット。十分すぎるほどの戦果と言っていいだろう。そして、その日も、沖縄料理屋へ。
day36:旅の中でも最高の一日。朝はのんびり起きて、朝食食べて読書。シャワー浴びて、昼間は、宿の近くのところに食べに行って、ビールと鶏肉のクリーム煮込みみたいなの。うまし。その後、宿に戻って昼寝。それで夕方5時くらいから、有名な墓地へ。すごいきれいに整備された墓地で、歩いてて気持ちがいい天気で、夕焼けがすごいきれいだった。人がたくさんいるおしゃれな建物があったから入ってみると、美術展のスタートの日だったらしく。ワインを無料で配ってて、それを飲みながら美術館見学。

絵とか写真を見て、あんなに心がざわざわしたのはいつ以来だろう。ちっちゃい映画館みたいな部屋では、高校生くらいの子達が、家族とかを呼んでバンド演奏会をやってて、それにも潜入。最前列の通路、最高の席で演奏に聞き入るちっちゃいお嬢ちゃん。

おねぇちゃんでもいるのかな、なんかいいなぁ、と思ってたら、最後らへんのバラードの曲で大暴れし始めました。で、結局ワインを4杯くらい飲んで気持ちよくなって、それで締めは恒例の沖縄料理屋。
day37:ボカ地区に行く。芸術の街かと思ったら、下品な日本語が飛び交う街でした。俺が日本人と判明した途端、レストランの客引きの兄ちゃんは、「チン●、マン●、オカマ~!!」と大声で叫びだしてました。誰だよ、こんな言葉教えたの。辞書を引いても決してのってない言葉なので、必ず犯人はいる。重罪に値します。なんかげんなりしたのであまり長居せずに、沖縄料理屋へ。
day38:それで今日。一日行動できるのは最後ということで、昼食のちょい前から行動開始。昼名は、「asparragus gullatten」とかなんとかいうやつを「アスパラガスグラタン」と解釈し注文。結果がこちら。

前菜をおがずに、パンを食ってやりましたよ。レストランにくっそ絵になる男の子がいたのでそのこの写真もどうぞ。俺今かっこいいよね、って4歳くらいにして的確に自己客観視できる天才。


これっぽっちも満たされることなく撤退。今まで回った中でのお気に入りのスポットをぶらぶらしてブエノスアイレスを満喫。夕食は、最終日ということで、ステーキ!!これが、今までで一番おいしいステーキで大満足。それで、ホステルに帰って、ビールを飲みつつ、この文章を書いて、今。39日目は飛行機乗って、40日目で東京着いて、僕の旅は終了。ちゃん、ちゃん。
day1:トロント空港。幾分の不安と緊張。親切にしてくれたインフォメーションのおじいちゃんに異常に感謝。夕食は、ピザにやられる。
day2:ナイアガラへ移動。長距離バスに自分ひとりで乗れた!!それに満足。ナイアガラの滝、お~結構すごいやん。
day3:タクシーを使って、近くのワイナリーへ。昼食は、subway。普通のサイズ長!!!!!日本の二倍くらいの長さがある。ワイナリーはすばらしかった。景色も味も。本場アイスワインを試飲。ワインというよりもデザート。夜は、ブログにも書いたけど、とことん話す。なんでこういう時って、宗教の話題が必ず出るとやろ。
day4:トロントへ移動。日本食を早速食べる。かつ丼うまし。ホステルは、下の段のやつが完全にいかれてた。
day5:トロント散策。知らない街を好き勝手、適当に歩きまくる。選挙ポスター発見。か、かっこいい。いいポスターやんけ。

元電通マンの40オーバーのおっちゃんに出会う。ほぼ小学生の無邪気さ。うん、すげー人だった。
day6:リマin。深夜着。トロント発の搭乗口が三回変わったせいで到着が3時間遅れる。タクシーの運ちゃんにホテル前で降ろされるも、ホテルのドア開かず。人気なしに、不良あり。目測、35メートル。4人組。ちょっとしたパニック。半端ない勢いでノックする。だいぶ迷惑そうな顔でガードマンのおっちゃんが現れる。一安心で睡眠。
day7:昨日のうちに探したホステルへ。ブログで書いたとおり。昼飯は、ケンタッキー。太平洋の雄大な景色を見ながらのケンタッキーうま!!と一人で感動。

街で声かけてきたおっちゃんと観光。二時間くらい。リマからクスコへのバスチケットを予約してくれる。別れ際、タクシー代をくれとせがまれる。300円くらい。確かにめっちゃお世話なったけど、なんか嫌だ!!ちょっと喧嘩して別れる。結局、150円分あげました。
day8:リマの中心街へ。昼飯はケンタッキー。だって、めっちゃうまくて味は日本と変わらないのに、半額くらいなんやもん。。。夜、マルタからやってきた3人組とバランコという地区に行こうと約束するが、ねぶっち。ちょっと横になって起きたら、朝でした。
day9:リマからクスコへの長距離バス。22時間。おっちゃんがめちゃめちゃいい席取ってくれたので、超快適。景色に感動。

ハルジオンの歌詞の意味が突然氷解。そういうことだったのか。。
day10:クスコへ。バスで知り合ったドイツ人トーマス(バスの中でビールを飲んでて乗務員に注意されてた人)と飲もうと約束するも、高山病により無念の断念。頭がぐわんぐわんいってやがる。ということでホステルで休憩。夜は、街へ。帰ってきたらアイポット消失。
day11:宿移動。ペンシオン八幡へ。夜はおっちゃんと少し話す。最近は、長期滞在者が減ったそうな。
day12:マチュピチュ発!!のはずが、雨により延期。だらだら。
day13:マチュピチュへ。電車で行けば2,3時間のところをお金節約のため10時間かけていく。道恐すぎ。十字架立ち過ぎ。

途中、溝にはまって動けなくなってた車を救出。俺の車のドライバーがね。俺は、ぼけーと立ってるだけ。
道中の橋は落ちかけ。外れた底板をはめて一気に駆け抜ける対向車。


僕らの車は、川へダイブ!!いよいよ冒険って感じ。

マチュピチュの神秘性が、レベル15上がった。夜の7時過ぎ。マチュピチュ行きの拠点となるマチュピチュ村に到着
day14:朝4時おきでマチュピチュへ。先着300名に与えられるワイナピチュの登山権を獲得。一時間半かけて登る。頂上に着き振り返ったその先は、まっっっしろ。視界ゼロ。霧半端なす。

その後、霧が晴れた先にあったマチュピチュは、ごちゃごちゃしてました。

個人的には、眼下一面に広がる森がよかった。
day15:昼まで時間つぶして、クスコへ。行きに僕らがダイブした川で、別の車が動かなくなってました。
day16:朝一のバスでプーノへ。だいたい8時間くらいだったかな。夜は、中華へ。ホールの中国人の店員の愛想のなさが奇跡的。面白すぎるくらい。俺にはまだしも、厨房のペルー人のおばちゃんにオーダー伝えるとき、伝票を机にたたき付けるっていうね。
day17:ボリビアへの国境越えの日。国境の空の青さが、この旅一番の青さだった気がする。バスの隣に座ったイタリア人のおっちゃんがほぼジローラモ。な、なんてかっこいいおっちゃんなんだ、と思ってたら、足がめっちゃ臭かった。頼むからサンダルを脱がないでくれ。。。おっちゃん、バスを降りた一瞬後には、もう女の子と仲良くなってたけど。お~ある意味、完璧なステレオタイプ。ボリビアのラパス、ホステル「エル・ソラリオ」へ。
day18:自転車によるデスロードツアー。標高4600メートルから1300メートルくらいまでを延々下る!!3分の2はオフロード。狂気の沙汰。けど、最高。最後のほうは握力なくなるけど、とにかく飛ばす。


やっとガイドに追いつける!!って感じになったときにゴール。もう一回参加しようかな…一瞬悩んだほどに最後の坂を責めれてる、って感じはたまらん。昼飯、8人中俺だけビールを飲む。え、なんで??欧米の人は、昼間からは飲まないものなんかね?
day19:ラパスで休憩。お土産散策。
day20:ワイナポトシ登山出発
day21,22:ワイナポトシ登山→ラパス
day23:休憩、お土産散策。
day24:アマゾンツアーに参加するために、一路北へ向かう。バスで悪路を行くこと18時間、疲労の果てに拠点となるルレナバケという街に到着。というところを、一気に飛行機でびゅーん!!!!35分で着きましたけど何か。
day25,26,27:アマゾンツアー。川をボートで下る。伝説のガイド、ランボーとの出会い。

普段のお返しとばかりに、自然に搾取されまくってきた。蚊の野郎に、たんと血を分け与えて帰路へ。
day28:夜行でウユニへ。それまでは、最後のラパスを満喫。とにかく、その場で絞るオレンジジュースがうまかった。あと、日本食のけんちゃん、行きまくりました。飯がうまいと感じないと死んでしまう病なんで。
day29:朝の9時に街に着き、ツアー会社を探して11時半にウユニ塩湖ツアーに出発。一泊二日ということで、夕方までいろいろ周って、その後塩湖のホテルに行く、と思ってたら、午後一時にホテルにおろされる。ホテルというか、掘っ立て小屋?? ホテルの宿泊客、俺一人。

一面真っ白な世界、確かにすごいけど、もって2時間でした。お、無限とも思える時間が目の前に広がってるぞ。よし、本を読もう。二時間半後、読了。まだまだ待機。ということで、一人で飲む。ビールうめー。夜、満点の星空を見に外へ。うわー、満点の月明かり。このタイミングでほぼ満月って、やってくれますな。ともう死期を迎えつつある老人並みの独り言を発する。
day30:月が沈んだ深夜三時半に起床。ついに星の輝きに身を浸す。ん、ん、ん。ん、ん。一体誰だ、一生忘れることができない星空でした!!みたいなもりもりのコメントをしたやつは!!その後、ちょっと寝て6時おき。朝の7時に迎えが来る予定のところ、待ち5時間半おねがいしまーーす。てな感じで、待ちに待たされる、とりあえず、朝の9時時点で、ビールを飲み始める。他のツアーの運転手のおっちゃんが自分が飲んでたのをくれました。そりゃ、真っ白なだけの道の運転とか、飲まなきゃやってられんよね。その後、12時半過ぎに迎えが来て、町には18時に戻る。22時半の夜行列車で、アルゼンチンとの国境の町ビジャソンへ。かわいい二人のお子ちゃまの泣き声でほぼ眠れず、けど、それは絶対におこっちゃダメなところ。
day31:朝の9時前にビジャソン着。国境がよく分からなかったので、近くにいた人に、スペイン語も国境も分からないから一緒に行ってもいい?、って電車の荷物を受け取るところでお願いする。そしたらその三人組、なんでも火山の研究でボリビアに来てたんですって。荷物の中、たっくさん石が入ってるんですって。直後、この旅一番の重労働。くっっそ重い。もう必死の思いで国境を4人で越える。そしたら、手荷物検査で「この石は、持ち込めない。」とのこと。いやいや、研究用っていう証明書あるやん!!「はんこがないからダメだ。」とのこと。国境で待つこと一時間。僕はここでお別れを告げ、アルゼンチンの町ラ・キアカへ。果たして3人は無事に石を持ち込めたんだろうか。午後1時発のバスでブエノスアイレスへ向かう。
day32:「このくそ餓鬼、ぶち殺したろかー!!!!!」ブエノスへの長い長い道のり、移動で越す二日目の夜。隣の席に、またまた小さな男の子がいました。やっと眠りにつけそうになった瞬間、その子は、僕を蹴りました。そして、僕は、この旅一番の怒りに震えたのでした。

ウユニで移動を開始し始めて、44時間。まともに寝れずに、くたくたになってブエノスアイレスに午後7時に到着。日本人宿のファッキンスタッフに再び怒り心頭した後、別のホステルで一泊。アルゼンチンといえば、牛肉と赤ワイン。ということで、早速繁華街に繰り出し、優雅な夕食。いや~、肉がでかくて、うまい!!と大満足で就寝。
day33:昨日ネットで調べたホステルに移動。この旅、一番のホステル。雰囲気も、ホステルをやってるマウロ・ディエゴという二人の兄弟も大好き。


で、昼ご飯は、またまたステーキ+赤ワイン。サイズがsmall(200g)とmedium(400g)とlarge(600g)があって、smallでいいかなぁと思ったけど、周りがmedium,largeばかり。大の日本人がこんなところでsmall頼んで恥を晒すのか、いいや、晒さない。と自問自答し、mediumを注文。完食後、お腹の異変を感じる。ま、まずい感じの痛みだ。ホステルに直帰。この旅、一番の腹痛とお腹の下し方。結局その日は、全くホステルを出れず、トイレに10回以上駆け込む。肉が原因なのか、なんだったのか。よく分からない。
day34:ディエゴが教えてくれた通称leather streetに行く。その通りで売られてる物が、観光名所でだいたい2,3倍の値段で売られてるよ、の言葉通り革製品が激安で売られていた。テンション上がりまくり。ということで、積極的に物色。夜は、ホステルの近くの沖縄料理屋へ。日本食、万歳。
day35:とある有名な日本人宿へ向かう。目的は、本の入手。ちょっと部屋を見させて欲しいんですけど、という出任せの口実で潜入。なんとかうまいこと話を持って行き、これまでに読んだ3冊と宿にあった本を交換してもらう。城山三朗「経・暦・年 不問」とヘミングウェイ「誰がために鐘はなる上・下」をゲット。十分すぎるほどの戦果と言っていいだろう。そして、その日も、沖縄料理屋へ。
day36:旅の中でも最高の一日。朝はのんびり起きて、朝食食べて読書。シャワー浴びて、昼間は、宿の近くのところに食べに行って、ビールと鶏肉のクリーム煮込みみたいなの。うまし。その後、宿に戻って昼寝。それで夕方5時くらいから、有名な墓地へ。すごいきれいに整備された墓地で、歩いてて気持ちがいい天気で、夕焼けがすごいきれいだった。人がたくさんいるおしゃれな建物があったから入ってみると、美術展のスタートの日だったらしく。ワインを無料で配ってて、それを飲みながら美術館見学。

絵とか写真を見て、あんなに心がざわざわしたのはいつ以来だろう。ちっちゃい映画館みたいな部屋では、高校生くらいの子達が、家族とかを呼んでバンド演奏会をやってて、それにも潜入。最前列の通路、最高の席で演奏に聞き入るちっちゃいお嬢ちゃん。

おねぇちゃんでもいるのかな、なんかいいなぁ、と思ってたら、最後らへんのバラードの曲で大暴れし始めました。で、結局ワインを4杯くらい飲んで気持ちよくなって、それで締めは恒例の沖縄料理屋。
day37:ボカ地区に行く。芸術の街かと思ったら、下品な日本語が飛び交う街でした。俺が日本人と判明した途端、レストランの客引きの兄ちゃんは、「チン●、マン●、オカマ~!!」と大声で叫びだしてました。誰だよ、こんな言葉教えたの。辞書を引いても決してのってない言葉なので、必ず犯人はいる。重罪に値します。なんかげんなりしたのであまり長居せずに、沖縄料理屋へ。
day38:それで今日。一日行動できるのは最後ということで、昼食のちょい前から行動開始。昼名は、「asparragus gullatten」とかなんとかいうやつを「アスパラガスグラタン」と解釈し注文。結果がこちら。

前菜をおがずに、パンを食ってやりましたよ。レストランにくっそ絵になる男の子がいたのでそのこの写真もどうぞ。俺今かっこいいよね、って4歳くらいにして的確に自己客観視できる天才。


これっぽっちも満たされることなく撤退。今まで回った中でのお気に入りのスポットをぶらぶらしてブエノスアイレスを満喫。夕食は、最終日ということで、ステーキ!!これが、今までで一番おいしいステーキで大満足。それで、ホステルに帰って、ビールを飲みつつ、この文章を書いて、今。39日目は飛行機乗って、40日目で東京着いて、僕の旅は終了。ちゃん、ちゃん。