自分が苦手な人と上手く付き合う方法。
それは、「相手の嫌なところは諦め、逆にそれを楽しむ」ただそれだけ。
先日、飲みの席で、昔の職場仲間だった後輩女子が、今の職場上司に対する愚痴を語り始めた時に、「ならば」と伝えてみた言葉。
そもそも、この考えが芽生えたのは、義父の影響で始めたゴルフがきっかけだった。
ゴルフは、その人の「化けの皮」がベリベリと剥がれていくスポーツだ。
立ち止まっている前の組を見て、詰まっているのに「早く打てよ」と小言が止まらなかったり、時には、自ら打ちこんでしまう、せっかちさん。
見失なったボールの代わりに、ポケットからポロッと「卵(予備球)」を産み落とす手品師のような人もいれば、グリーンが空いていようが、何度も素振りを繰り返すマイペースな人……。
かつては僕自身も、そのようなマナー違反に苛立つこともゼロじゃあなかったよ。
でも、他人のマナーに毎回ブチギレるゴル友の姿を見て、ふと「楽しいゴルフなのに、怒るのってめちゃくちゃ損してないか?」と思ったのさ。
例えば、仲間がスロープレーヤーなら、自分がサッサと動いてその分の時間を相殺すればいいし、それが嫌なら、次から一緒に回らなければいいだけ。
青空の下、わざわざ自分の血圧を上げる必要なんてどこにもないのよ。
ただ、これが「仕事」となると、そうもいかないのが世の常。
部下は上司の振る舞いにイラつき、上司は部下に対して「なぜできない?」と悶々とする。
両方の立場を経験して分かったのは、立場に関わらず、人の性格なんてそう簡単には変わらないってこと。
そこで、僕がたどり着いたの考えが、「諦める」という名の平和条約だった。
「直してほしい」「理解してほしい」という期待を窓から投げ捨て、言っても響かないと理解したうえで、心地よい風のように、それらを受け流す。
そもそも、僕自身も含め、全員が同じ思想なんてありえないし、十人十色が当たり前なんだからね。
実は、数年前から町内会の行事に参加し始めたことで、地元に住むたくさんの方々と出会うことが出来た。
殆どの方がいい人達で、「もっと早く知り合えば良かった」と思う一方、中には、喧嘩っ早かったり、些細なことを愚痴るなど、ちょっと面倒な人も存在するのよ。
町会というコミュニティは、多種多様な業種が揃う分、自分の仕事環境では、まず出会えないであろう人達と知り合える場でもあった。
そして、この町会で様々な人達と接して気づいたのが、まともな人は「会話のキャッチボール」ができるけれど、トラブルを起こす人たちは「会話のドッジボール」しかできないということだった。
文句という剛速球をぶつけ合い、相手の反論はひらりと避けてスルーする。
町会行事に参加したての頃は、僕も、投げられたボールを真正面から受け止めていたけど、今はもう違う。

彼らはキャッチボールではなく、ドッジボールをしているのだから、僕もボールを取りに行かずに、避ければいんだと思いついたのさ。
おかげで、最近では「おっ、今日もいい球投げてくるねぇ!」と、もはやその状況を楽しむ余裕すら出てきたよ。
少し不謹慎な言い方かもしれないけれど、今の僕は、自分と合わない人を「珍しい生き物」だと思って観察するようにしている。
「へぇー、その角度から文句を言うんだ!」「そのタイミングで怒る!? 斬新だな!」と思うと、自然と怒りは消えて、逆に「ふふっ」と笑いが込み上げてくる。
まるでサファリパークで、予想外の動きをする動物を眺めているような感覚なのよ。
もちろん、これはどうしても付き合わなきゃいけない相手への「緊急避難措置」であるし、本当に無理なら距離を置けばいい。
でも、職場や地域のコミュニティなど、付き合いが避けられない状況では、この「諦めて、そして楽しむ」というスタンスが、僕の心を一番守ってくれているのさ。
会話のキャッチボールができる人とは、対等な関係を楽しむ。
会話のドッジボールしかできない人とは、俯瞰で眺めて楽しむ。
相手を直そうなんて考えず、自分をアップデートした方が、ノンストレスに過ごすことが出来るのさ。
もちろん、周りの人全てを「珍獣」と見てはいる訳ではなく、これは、あくまでも一部苦手な人への対処法だよ。
そこだけは誤解なく…。

