僕ももうすぐ46歳、昨年父方と母方の祖母二人を亡くしました。。。
今まで、身近な人の死に関わらなかったので、あまり人の死について真剣に考えませんでしたが、昨年から、いろいろと考えるようになりました。
人って死が差し迫った時に何を考えるんだろう?
季節をどう感じるんだろう?
この人の人生は楽しかったのかな?
家族はどんな思いで見守っているんだろう?
なんだか、いろいろと考えてしまいます。
実は、義理の父が昨年の11月に余命3ヶ月と宣告されました。
先日、意識が無くなったと言う事で、最後かもしれないと妻が義父の入院する埼玉の病院に行きました。
その後、意識は戻ったのですが、時を同じくして義母がヘルニアで入院、義父の看病を出来る人がいなくて、妻がそのまま付き添いました。
病院での寝泊まり、別の病院に入院している義母への見舞い、そんな事を数日して、仕事もあるので昨日帰って来ましたが、ほとほと疲れきっていました。
義父もそう長くないでしょう。。。
病気で亡くなった方の身内が、葬儀の時に見せる、疲れきった顔とホッとした様な表情。
僕は、悲しくないのかな~?などと思ったこともあったけど、なんとなく分かる様な気がした。
亡くなるのは、寂しいことですが看病する方もかなり疲れます、苦しみ痛がる人をさすり、眠れずに看病をして。
やっと解放された・・・
という気持になるのも分かる様な気がしました。
この世に存在する唯一の絶対、「致死率100%」
誰もが絶対に経験する死。
医療の進化で、救える命もあるので医療を悪く言う気はありません、でも末期がんの患者は痛みに苦しみ、家族も苦しみ、そこまでして延命をはかるのは、何の為なんだろう?
亡くなる方は身近な人達の温かみを感じ、見送る人達は精一杯やっているうちに気持の整理が付き悲しみも薄らぐのかな~?
なんだかいろいろと考えてしまいます。。。
僕もいずれ死を迎えます。
どんな形か分からないけど、ただ、笑顔で「ありがとう!」と言って死にたい。
だから、ああすればよかった・・・
あれをやっておけばよかった・・・
あの人に謝りたい・・・
そんなことを悔やみながら死にたくない。
これだけはいつも思って生きている。
悔いが残らない様に、瞬間瞬間を精一杯。
それでも、人に迷惑をかけたり、助けてもらったり、いっぱいあります。
だから、僕も人の為、世の為に、出来ることをしたい。
きれいごと?
でも、僕はそう思っている。