シボレー・アパッチ10(1961)を観た時に流れていた映像から、「アメリカンホンダ」(1959~)を振り返ってみます。
1959年6月、日本から駐在したのは川島喜八郎さんと小林さん。
バロン・フジカワさんは,日系人で付属品の倉庫マネージャーでした。
代理店営業のジャック・マコーマックさんは、ハンターカブの生みの親の一人。
真ん中の列の右からローレル・イズメダさん
シズ・アカホチさん、眼鏡の女性は、ジャネット・スギモトさんで、経理担当。
セツ・アカバさんが一番左。
後列左から、ジャック・マコーマックさん、ジョージ・W・フレンチさん、川島さん、小林さん、一人おいてバロン・フジカワさん
この方は分からないのですが、経理的なことをしている?
事務の機械がよくわかりませんね。
4077 WEST PICO BOULEVARD
LOS ANGELS 19,CALIFORNIA
スーパーカブが大ヒットするまでには3年くらいかかるので・・・
このキャンペーンは1963年の夏から。
大きなバイクは305ccが最大でした。
なかなか売れなかったみたい。
ディーラー網を整備し、売れるようになりました。
アメリカンホンダの従業員から、スズキやヤマハに転職した人もいて、アメリカにおける二輪販売の先駆けとなったのでした。
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