こんにちは.
よい文章を書く人といえば誰が思いつくでしょうか.それぞれ好きな作家さんやブロガーさんが居ることと思います.
先日理系は必読といわれている「理科系の作文技術」という本を買い,それを読んで考えたことを書き連ねていこうと思います.(手を出しやすい漫画から始めました 笑)
今回はタイトルにもあるとおり,理系と文系の文章について書きます.理系と文系という区分けは実は文章という枠組みに対して適切ではないかもしれません.
なぜなら,
理系 = 事実に即した現実的文章
文系 = 感情に沿った心象的文章
というわけではないからです.
確かに理系は事実に即した意見や考察が必要です.僕が主張したいのは,文系の人々が学ぶ学問が必ずしも感情を伴って学ばれる学問ではないという事なのです.
経済学部などの文系学生はとても共感していただけると思いますが,数学が必要なことがめちゃくちゃ多いと思います.
経済学の分野の一つにゲーム理論があります.これは「利害関係を持つ相手がいる状況で、自分と相手の利益を考え、最適な行動を決める」※ときに用いる思考法です.
この理論では数学が用いられていますがもしこれを感情で表してしまうと以下のようになります.
「今日は星座占いが1位だったから,きっと商談も有利に働くはず!!!」
うーん,バ○かな?
こんなナンセンスな例えをしてしまった自分にも少しガッカリしてはいますがまあ大体こんなものです,多分...
少し話がずれてしまいましたが,結局文章に対する枠組みは別の分類が必要なのではないかということが言いたかったのです.
僕が思うに文章は
・議論討論のための文章
・想像懐古のための文章
に分けられると考えています.
議論討論のために必要な文章とは,事実と主張をはっきりと分けて書く必要があります.また文章に複数の意味を持たせてはいけません.
対して想像懐古のための文章は,複数の意味を持たせることで文章の再現する世界観の奥行き深さを表現できます.
日本語にはこういった二つの区分けに対してどちらに有用であるか,皆さんはわかるでしょうか?
正解は想像懐古のための文章です.俳句などを想像してもらえればわかりやすいでしょう.
俳句の素晴らしさは,17文字という制約のうちにめちゃくちゃ想像をかき立てるような世界観が存在するという一面であると思います.
日本語はそういった文化があるために人々が文章からなにかを感じ取る・推測するというのが自然になっている言語であるといえます.
逆に言えば議論討論のための文章においては細心の注意を払わなければならないということなのです!
英語は日本語と比較すると,文章の主張が先に記されるために議論討論のための文章に向いています.なので英語の勉強をすると自動的に主張するべき言葉が見つける練習になるのではないでしょうか!
※参考:囚人のジレンマとは?ゲーム理論の代表的なモデルを解説
参考:まんがでわかる理科系の作文技術
僕も将来的に論文を書かなければならない身として,日々文章作成の研鑽を怠らずにいたいものです.
読んでいただいた皆様に感謝いたします.最後までありがとうございました.
