森の石松って、知ってますか?
街道一の大親分、清水の次郎長の子分だった侠客ですね。
浪曲と言っても、私もよく知りませんが「石松三十石船道中」というのが有名なのでYouTubeでを検索して聞いてみて下さい。
森の石松は、創作の人か実際の人物かよくわかっていないそうですが、遠州は森町を生国と発しまして、1860年に亡くなった侠客です。
頭は良くないけど、切符の良い男だったらしく、廣澤寅蔵の浪曲で有名です。
〽
旅行けば~ 駿河の道に茶の香り~
「街道一の親分は、今立派にあるじゃねえか」
「それを知らなかった、街道一の親分は、一体誰でございましょう」
「駿河の国が安倍郡、清水湊有渡町に住む山本長五郎。
通称、清水次郎長。これが街道一の親分よ。」
〽
酒飲みながら、この話、聞いていました石松も、今の話が出たときは、思わず知らずにっこり笑い、持った盃、そっと置く。
待てば海路の日和あり。
石松 「え~、有り難ていのが出てきやがった。もう親分の名前が出るだろうとさっきから待っていたんだが、やっぱりこういう話は、江戸っ子に限るね。あん畜生、馬鹿に気に入っちゃったよ。一杯飲ましてやろう。
おー、お、江戸っ子、江戸っ子、おー、若えの、今しゃべっているの、おう、あの寝起きのいいの」
「何だ色んなこと言ってやがる。俺かい。」
石松 「おめえだ、おめえだ、おめえだよ。ここへ来ねえ。ここへ。ここへ座んねえ。いいよ、余計な金払って借り切った俺の場所だい。大きく言や、俺の城下だ。遠慮はねえ、座んねえ。」
「ありがとう」
石松 「江戸っ子だってな」
「神田の生まれだ」
石松 「いいな。京、大阪の人の言葉は、あんまり大人しくて、こちとらしゃべっていて、決まりが悪くてしょうがねえ。
そこいくと江戸っ子だい。長え話は短くて済んじまうんだ。
これを唱えて「ざっくばらん」てえんだ。
おぅ、飲みねぇ、おぅ、飲みねぇ、飲めるんだろう。
ふふん、そうだろう鼻が赤えや」
「何を言いやがるんでえ。よせやい」
石松 「はっはっはっはっはっはっ、そう怒るなってことよ。ほい、きた。今、何だな、やくざもんの話をしたな」
「さようでござい」
石松 「街道一の親分は、何とか言ったな。」
「清水次郎長」
石松 「あぁ、次郎長。次郎長ってのは、そんなに偉いか」
「えっ」
石松「次郎長ってのは、そんなに偉いか」
「おぅっ」
石松 「何だい」
「酒をご馳走になったり、鮨をご馳走になったりして、文句言いたくねぇが、文句を言いたくなるじゃねぇか。
口は災いの門、舌は災いの根ってことを知らねぇか。
次郎長てえのは、そんなに偉いか?とは何だよ。
「か」だの、「だろう」という言葉は人を疑るよ。
関東八カ国、管内六カ国、十四カ国に博打打ちの親分の数ある中に、次郎長ぐらい偉いのが二人とあってたまるかいっ」
石松 「飲みねぇ、飲みねぇ、おぅ飲みねぇ、おぅ鮨食いねぇ、鮨を、もっとこっちに寄んねぇ。江戸っ子だってね」
「神田の生まれよ」
石松 「偉いったって、けど、おまえさんの前だけど、次郎長ばかりが偉いんじゃない」
「まだほかに偉いのがあるか」
石松 「物事出世をするのには、話し相手、番頭役が肝心さ」
〽
出世大将、太閤秀吉公に竹中半兵衛という人あり、徳川家康公に南光坊天海あり、ぐっと下がるが、紀州の人、みかんで売り出すあの紀伊国屋文左衛門も仙台の浪人で、林長五郎という人が、番頭さんになったから、文左衛門が出世をした。次郎長とてもその通り、話し相手が偉いのよ。
「イイ話し相手がいるからな、あそこには」
石松 「誰だい、その次郎長の話し相手てのは」
「子分だよ。」
石松 「え?」
「子分、いい子分がいるで、次郎長には」
石松 「飲みねぇ、飲みねぇ、おぅ、飲みねぇ、おぅ、鮨食いねぇ、鮨を。もっとこっちへ寄んねい、江戸っ子だってね」
「神田の生まれよ」
石松 「そうだってね、そんなに何か、あの、次郎長にはいい子分がいるかい」
「いるかいどころの騒ぎじゃないよ。千人近く子分があって、その中に代貸元を務めて、人に親分、兄いと言われるような人が二十八人、これを唱えて清水の二十八人衆。この二十八人衆の中に次郎長ぐらい偉いのが五、六人いるからね」
石松 「飲みねぇ、おぅ、飲みねぇ、おぅ、もっとこっちへ寄んねぇ」
「神田の生まれよ」
石松 「んなこと聞いてやしねぇじゃねぇか。よせよ、神田、神田ってつってやがら、さっきから。おぅ、おまえの生まれなんか、どうだっていいんだよ、こうなったら。
おまえさんね、馬鹿に詳しいようで、俺、聞くんだけど、次郎長の子分の大勢ある中で、兄、弟の貫録は問わないが、一番強いのは誰だか知ってるかい」
「そら知ってらい」
石松 「誰が強い」
「清水一家で一番強いのは」
石松 「うん」
「尾張の御先手、槍組の小頭、槍をとっては山本流の使い手、山本政五郎。武家を嫌ってやくざになって、次郎長の子分、身体が大きいから清水の大政、これが一番だな。」
石松 「あ~、やっぱりあいつにはかなわねえな。あの野郎、槍を使いやがるからね。俺はまるっきり槍を知らねえからね、やりっぱなしだから俺は。と、二番は誰だ」
「浜松の魚売りのせがれ、お父つぁんに患われて食うことができない。シジミを売って親孝行。お上から、三度、褒美を頂いたが、十三の暮れにお父つぁんに死に別れて、何とかやけだってんで、博打打ちになって次郎長の子分。
身体が小さいから、人が馬鹿にしていけない。
こうゆう家業は、馬鹿にされちゃ男になれねい。
きょうから剣術を習おう。
並み大抵の剣術じゃだめだって、居合抜きを習った。
山椒小粒でヒリリと辛い、大きな喧嘩は大政だが、小さい喧嘩は小政に限るって。小政が二番だな」
石松 「あん畜生、手が早いからね、どーも。三番は誰でい」
「千住の草加の在の大瀬村の村役人のせがれ、大瀬半五郎だね」
石松 「あいつあ、利口だからな、人間がな。おれはどっちかてえと、少しおっちょこちょいだからな、まったく。で、四番は誰でえ」
「遠州秋葉、三尺坊の火祭りで、お父つぁんの敵討ちをした増川仙右衛門だな」
石松 「あ~五番だな、俺はなあ。段々、段々下がって来やがる。
だけど否が応でも、五番にや俺よりねぇだろう。五番は。」
「法印大五郎」
石松 「六番は」
「追分三五郎」
石松 「七番は」
「尾張の大野の鶴吉」
石松 「八番は」
「尾張の桶屋の吉五郎」
石松 「九番は」
「三保の松五郎」
石松 「十番は」
「問屋場の大熊」
石松 「出て来ねえね、俺はね。この野郎、俺を知らねえな。嫌な野郎に会っちゃたな、こりゃあ。随分鮨を食いやがって、また。十一番は」
「鳥羽熊」
石松 「十二番は」
「豚松」
石松 「十三番は」
「伊達の五郎」
石松 「十四番は」
「石屋の重吉」
石松 「十五番は」
「お相撲常」
石松 「十六番は」
「滑栗初五郎」
石松 「十七番は」
「うるせいな、おい。下足の札もらってんじゃねえや。何言ってやんだ。十六番、十七番って言ってやんだ。
いくら次郎長の子分が強いつったって、強いといって自慢するのはそんなもんだ。あとの奴は、一山幾らの我利我利亡者ばっかりだよ。」
石松 「この野郎、とうとう我利我利亡者にしやがったな、俺を。やい、もっと前へ出ろ。おもしろくねえな、てめえは。
俺はね、初めておめえの顔を見たときに、やぁ、こいつはおもしろくねえなと思ったんだ、本当は。さっきから黙って見てりゃ、誰のもん食っているんだ。酒だって、鮨だって、みんな俺が買ったんだぞ。たとえ飲みねぇ、食いねぇったってね、人ってものは遠慮するもんだ。
何? もう食いません?何だ、あらかた食っちゃったじゃねぇか、おめえは。
何も酒飲んだ、鮨を食ったからって、怒るようなしみったれじゃねぇや、俺は。けど、怒りたくなるじゃねぇか。
おめえ何だね、詳しいように見えて、あんまり詳しくねえな。
次郎長の子分で、肝心なのを一人忘れてやしませんかってんだ。
この船が伏見に着くまででいいから、胸に手当てて、よぉく考えてくれ。え、おい」
「泣いたってしょうがねえな、おまえさんな。いくら胸に手を当てて考えてたって、そのほ~か~に、強~いといい、強い。お~っ、一人あった!」
石松 「それ見ろ、誰だい」
「こりゃ強いや」
石松 「おうっ」
「奇妙院常五郎」
石松 「嫌な野郎だね、こん畜生。思わせ振りをするな、思わせ振りを。そんなもんを考えろってんじゃねえや。もっと強いのがあんでしょ。清水一家で一番強いのは、特別強いのが、あるんだよ。
おまえさんね、気を落ち着けて考えてくれ、もう何事も心配しないで。」
「何も、心配なんかしてねえや。どう考えたって、誰に言わしたって、清水一家で一番強いていえば、大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のい……。あれ。大政に小政、大瀬半五郎、遠州森のい……。あれ。森の石……、だあ~、客人すまねえ。
イの一番に言わなきゃならない、清水一家で一番強いのを一人忘れていたよ」
石松 「おもしろくなってきやがったな、これは。これね、この酒ね、今飲めってんじゃないよ。お預けだよ、こりゃ。
後の出ようによって、みんな飲ましちゃうんだから。
え~っ、誰が一番強い」
「こりゃ強い、大政だって、小政だって敵わない。清水一家で離れて強い」
石松 「うんっ」
「遠州森の生まれだ」
石松 「待った、お上がんなさい、お上がんなさいよ。もっとこっちい寄んなよ。俺ね、何となくおまえさんが好きでしょうがねえ、なあ。初めておまえさんの顔を見たときに、あ~、この人はいいなと思ったよ、なあ。あのね、今日は午の日だよ。
船が伏見い着いたら、御山をお参りして、京都見物が済んだら、
あんたの身体を二晩借りたよ、祇園の町で。おらぁ、祇園で二晩おごっちゃうぜ」
「本当かい」
石松 「もっと、こっちい寄んなよ、こっちい。えー。誰が一番強い」
「これは強い。遠州森の福田屋と云う宿屋のせがれだ」
石松 「なるほど」
「左の眼。左の……、大変だよこりゃ。俺はこの話はしたくなかった。うまく忘れてたんだけど、考えろ考えろって言いやがる。」
石松 「どうしたい」
「え」
石松 「どうしたい」
「まずい、話が合っちゃったよ。おまえさんと同なじだい」
石松 「何が」
「え」
石松 「何が同じだい」
「それがね、変なとこなんだよ。大きな声じゃ言えないがね」
石松 「あぁ」
「片っ方、よくない」
石松 「えー」
「片っ方、よくないんだよ」
石松 「何が」
「え」
石松 「何が片っ方よくねえ」
「それがね、眼が片っ方良くない」
石松 「あー、懐かしいな、そりゃあなあ、おぃ。で、随分おもしろいな。どう、どっちの眼だ」
「え」
石松 「どっちの眼が良くねえ」
「あの人ね、あの人はつまり、こう向いてね、こう向いてこっち。同じなんだよ、やっぱりこの左なんだよ。森の石松ってんだい。これが一番強いや」
石松 「飲みねぇ、飲みねぇ、おぅ飲みねぇ、おぅ、鮨を食いねぇ、鮨を。もっとこっちへ寄んねぇ。江戸っ子だってね」
「神田の生まれだい」
石松 「そうだってな。そんなに、何か、石松は強いかい」
「強いかいなんてのはこんなもんじゃないよ。神武この方、博打打ちの数ある中に、強いと言ったら石松さんが日本一でしょうな」
石松 「おめえ、小遣いやろうか。お、え、あんのかい。そうかい、そんなに強い」
「強いったって、あんな強いのないよ」
石松 「そう」
「だけどあいつは、人間が馬鹿だからね」
石松 「嫌な野郎だね、こいつは。上げたり下げたりしてやがる。誰が馬鹿だい」
「え」
石松 「誰が馬鹿だい」
「石松が」
石松 「清水一家の森の石松は馬鹿かい」
「馬鹿ったってね、東海道で一番馬鹿なんだ、あいつは。
だからね、おまえさん、東海道をゆっくり歩いてごらんなさい。
あいつのうわさで大変。このごろ、小さな娘がねえ、子守り歌に歌ってますよ」
石松 「何を」
「石松つぁんのことを」
石松 「子守り歌?」
「ええ」
石松 「ヘ~、俺は聞いたことがねえが、おまえその子守り歌を知ってるか?」
「わっしゃ、知ってますよ」
石松 「ふうん、やってみな」
「え」
石松 「やってみな」
「何を」
石松 「子守り歌」
「え~、やってみましょう」
〽
お茶の香りの東海道、清水一家の名物男。
遠州森の石松は、しらふのときはよいけれど。
お酒飲んだら乱暴者よ、喧嘩早いが玉に傷。
馬鹿は、死ななきゃ、治らない。
「石松ってやつは、本当に馬鹿だからね、あいつは」
石松 「畜生、がっかりさせやがる、この野郎。
あ~、小遣いやらなくてよかったよ、こりゃ」
大洞院(だいぼういん)というお寺にお墓があるそうですが・・・
ヤクザだからという理由で、お寺の敷地外に置かれているそうです・・・
反社だからか・・・ちょっとかわいそう。
でも、石松の墓はここだけじゃないらしい。
墓石を削って持っていく人が多くて、何度も石が更新されています。
お寺にもちゃんと参拝しました。
石松の像もありました。
今日的な視点でいえば、反社の人だけど、なぜか憎めない森の石松。
山梨の黒駒の勝蔵だって憎めないし、ましてや清水の次郎長親分は偉い人。
森の石松、もっと復権していいのかな。
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