Amazonプライムで、吹き替え版があったので、何十年ぶりかに見返したら、泣きそうになった。これ、俺が10代のときにみた映画で、そう、千葉テレビで見たんだった。
簡単なあらすじを言うと、清貧の教えを説く聖フランチェスコの物語で、彼は、もともと裕福な商人の息子だったが、十字軍で病になって、帰ってきて、そして、この社会の貧しい人たちのことを知り、彼自身が清貧になり無一文になって、人々に持たないことの喜びを伝導してゆこうとする。しかし、ある日、自分の仲間が背教者として、殺されてしまう。だから、ローマ法王に許可を得るために旅に出て、そして、裕福な生活をしているローマ法王に説教する。という内容。
これは、セットなどは豪華だし、役者も良いのだが、映画として見ると、あまり他人には勧めにくいかもしれない。なんか、まったりとしているし、あと、歌も、それほど良いとは思えない。でも、「ブラザーサン シスタームーン」のところだけは、群を抜いて素晴らしいが。
この映画の面白いところは、法王と対面するクライマックスであろうが、今回見直して、細かいところで感動してしまった。
まず、フランチェスコの教区の太った司祭長が、彼のことを実は黙認していたと言うことである。これは気づかなかったが、フランチェスコが裸になって「僕は無一文で始めるんだ」と宣言した時に、明らかに感銘を受けていた。で、自分ではそれはできないが、ちゃんとフランチェスコには敬意を払っていたのである。これは、結構、重要なことだと思う。実話かどうかは知らないが。
そして、第二に感動したのは、カバーにも出ている、美人な女性が入信する時の言葉である。これはとても重たかった。彼女はこう言ったのだ。
「私は人から理解される人生よりも、人を理解する人生を生きたいのです」
この言葉はなかなか出ない。多くの人たちは承認欲求に飢えている。だからこそ、そんな世の中だからこそ、人を理解してあげなきゃいけないのではないだろうか。
聖フランチェスコは、キリストの「貧するものは幸いである」という説教を言う。これもまた感銘深い。
自分は、十代の時にこれを見てしまって、そして、ガーンとなって、図書館に行って、フランチェスコの本を読んで、また感動して漫画まで書いてしまったのを覚えている。その本では、フランチェスコは「全き幸せとはなにか」ということを説いていた。
「全き幸せとはなにか。もし、あなたが三日三晩、ものを食べないで托鉢の旅をしている時、凍えるような寒い夜、ある一軒家に、宿を求めると、その男は「ここから立ち去れ。消え失せろ」と罵声を浴びせ物を投げつける。あなたがもし、この時に、心の中に少しでも怒りの気持ち、悲しい気持ち、反発心が浮かばなかったのだとしたら、全き幸せはそこにある」
という内容だった。ちょっと省いているが、俺はこの映画を見て「清貧でいいんだ」って思って今でもそれは変わらない。やはり、人を困惑させるのは豊かさなのだろう。これは、少しとっぴおしもないかもしれないが、私は多くの人に、だから、迷うことはゲームの中だけでいい。と、ファミコンの大戦略を教えているのである。お分かりか?(違
