マキアージュ公演日記
「受難劇やりたいんだけど。」


と演出の小池さんが言ってきたのは秋の初めだったろうか。

わたしは受難劇なるものの存在もさほど知らなかった。




遠い昔、クリスチャンの英語教師のクリスマス会で


「キリストがお生まれになる所の劇」


みたいな劇をみて、しまいには調子に乗って羊飼い役で出たこともあった為、

おおむねそんな感じの(キリストが生まれて十字架にはり付けられる所までの)

内容の劇かしら、などと思った。




わたしは今回のテーマを「愛」と決めていた。






は?愛?愛とかいっちゃった?と御笑いになられますでしょうか。




わたしの大好きで大嫌いなこの狭苦しい小劇場演劇では、

「愛」とは何かと真正面に取り組んでいる団体はまれであります。

茶化すか、ぼけるか、感動させるか、やや斜に構えて「愛」を表現している劇団が少なくないだろう。


「愛とかダサい。」

そう言われてしまうほど愛は今信用されていないのかもしれませんね。


ま、いいんですダサくて。

演劇なんてそもそもスーパーダサい。

ダサい分だけお客さんが入る不思議ジャンルです。



つーかそもそも愛ってなんだ、という根源的な素朴な疑問を抱いたまま話進んでますけどすみません、



結論から言うと、

私は今回は「愛する」ということを真剣に考えるヒロインを描きたかったんです。



愛するってなんだという事も疑問ならば愛そのものがなんなんだと問う話ですね。




そんなことを考えていた私に小池さんが


「受難劇やりたい。」


と言ってきた。





正直


「え資料多そう。」


と思った事は事実ですが、喫茶店をでてすぐお互い紀伊国屋書店で

聖書のわかりやすい解説文ののった本を購入しました。


買ったからには読む、読んだからにはとりあえず企画にする、は

基本で御座います。うまくいかなきゃやめればいいんだから。



聖書は非常に豊かでありました。さすが世界を席捲している超スーパー宗教。

宗教のスーパースター、キリスト教です。



しかしわかりにくい。

わかりにくいんです聖書って。


「わかりやすい!聖書解説」

たいがい嘘です。

大体名前が多すぎて混乱します。ヨハネも多いしマリアも多いし、

誰やねんこのマリアは!!!

と、思わずエセ関西弁でつっこみたくなります。



聖書の序章にイエスの系図がだーっとかいてあるページがあるんですが、

そこでもうダメになりそうです。



かつて高校生の頃ギターを習おうと思ってFコードの高度さであっさり諦めた自分を思い出します。


が、ここはぐっと耐えて頑張らねばなりません。




物語は現代の世田谷区に暮らす姉弟とその息子、

紀元前から1世紀までのベツレヘム、ナザレ、カナンの物語と2つ用意いたしました。



前回公演「女が、全然ダメ」という素晴らしいタイトルの公演を成功させたマキアージュですが

今回はあの作風と全然違います。

わかる方はすでにチラシ見たらわかりますかね。

真剣に愛とキリスト教の事考えてますしね。

あ気持ち悪いですか。いいです気持ち悪くて。




ちょっと前のわたしならやらなかったでしょう。

それでも今私自身がこの答えを探しているのです。



さあもうすぐ

「あしたのイエス」

稽古はじまります。