今年も終戦の夏を終え、私もコロナ対策の一環として、密着を避けるため、1日前倒しの14日に靖国神社と墓参りに行って参りました。
そこで、毎月行なっている勉強会では何度かご紹介したことはあるのですが、先日、Facebookの方に、その時の様子とともに「幻の靖国神社の木製大鳥居のおはなし」をアップしたところ、「知らなかった」と反響も大きかったので、こちらにも少し転載しておこうと思います。
ということで、ご存知の通り靖国神社の第一鳥居はものすごく大きくて立派ですが、実はここには以前、曾祖父、英機が八紘一宇に因んで柱を八角に誂えた木製の大鳥居がありました。
その鳥居は、木曽の樹齢1000年を超えたご神木(檜)を用いており、当時、製作にあたり、ご神木を用立てたところ、晴海から九段まで運び込むのに、馬車やトラックを使わず、職人さんや軍人さん、そして、ご遺族といった人の力だけで網を引いてわざわざ運び込んだそうです。
いやはや、これはかなりの重労働ですね。
そして、この時、曾祖父の指示もかなり細かったようで、作業にあたっては、「ご神木に乗ってはいけない」、「跨いでもいけない」、そして、「失敗は許されない」といった感じで、かなりの難度であったことから、多くの職人さんはその製作に難色を示したそうです。
すると、下町・木場の材木職人だった鈴木さんという職人さんがそうしたプレッシャーを覚悟の上、鳥居の製作を引き受けることになり、仕事前には水を被って自らの身を清め、自分の首がいつ飛んでもおかしくないようにと、当時、物資が配給制で支給され、なかなか自由に物を手に入れられないという中にあっても、仕事の時に下着だけは奥さんに新調させて臨んだそうです。
そうして、ついに木製の鳥居が完成した暁には、嬉しそうな曾祖父がその職人さんのところに歩み寄って、「責任者はお前か」と言って、手を握り、「ご苦労」と言われたとき、鈴木さんは、一生の一度の涙が出たと、後日、奥さんは語っておられたようです。
そんな木製の鳥居のあとに建てられたのが、現在の第一の大鳥居です。
完成後暫くしてのち、この奥さん、こと鈴木志津さんは木製の鳥居が既になくなっていることを知り、社務所に駆け込んだそうです。
当初は建て替えた理由を「古くなって腐ってきたから」と職員の方は答えられたようですが、立派なご神木を使っているはずなのにと、その返答に納得のいかない志津さんは、壊した残骸をどこにやったのか、執拗に問い詰めたそうです。
そして、「その表札は、東條家にも届けたんですか、私も関係者です。私も晴海からここまで曳いてきた一人です。夫が命をかけて造ったのです」と志津さんはその場で泣き崩れ、職員の方も「申し訳ない」と涙したと言います。
今はなき、木製の大鳥居ですが、ほんと、ここ、靖国神社へ来ると、実に様々な想いが去来します。