おはようございます。
ちょっとツイッターで話題になったことを
ここでまとめてみようと思います。

「プロンプト」、とは、応用行動分析学の専門用語で
日本語的には、「指示」のことです。

たとえば、着替えのとき。
「ほら、着替えなさい、パンツは脱がないで。ズボンはきなさい。
こういう、感じ。覚えありませんか?
食事であれば、
「ご飯食べなさい。まだ残ってるよ。お茶飲んで。野菜も食べないとだめよ。ほらほらっ!

という感じで、声かけや動作の促し、これが「プロンプト」です。

自閉症児の療育では
プロンプトをしながらも、少しずつ減らしていき
自発的に行動することを促していくことが大切です。
師匠の言葉を借りれば
「TEACCHでもPECSでも、いかにプロンプトを外すかがキモなのだそうです。
自閉症児の、と書きましたけど、
自閉症児に限らず、すべての子育てにいえることだと師匠につっこまれました。


なぜプロンプトを少しずつ外していかないといけないか、ということですが、
プロンプトがないと行動にうつせない、
つまり、プロンプト依存、もしくは指示待ち、といった現象が起きるからです。
親や先生が指示しないと動かないという状態は
その場はしのげますが、それが行動として定着してしまうと
社会に出たときに、自立が難しくなることがあります。
(ただし、自立とは、支援があってこその自立、も含みます。)
師匠いわく、その場はしのげているというより
本人がパニックとかになった時点で、しのげてないんじゃ?という
ご指摘でした。確かにそのとおり。
パニック収めて、がんばったねーって、そりゃ違うでしょ・・・ってことです。

実際、私も成人施設で働いていた先生など数人に確認したところ
プロンプト依存という問題は確かにあると皆さん言われています。

でも、まったく何の手助け無しでやらないといけないのか。
そうではありません。

プロンプトとは別に、「手がかり」「合図」という言い方をするものがあります。
たとえば、授業のチャイム、教室に張られている時間割など。
これらは、プロンプト、とは区別し、ここでは「手がかり」と表現します。

たとえば車の運転をしているとき、
「止まれ」の標識があれば、止まります。
これは、止まれという標識を「手がかり」にして
自発的に止まれた、ということになります。
ですが、標識があっても、「ほらっ、止まれの標識見なさい、止まらないとだめでしょ」
なんて言わないと止まれないとしたら、どうでしょう。
危険極まりないです。
ていうか運転できません・・・
この声かけは、「プロンプト」であると考えます。

道路標識は、なくさなくてもいいけど
声かけは、最初は必要に応じてしていかないといけないけど
ちょっとずつ、なくしていかないといけない。

これが「プロンプト」と、「てがかり」の違いです。
ここを区別して、どこまでが「プロンプト」で、どこまでが「手がかり」なのか
そして、プロンプトをどれくらいしてあげれば行動でき、
それをどう外していくか、それが大事なわけです。

そんな話を、我が師匠であるkingstoneさんと
ツイッターでお話しました。

とても良い話だったので
このブログに少しずつまとめていきたいと思います。
(情報量が半端ではないので、時間がかかりそうだ・・・)

いっぺんに書くとあれなんでw
また暇なときに続き書きます。

難しいところですが、
プロンプトに依存することと
支援あっての自立とは
ぜんぜん違うということ、ですかねー・・・・師匠w

ではまたノシ