東條英利の「日本の見方vol.17」を本日、配信します。 | Natural Bone Japanese

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日本の素晴らしさを考えてみるブログ!

今週号のメルマガの告知です。



国際教養振興協会という団体を設立し、日本人としての基礎教養力の向上に努めて参りましたが、内なるアイデンティティと向き合うにつれ、東條家としての本分とも、もっと向き合う必要があるのではないかと感じるようになりました。


いわゆるA級戦犯とされる東條英機は私の曽祖父でありますが、その直系の長男のみが、この「英」の字を継いでおります。


私もその継承者として、時にはこの名を疎ましく思ったこともありましたが、戦後70年を迎えた今こそ、この名前がもたらした、様々な事実や経験、考えをこのメルマガを通して語ってみたいと思っております。




では、今回配信のメールマガジンの一部を公開いたします。



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【今週の目次】
1、 今日の戯言 ~現代人の死生観~
2、 ニュースな一言 ~どうなる!?東京オリンピック~




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1、今日の戯言 ~現代人の死生観~

さて、前回の家族観会議ではシングルマザー支援協会の代表と婚活支援会社の社長をお招きして行ったのですが、今回は葬儀の専門家をお招きし、現代人の死生観の変化について尋ねてみました。

中でも最近の悩みと言えば、お墓の問題。遠い田舎にあるとなかなか足を運ぶことができず、墓参りもおぼつかない方も少ない。いや、そもそもお墓がないといった方もいるし、仮にお墓を新たに持とうと思っても、墓守を担うような子供や孫がいなければその管理や維持は結局、誰がやるのかという堂々巡りのような問題も多々あり、なかなか思うように事が進まないのが実状のようです。これも大家族から核家族化、そして、お一人様といった生活様式の変化とも無縁ではないと思いますが、悔いのない死後に対する現代人の悩ましい問題がここに見え隠れしています。

そのため、今では「死後を考える」、いわゆる「終活」にいそしむ方も増えているようですが、専門家の先生曰く、何にしても現代社会における最大の問題は、「まずは故人や先祖を敬う考えが低下していることにある」とのこと。例えば、故人が亡くなった後、通例、ご遺体は自宅に運び出されるものですが、中には霊安室に留めておく人も少なくないというのです。私も父が亡くなった時に経験をしておりますが、普通、故人を思えば慣れ親しんだ家で迎え、残った者たちで故人を偲ぶものだろうと思っていました。ところが中には「住まいがマンションだから」という理由で自宅に迎え入れるのを拒否する人がいるとのこと。無論、業者に頼めば運び出しから何までやってくれるはずなので、住まいがマンションだからという理由は存在しない訳なのですが、何とも寂しいことです。

これを先生は「故人との絆が失われている」とおっしゃっていましたが、そもそも自宅に仏壇のない家が増えているということが、こうした傾向を端的に示しています。なぜなら、先祖代々の位牌がないということは、故人に手を合わせる習慣が薄れているとも言えるからです。むかしは、まず朝を迎えると、ご仏壇にご飯を添えることから一日が始まります。みんなが食事をとるのはその後のことで、まずはご先祖さまに感謝をしながら、日々の生活を迎えていたといいます。

言われてみれば、実家の母や祖母がずっとやってきたのもまさにその通りでした。朝起きて、仏壇と神棚に食を添える。仏壇に上げられたご飯は炊き上げたものになるので、しばらく供えるとそれを炊飯器の中に戻し、みんなでその残り物を食べていましたね。まずはご先祖様に対する感謝の姿勢に始まり、それは日々の生活にとけ込んでいました。専門家の先生のおっしゃることも何となく分かるのです。

もちろん、仏壇の有無で感謝の力量をはかることはできないのですが、ただ、こうした傾向はある種の問題を引き起こす可能性が非常に高いのだといいます。その問題というのは、




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2、ニュースな一言 ~どうなる!?東京オリンピック~

私が東條英機のひ孫として、救われていると感じることがあります。それは曾祖父がその政治的な評価は別にして、少なくとも結果責任に対しては、安易な弁明・弁解に頼ることなくすべて自分に責任の所在があるということを明確に貫いた点にあります。逆に、曾祖父は責任の所在が周囲にも及んだことに不甲斐なさを感じ、自身に集束できなかったことを後悔しました。もし、東京裁判で自身の責任回避を少しでも嘆願していたら、多分、その姿は今日とはまた違った扱いを受けていたでしょう。

そんな私もいろいろと人様の前でお話をさせていただくことがあり、そのとき必ず申し上げることがあります。それは、「敗戦の責任は曾祖父にある」ということ。曾祖父は私たちにも「自分の弁解をするな」と強い言葉を残しており、私もその点は充分理解しているつもりでいます。無論、これは国内に限った話であり、また、敗戦における原因という点では幾分の考証の余地はあると自分の中では思っていたりもしますが、やはり、それなりの立場を負う人間であれば、そこに相応の責任が発生するというのは当然の考えだと思います。

私が今回、なぜこのようなことに言及したかというと、




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