KFCに学ぶ | トニーの成幸ブログ

男が6歳のとき父親が亡くなり、

母親が工場で働きながら男とその弟妹を育てた。

 

男は10歳から農場に働きに出る。

 

学校は14歳で辞め、

農場の手伝いや市電の車掌として働いた。

 

16歳のときに年齢を詐称して陸軍入隊し、

キューバで勤務した。

 

除隊した後は、青年期にかけて様々な職業を渡り歩き、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど、

40種に上る職を転々とした。

 

30代後半には、ガソリンスタンドを経営。

 

長距離を走るお客からの要望で、

ガソリンスタンドの敷地内に

食事のできるカフェをオープン。

 

そのレストランの目玉料理は、

男がレシピを考案したフライドチキンだった。

 

その料理は人気が出て、店舗を拡張したが、

直後に店が火事で全焼。

 

それでも借金をして建て替えをするも、

新たな高速道路開通により、客足が途絶え、あえなく閉店。

 

男の元には借金だけが残り、

会社は倒産した。

 

全てを失った男はその時、65才。

 

しかし、男は諦めなかった。

 

男は人生の再出発を決意して、

1台で全米中を走り回り、

自分のレシピを売り込む旅に出た。

 

なけなしの年金でガソリンを買い、

夜は車の後部座席で寝る生活。

 

最初の契約を取るまでに2年間かかった。

 

断られた続け、

1010件目でようやく1件の契約を得る。

 

その後、この料理は評判となり、

契約数を伸ばした。

 

そして男は、

世界初のフランチャイズビジネスを

世界80カ国に1万店舗以上、展開した。

 

男の名は、カーネル・サンダース。

ケンタッキーフライドチキンの生みの親。

 

彼は90才で亡くなるまで、

世界中のFC店舗を視察する旅を仕事として

続けた。

 

「人間は働きすぎてダメになるより、

休みすぎてサビつき、

ダメになる方がずっと多い」

by カーネル・サンダース

 

全くその通りだ。

 

「私がやったことなど、誰にもできる事だ。

ポイントはただ一つ。

心から「やろう」と思ったかどうかである。

心が思わないことは絶対に実現できない」

by カーネル・サンダース

 

情熱と継続する強い意志があるだけでいい。

 

あとはがむしゃらに夢を追いかけるだけ。

 

途中で自信を無くしたら、

自分に言い聞かせよう。

 

「大丈夫。必ず上手くいくから」