2020ハンターカブ噺 ~その2・CA100T発売までの道のり | ハンターカブ中心生活?

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.CA100T発売までの道のり
 
 
アメリカンホンダの販売マネージャー・ジャック・マコーマックさんは、事実確認のためボイシに来て、アールさんのトレイルカブはヒットすると確信しました。
 
さっそく販売していたキットパーツとコンプリート車両を購入し、アメリカンホンダへ持ち帰りました。
 
実はスーパーカブを山道などの不整地で使うことには目を付けていた為、大きなスプロケットを取り付けるアイデアは是非商品にしたいと考えました。
 
現地販売店が改造した「トレイルカブ」をはじめて見た時、駐在員の小林隆幸さんは唖然としました。
 
フロントフェンダーも、レッグシールドも取り外して、パイプのようなマフラーを付けられた奇妙は姿のスーパーカブがそこにはありましたが、これがどんどん売れているのは事実なのです。
 
小林さんは、アメリカンホンダの開発希望をまとめて日本に送ることとなりました。
 
日本の研究所では、出先のアメリカで勝手に商品をリクエストされることを嫌うのはわかっていましたが、しかし、言わないわけにはいきません。
「不整地に適したスーパーカブ。フロントフェンダー、レッグシールドは不要。スプロケットを大きくし、エンジンのガードを付けたもの。」という内容で図面を書いてすぐに研究所に送りました。
 
案の定、、研究所からは「却下」の返事が届きました。研究所の知り合いからは「とてもオヤジさん(本田宗一郎さんのこと)に言えたもんじゃない。そんなことを勝手にやられちゃ困る」と。本田宗一郎さんが生み出したスーパーカブを奇妙な姿にして販売することは憚られることだったのです。
 
 
 
 
 
しかし、アメリカンホンダとしては、初めて掴みかけたビッグチャンスを前に、簡単に引き下がるわけにはいきませんでした。
 
そこで、日本で製品を作ってくれるまでの間に、在庫のスーパーカブをアールさんの会社に売り、そこで改造して、販売することにしたのです。
 
その状況はしばらく続き、広告も1960年12月から雑誌に掲載したところ、他の車両までもが相乗効果で売れ始めました。
 
出てからしばらくはHONDA50 Mark 100Tという名称で、「アメリカで初めての量産型不整地用バイク」としてデビューすることになり、ホンダの有名なスクランブラー・「CL72」(250cc)よりも前でした。(CL72は1962年発売)
 
カタログや雑誌広告に掲載されているものは、スーパーカブの改造車だったので、「吊カブ」と呼ばれている初期のフレームを使っていたり、ダブルシートだったり、セルモーターが付いていたりします。
 
こうした数々の事実をもってしても登場年を1960年とするまでには至っていませんが、実際にそういう積み重ねの上で「ハンターカブ」が正式発売に至った事実を言っておきたいと思います。
 
 
 
・写真は吊カブ(1960年型?)の特徴のある車体を使う“Trail Cub”の広告です。
1960年10月16日のレースで「スーパートレイルカブ」が活躍したことが書かれています。
「CA102T」の写真もあり、セルの付いたものも改造車として存在しました。

 
 
研究所がOKをしない間に、たまたま研究所からソルトレイクのテストコースに原田義郎さん(当時本田技術研究所第一設計課長)ほか数名が視察にやってきました。
 
原田さんはスーパーカブの開発では取りまとめを行った方でした。
 
アメリカンホンダ側の直談判を受けて、「なんとかしましょう。」ということになって、急ごしらえでホンダ純正のトレイルカブが開発されました。
 
1961年3月1日に販売開始をたのが“TRAILシリーズ”の第一号・「CA100T・“TRAIL50”」でした。
 
 
(つづく)

 
・その3
https://ameblo.jp/tonymae1/entry-12571311773.html