11月24日 月曜日AM6:30頃
鎌倉の 由比ガ浜 にて日の出を拝みまして・・・

AM8時前に宿を出て、鎌倉では必ず見ないと!と言われる?「高徳院」の大仏 見学へ。
早起きは三文の得?

一番乗り。
この後、駐輪場所を探すのに苦労しました。

拝観料は 300円。

このアングル、別記事で登場しますのでお楽しみに!

鎌倉の大仏様を観たのは40年ぶり位かな・・・

人が少ないのでほぼ貸し切り大仏様。

朝日に照らされて清々しいお顔・・・

50円で内部を観覧

鶴岡八幡宮方面へ
・・・前は知らないWAVE号。



朝の神社も良いね。
この後、ちょっと鎌倉霊園方面に寄ってから反転し、帰途につきました。
詳しくは別記事にて・・・

R134を走り、「稲村ケ崎」で綺麗な景色に遭遇。
江の島と富士山コラボ!!!
SASの「君こそスターだ!」の歌いだし
♪ 稲村ケ崎は今日も雨~
だけど・・・運よく快晴で富士山も見えました。

『太平記』によりますと稲村ケ崎は・・・新田義貞による「鎌倉攻め」の要衝なんですね。
1333年5月21日夜半、片瀬・腰越を廻って極楽寺坂へ向った義貞が敵陣を見ると・・・
北は切通しまで山高く険しい路で、大仏貞直を大将とする幕府軍数万が陣を並べていた。
南は稲村ヶ崎で、砂の上の路は狭く、波打ち際まで柵が設けられ、海上には大船が並べられ、側面から射ようと待ち構えている。
この状況では、味方が引き下がったのも当然と考えた義貞は、馬から下り、兜を脱いで、海上の遥か遠くを伏し拝み、龍神に誓願。
義貞が腰の黄金作りの太刀を抜いて海中に投げ入れると、その太刀を龍神が受け入れたのか、にわかに稲村ヶ崎の潮が引いて干上がり、砂浜が広がった。
側面から射ようと待ち構えていた幕府軍の数千の兵船も、潮に流されて、遥か沖で漂っている。
これを見た義貞は「進めや兵どもよ」と下知したのだという。
そして、江田・大館・里見・鳥山・田中・羽河・山名・桃井をはじめ、越後・上野・武蔵・相摸の軍勢六万余騎が、稲村ヶ崎の干潟を真っすぐに駆け通り、鎌倉に乱れ入った。
・・・鎌倉幕府の滅亡に繋がりましたとさ。諸行無常・・・

やないさんが稲村ケ崎の砂浜が減っているとおっしゃっていたので、ちょっと調べてみました。
2021年の時点で、1968年と比べて1.8m以上下がっているそうです。(砂が減っている)
地球温暖化の影響らしいよ。





七里ガ浜駐車場
詳細はのちの記事にて・・・


海岸のセブンでプチミーティングのスバル360の皆さん。
許可をとって、集まっているそうです。
楽しそう・・・

「スラムダンク」のオープニングに登場し、世界駅に有名になった場所へ・・・
鎌倉高校前駅(かまくらこうこうまええき)は、神奈川県鎌倉市腰越一丁目にある、江ノ島電鉄の駅。駅番号はEN08。
海を見渡せる景色の良い場所にある。1997年には「関東の駅百選」に選ばれた。



江島神社に参拝し、お土産に饅頭とたこ煎を買って・・・

R134を柳島の交差点で右折し、県道62号・平塚秦野線~県道77・松田平塚線経由
R246にはいり山北町で初給油。
・・・良く走るCT125ハンターカブ。

「道の駅・ふじおやま」でお花を買って・・・

スーパーカブの生みの親・本田宗一郎さんに、今回の旅の報告しました。

PM5時半ごろに無事に帰宅しました。
往復の走行距離は 337.9km でしたが、内容が濃い2日間となりました。
まだまだ続くよ!
次の記事がメイン(謎)???
(続きます)
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