【 ピンク映画不屈宣言 】
先月8月に閉館した成人映画館・新橋ロマン。
その新橋ロマンに橋本愛が通って、ピンク映画(独立プロが製作する低予算の成人映画)やロマンポルノ(日活が製作していた成人映画)を見ていたことが話題になりました。
一部のひとは奇行と見ていたようですが、そうではないでしょう。
女優として真剣に日本映画に学ぼうとするのであれば、これらの成人映画を無視するわけにはいきません。
日本の成人映画が目指してきたものは、単なるエロではなく、性という観点からとらえた人間ドラマでした。
また、ピンク映画やロマンポルノはすぐれたスタッフ・キャストを世に送り出してきました。たとえば、『おくりびと』の滝田洋二郎も、『舞妓はレディ』の周防正行もピンク映画で監督デビューしていますし、大杉蓮のキャリアもピンク映画出演から始まっています。
私たち、関東の「PG」と関西の「ぴんくりんく」は、20年以上、観客の立場からピンク映画を応援し、情報を発信し続けてきました。
ピンク映画の始まりは1962年と言われています。そこで、2011年、私たちは協力し、「PGぴんくりんく」として「ピンク映画50周年記念作品」を企画しました。
監督をお願いしたのは、渡辺護。ピンク映画の黎明期から活躍し、職人監督として撮影所の映画に負けないすぐれた作品を作り続けてきたひとです。
私たちの依頼に渡辺監督は「わかった。やろう」と即答し、ピンク映画の新しい基準となるものを撮ると宣言しました。
しかし、準備に入った2013年11月、渡辺監督は倒れてしまいます。検査の結果、末期がんであることが判明。12月24日に亡くなりました。
この時点で私たちは「ピンク映画50周年記念作品」を製作すべきかどうか迷いました。しかし、渡辺監督の「井川が撮れ。映画を完成させろ」という遺志を尊重し、脚本を書いた井川耕一郎氏を監督に製作続行を決めました。
こうしてできあがったのが、ピンク映画ならではの奇妙なスワッピング・コメディ『色道四十八手 たからぶね』です。
現在、ピンク映画を取り巻く状況は厳しくなっています。最盛期にピンク映画は年間200本以上製作されましたが、今は40本程度です。
そのため、ピンク映画関係者からは、「50周年記念」という趣旨に対する賛同は得られても、そこから先の具体的な協力に関する話まではなかなか進みませんでした。
そこで、私たちは自主製作・自主配給でやっていくことを決意しました。しかし、それこそ、「ピンク映画50周年記念」にふさわしいのだと今は思っています。配給会社からの発注で独立プロが製作するというのが今のピンク映画ですが、その始まりにおいては、まさに自主製作・自主配給だったのですから。
また、ピンク映画界でもデジタル化が進んでいますが、私たちは35mmフィルムで撮ることを選びました。フィルムでなければ表現できない色と光の豊かさを求めたからです。
私たちの試みは反時代的に見えるかもしれません。
しかし、私たちはここから新たなピンク映画が始まるのだと考えています。
『色道四十八手 たからぶね』を何卒よろしくお願い申し上げます。
PGぴんくりんく:太田耕耘キ(ぴんくりんく)・林田義行(PG)