ティファニーに学ぶ | トニーの成幸ブログ

男は、アメリカのコネチカット州に生まれる。

 

地元の学校で初等教育を受けた男は、
学校に行きながら父親が営んでいた
綿製造の仕事を手伝っていた。

 

25歳の時、父親にニューヨークへ出ていき、
友達と商売を始めたいと相談する。

 

手持ちのお金は200ドル程度しかなかったが、
父親が1000ドルの資金を提供してくれた。

 

ニューヨークに出た男は、
友人と文房具やギフト商品を売る店を開業。

 

しかし、開店3日間の売り上げは5ドルにも満たず、
かなり厳しいスタートとなった。

 

彼のお店は当時珍しい、
値札を付けた定価販売を行っていた。

 

どんなに苦しくても、
ディスカウントすることはしなかったが、
そのかわり品質の高い商品ばかりを扱った。

 

その後世界初となる、
郵送で通信販売を行うメール・オーダーサービス
を開始。

 

中国や日本からの輸入品を販売した。

 

やがて36歳の時、大きな転機が訪れた。

 

フランスで二月革命が勃発し、
貴族たちが国を逃れようと
宝石などを売って現金に換え始めた。

 

これに目をつけた男は、
安い値段でフランス王室の王冠や、
マリーアントワネット、
ルイ15世の宝石などを買いまくった。

 

これによって男は瞬く間に
宝石商としての地位を確立。

 

その後、共同経営者から販売権を買い取り、
自分の名をブランド化した。

 

男の名は、チャールズ・ルイス・ティファニー。

 

”キング・オブ・ダイヤモンド”と呼ばれ、
ダイヤモンド・リングの基準もつくった。

 

彼は、女性を喜ばせる最高の商品を
常に考え、販売した。

 

クリスマスの贈り物として人気を博した
定番のオープンハートのペンダント。

 

「ブルーボックス」と呼ばれる、
ティファニー製品を納める箱は、
世界中の女性の憧れとなった。

 

彼が90歳でこの世を去った後も
その意志は息子に受け継がれ、
世界でも高級なブランドとして地位を確立。

 

オードリー・ヘップバーン主演の映画
『ティファニーで朝食を』によって
さらに知られるようになった。

 

彼は最初、決死の覚悟でニューヨークへと
移り住み、友人と共にギフト屋を始めたが、
思い切った行動を誰よりも先に行うこと
によってその地位を高めていった。

 

そして今では、30もの国に展開し、
40億ドルもの売り上げる企業へと
成長していったのです。

 

ティファニーは、新しい考えを取り入れ
挑戦することの大切さを教えてくれます。

 

あなたは、新しい時代に向けて、
チャンスに新しい一歩踏み出す準備が
出来ていますか?

 

準備が出来ていない人は、
チャンスが訪れると、
必ずダメな理由を考え、
そして尻込みします。

 

来るべきチャンスに備え、
成幸思考をしっかり身に着けておきましょう。

 

良いクリスマスホリデーをお過ごしくださいね。