植村直己に学ぶ | トニーの成幸ブログ

男は兵庫県の農家に生まれる。


末っ子であったせいか、
幼少期から甘やかされ、
性格も人一倍臆病であった。


しかし、子供の頃から人が困っていると
損得勘定抜きで助ける性分でもあった。


小学生の頃、同郷の登山家に憧れる。


学校行事で登った山を皮切りに
近県の山を登り始める。


高校卒業後、山登りの資金を稼ぐため
地元の運送会社に就職するが、
あまりの忙しさに
登山する時間が取れないため
翌年退社して大学へ進学。


大学に入ると登山部に入部し、
そこからさらに登山に没頭。


山登りでしょっちゅう転ぶので
仲間から「ドングリ」という
あだ名をつけられる。


また、人一倍臆病な性格のせいで、
十分な計画と準備が出来ていなければ
決して山登りは実行しなかった
という一面も。


大学卒業後、ヨーロッパアルプスの
氷河を見ることに憧れて、
アルバイトで貯めたお金を元手で
移民船に乗り込み、アメリカに向かう。


到着後苦労して職を得るが
その後不法労働で捕まり、
国外追放。


今度はフランスに向かった。


そこでスキー場で働きながら
登山を続けた。


最初はモンブラン単独登頂を試みるが
クレバスに落ちて失敗。


その後、モンブラン単独登頂に
リベンジして成功。


さらにマッターホルンの単独登頂、
アフリカの最高峰キリマンジャロでも
単独登頂を成功させた。


日本に帰国し、
日本山岳会のメンバーに選ばれ、
エベレストとマッキンリーへの登頂も成功させ、
世界初の5大陸最高峰登頂者となる。


男の名前は、植村 直己。


その後も、単独北極圏到達や
世界初のマッキンリー冬季単独登頂も
成功させ、名実ともに世界一の登山家となった。


43歳の誕生日に世界初の
マッキンリー冬季単独登頂を果たした帰りに
交信連絡が途絶え、消息不明に。


残念ながら帰らぬ人となった。


彼は死後、国民栄誉賞を与えられたが、
常に死を覚悟してのチャレンジであったため
きっと幸せな人生だったのだと思う。


人一倍臆病な人間だって、

ドングリのように
転がってばかりいる人間だって、

好きなことに諦めずに続けていれば
必ず偉業を成し遂げられる。


そんなことを
植村さんは教えてくれますね。


良い週末をお過ごしください。