TP : 「果たしてメカニックの集大成が演奏なのだろうか?」とつぶやくかたがおられたんですけどね、
悪魔 : は?
TP : あ、最近Vnを習い始めたとゆーかたがですね、たしかセヴシックとか言ったと思うんですけど19世紀の教材を与えられたとゆー話でね、
悪魔 : ほうほう、
TP : でまあそのかたの先生の話しぶりではこの19世紀の教材とBachの無伴奏が紙一重の如(ごと)く非常に近いもののようなイメージでですね、あたかも「このセヴなんちゃらが弾ければBachの無伴奏が弾ける」と言わんばかりの高い評価をしておられるようなんですけどね、
悪魔 : Vnの先生が高評価するなら価値が高いんじゃねーのか?
TP : ええ、まあそのはずなんですけどね、ただこのVnを習い始めたとゆーかたね、まあ仮に「B氏」って呼ぶことにしますけどね、このセヴなんちゃらを弾いてみても音楽的にぜーんぜん感動しないって言われるんですよね。
悪魔 : は?練習曲に感動もへったくれもないんじゃねーのか?ww
TP : ええ、そのはずなんですけどね、ただやはり音楽的に退屈とゆーかつまらないとゆー印象は拭(ぬぐ)い去り難(がた)くてですね、この練習曲とBachの無伴奏曲がダイレクトにつながるとは到底(とうてい)思えないwwって言われるんですよね。
天使 : つながらねーのかよwwww
TP : あ、「Bachの無伴奏」を弾いているときは「うーっめっちゃイイ曲じゃーんww」って頭の中で思いながら弾いておられるらしいんですけどね、このセヴなんちゃらを弾いているときは「う・・なんかツマランのだがww」ってゆー印象が頭の中を駆けめぐるらしくてね、
天使 : 駆けめぐるのか!!wwwwwww
TP : ええ、でその両者の差があまりに大き過ぎてですね、この両者がダイレクトにつながるとは到底思えないとゆー感想に至(いた)るらしいんですけどね、
天使 : えらく勝手な感想だなwwww
TP : ええ、ただまあこの「先生」ってかたの言い分も大変よくわかりますわけでね、「メカニック的には」って前提条件をつけますとですね、この「セヴなんちゃら」と「Bachの無伴奏」が非常に近い位置にあるとゆーね、そんな意味で言っておられるんじゃないかと思うんですけどね、
天使 : メカニックが近いのか!wwww
TP : 知りませんけどね、
悪魔 : おいwww
TP : でまあ冒頭のテーマに戻りましてね、「メカニックの集成が優れた演奏になる」とゆー理論ね、現代の演奏家や教育家の皆様の中では否定する人のいないぐらいの常識のようなんですけどね、
悪魔 : つまり「疑う余地のない常識」かww
TP : ええ、ただ「レッスン」とゆー世界に全く縁のなかったB氏にとりましてはですね、漠(ばく)たる一抹(いちまつ)の疑念がですね、どうしても拭(ぬぐ)い去れないとゆーナゾの状態になっているようでしてね、
天使 : ナゾかよ!wwwwwww
TP : ええ、「全ての偉い先生が言われるならそれが間違いないんだとは思うけど」と認めつつですね、「それとは正反対のものが存在する可能性もあるのでは?」とゆーですね、いわゆる「部外者に独特な疑問」とゆーものでね、
悪魔 : どう「正反対」なんだよ?
TP : あ、「メカニックの集成が演奏になる」に対してですね、「美しい音楽に対する『感動』がメカニックを培(つちか)う」のではないかとゆーね、まあ直感のようなものらしくてね、
天使 : 直感かよ!wwwwwwwwwww
TP : ええ、ただの直感だけに全く根拠はなさげですけどね、
天使 : 根拠なっしんぐかよwwwwwww
TP : あ、ただB氏によりますとね、「根拠」とは言えないながらやや気になることがあるようでしてね、
悪魔 : 何だよ?
TP : あ、メカニカルな「練習曲」とゆーものがですね、19世紀以降のものしか見当たらない、ってことでね、
天使 : 見当たらねーのかよww
TP : ええ、それもBachの存命中の1750年以前には「メカニックの練習曲」とゆーものが全くないように見える、とゆーことでね、
悪魔 : つまりどうゆーことだよ?
TP : わかりません。「17世紀の演奏は19世紀の演奏よりはるかに稚拙(ちせつ)であった」と説明される先生もおられるようなんですけどね、ただB氏は逆にですね、「『Bachの無伴奏』を聴いただけでも当時の演奏家は19世紀以降の演奏家よりはるかに高い技能を持っていたのでは?」とゆー直感的な疑念がですね、払拭(ふっしょく)できないでいるとゆーことでね、
天使 : やっぱり直感的かよwwwwwww
TP : ええ、私が当ブログで使う「~気がするw」と同レベルな気もするんですけどね、
天使 : タメかよwwwwwww
TP : とにかく続きますw
悪魔 : おいw
天使 : おいw
(つづく)
